如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

障害年金を本人が「申請」するのは難易度高レベル

社労士に依頼するのもアリだが・・・

 障害年金は、国民年金や厚生年金を支払ってきた勤労者にとっては、病気やケガで仕事ができなくなった際に収入面でとても頼りになる「保険」のようなものである。

 年金という名目にはなっているが、実際には障がい者となった場合に申請、受給できるもので、一定の年齢に達すれば自動的に受け取れる「老齢年金」とはまったく概念が異なるものだと言える。 

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 私の昔からの友人で、うつ病にかかって障害年金を申請したが受理されず、私が相談に乗って申請の手伝いをして何とか受給できるようになった人がいるのだが、やや古い記事でなぜか3月15日のプレジデントオンラインのトップページに「うつ女性『月6.5万円の障害年金』再開への執念」という記事が掲載された。

 

 記事の趣旨は、30代の女性が20代からうつ病で引きこもり状態となり障害年金を受給していたが、更新時に提出した医師の診断書が原因で受給停止となってしまう。母親が困って社会保険労務士である著者に相談し、問題の解決を図るという内容だ。

 

 私の友人の場合は「新規申請」、記事の事例は「継続申請」という違いはあるのだが、申請が受理されなかった経緯が似ているので、参考までに私の個人的な経験として、「障害年金」を申請、受給するまでの流れを紹介したい。うつ病で会社を休んでいる人や休む予定で障害年金を申請しようと検討している人にとって多少なりとも役に立てればと思う。

 

 まず最初に言いたいのは、「障害年金の受給のハードルは想像以上に高い」ということだ。

 これは極端な事例なのかもしれないが実際に友人が年金事務所に障害年金の相談に出向いた際に窓口で言われた言葉に「本人が年金事務所に自分1人で来れるぐらいなら障害年金は不要では?」があったそうだ。

 

 この指摘はうつ病で苦しんでいる状況で、気力と体力を振り絞って相談した本人にとっては、かなり堪えたらしい。本人曰く「まずは水際で申請を受け付けないようにしようという意図が感じられた」とそうだから、巷で言われる市役所の窓口で生活保護申請をするのと似たような状況だったと想定される。

 

 とは言え、本人は苦労して出向いたので何とか申請の意思表示をして必要な書類一式を書かれた案内書を受け取ってきた。必要な資料には戸籍謄本など比較的容易に取得できるものもあるのだが、申請にあたって問題になったのは「医師の診断書」と「病歴・就労状況等申立書」の2点だ。

 

 障害年金関連の各種案内サイトにも書かれているが、他の書類に不備がなければ申請が受理されるかどうかはこの2点で決まると考えていいだろう。特に医師の診断書は決定的な要因になるようだ。

 当然ながら精神科や心療内科の医師に書いてもらう訳だが、この医師の障害年金申請のための診断書記載の「経験の度合い」によって、同じ症状でも申請書の受理されるかどうかが決まるのである。

 

 具体的な内容には詳しく踏み込まないが、日常生活の状況や、就業の可否などを段階評価するのだが、これらが一定レベル以下の評点でないと「障害年金支給に該当しない」と判断される仕組みになっている。この評点の仕掛けを理解していない医師に診断書を任せると、当然ながら不受理の可能性が当然ながら高くなる。

 

 友人の場合は、家庭での日常生活や就業には困難な側面が大きいのだが、診察を受けるために病院に行く際には数日前から体調を整えて、ある程度普通の会話ができるような状態であったうえ、障害年金申請の診断書に不慣れな医師だったことで、「見た目のまま」診断書が書かれたことが、不受理の要因のひとつになっていたと思われる。

 

 そこで私が本人からの相談を受けて診断書の項目を確認、現在かかっている医師では内容の大きな変更は難しいと考えた結果、本人とも相談のうえ障害年金に精通した精神科のクリニックを紹介、受信当日は普段の状態のまま行かせるため私も病院に付き添い、病状などで本人がうまく説明できない部分については補足説明して、診断書作成の手伝いをさせてもらった。

 

 もうひとつの問題は「病歴・就労状況等申立書」だ。こちらも私が資料の作成を手伝ったのだが、初診日から現在に至るまで通院したすべての病院・診療所を時系列で1日も欠けることなく、病歴や症状、投薬などの履歴を書く必要がある。

 

 友人の場合は、医師との相性の問題などもあって心療内科などを10年近く転々としたので、記憶が定かでなく「切れ目なく」履歴を書くのは困難を極めた。

 私も通院歴などを調べる手伝いぐらいはしたかったのだが、病院側は個人情報保護の問題もあって、本人でないと教えられないと言うし、本人に治療履歴を書面で請求することを要求するところも多く、申立書に必要な資料が揃うまでに数カ月を要した。

 

 しかも、病歴と症状の履歴には一貫した整合性がないと受理されないらしいので、本人が取り寄せた資料から書いた内容を私が確認して、矛盾がないかどうかを確認するのにとても苦労した。

 幸いだったのは、履歴の記載にあたって「手書き」ではなく「ワープロ」文書の切り貼りでもOKだったことで、これは非常に助かった。これが本人の手書きしか認められなかったらと思うと恐ろしい。

 

 申請から数カ月してようやく無事に受理され、障害厚生年金3級が受給できるようになった。本人が言うには「自分一人ではとても承認されなかっただろう」と感謝されたが、これは本音だと思う。当然だが私は一切の報酬を受け取っていない。あくまで友情から手助けをしただけであって、申請が受理される確信はなかったからだ

 

 記事のように社会保険労務士に頼む手もあるが、成功報酬として年金額の2か月分ぐらいは請求されるので貯蓄が乏しい人には厳しい面もあるし、昨今は障害年金申請をウリにする社労士も増えて、手際の良さなどの対応が玉石混交になっているとも聞く。

 

 ノウハウがあって良心的な社労士に出会うのが最善だとは思うが、どうにも自分では手掛けられないという重症でない限り、ダメもとで一度自分で申請書類にチャレンジしてみる価値はあると思う。自分の病歴を改めて振り返ってみるのも、現状認識と今後の治療方針の指針になるかもしれない。

 

 繰り返しになるが、最も重要なのは障害年金の申請に精通した医師に「診断書」を書いてもらうことで、次が「病歴・就労状況等申立書」をいかに整合性のとれた説得力のある内容にするかだ。

 本記事のタイトルとは矛盾するようだが、この2点をクリアできれば、障害年金の受給は決してクリアが厳しい「難敵」ではないはずだ。

社会人は「学ぶ」ことを止めたらジ・エンド――学びの目的は様々

高学歴でも「学ばないおじさん」の目に余る怠惰(東洋経済オンライン)

横山 信弘 : 経営コラムニスト

  

「働かないおじさん」より深刻なのは、社会に出てから仕事に直接関わる「実務」の勉強以外、まったく自己研鑽しようとしない「学ばないおじさん」――という趣旨の記事「高学歴でも『学ばないおじさん』の目に余る怠惰」が3月13日付けの東洋経済オンラインに掲載された。 

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 著者は、企業の現場に入り、目標を「絶対達成」させるコンサルタントを自認する横山信弘氏。経歴によれば大企業から中小企業にいたるまで、200社以上を支援した実績を持つそうだ。

 想像するに、近年東大卒に人気の外資系のコンサルティング会社の「理論先行派」とは180度方向が異なる、いわゆる「現場重視派」と言えるだろう。

 

 私自身、「理論派」のコンサルタントを何人も見てきたが、学歴と外見(服飾など)と会社名は確かに立派なのだが、どうにも「自分たちの提案する経営の最新理論が正しい」という意識が強く、簡単に言えば「現場は理論に従えばいい」と押し付ける担当者が多かった。今で言えば悪い意味の「意識高い系」の典型だ。

 依頼する会社の上層部も、こういう「見掛け」属性の高いコンサルの話に乗ってしまうので、中間管理職たちは実態を知りつつも業務上「仕方なく」コンサル様の講義を聞いていた人も少なくないと思う。

 

 話を戻すと、今回のテーマは「コンサルタントの質」ではなく、コンサルを受ける「会社側の管理職」の問題である。

 冒頭にも書いたが著者は、現在会社の人事部門で問題になっているのは「働かないおじさん」という時代はとうに通り過ぎて、今は「学ばないおじさん」になっていると指摘している。そして「そんな『学ばないおじさん』が組織のミドル層に巣くっていたら、外部からやってきた経営者(とくに外資系)に一発で退場」と断言している。

 

 ここまでの話は正しいと言っていい。日々のビジネスの世界が変化していく中で、常に「学んで」いなければ後れを取るのは必至だからだ。特に成長も競争の激しいI Tなどの業界ではその傾向は顕著だろう。最新の技術情報に精通したうえで、マネジメント手法にも通じていなければ、管理職は勤まらない。

 

 昨年来「黒字リストラ」が始まり、その対象年齢が40代まで低下してきたことは広く知られるところだが、私のような50代後半になると、多くの企業では「役職定年」が実施されており、同世代の大半が役職も部下もなくなり、給料もカットされ、大きな仕事も任されないというのが実態だろう。

 つまり、会社からは仕事ではまったく期待されていないのだが、クビにするまで経営は追い込まれていないので、とりあえず席(籍)だけは確保され、いわば「飼い殺し」のような状況にある人が相当数いると思う。

 

 私の場合も、55歳でいきなり会社での立場が激変した際には戸惑いを隠せなかったが、現在では「仕事の成果ではなく、勤務時間を会社に売っている」という割り切った認識に改めた。

 ここで誤解されないように書いておくと、私は会社で「のんべんだらりん」とした怠惰な時間を過ごしている訳ではない。これまでの会社一筋の人生を方向転換して、定年後の第二の人生に向けて過去の経験を生かして、新たな知識、人脈、ノウハウを作る方向にエネルギーを使っているのであって、無為に過ごしているのではないと断っておく。

 

 「会社から給料を貰っておいて仕事をしないのか」という批判もあるだろうが、そもそも大した仕事も任されず、会議にも呼ばれず、業績への貢献も求められていない状況で、「何もしないで不貞腐れている」よりは、よっぽど前向きではないだろうか。

 

 個人としては、会社から与えられた役職定年以降の期間は、「自分の将来の人生設計を描くための猶予期間」だと認識している。つまり経営側からすれば「会社を頼らず、自分で生きていく術を考えろ」というメッセージだ。

 このように発想を転換すれば「会社は俺を見捨てた」とか「自分はまだ仕事ができるのに」といった不満はなくなるはずで、将来に向けて様々なことを「学ぶ」ことも当然のことになる。

 

 ただ、私の言う「学ぶ」は著者のいう概念とは異なるだろう。著者は「会社の経営に携わる者の常識として」学びが必要との指摘だが、私の意図する学ぶは「会社を離れても自分で生きていける術」を習得するためである。つまり「会社」のためではなく「自分」のための学びなのだ。

 

 とはいえ長い人生、「学ぶ」ことを止めてしまったら、その時点から「凋落」が始まるという点では一致しているとは感じた。

12月購入の4Kテレビ、早くも生産中止――「4Kテレビ難民」発生?

昨年10月の発売からわずか5カ月で

 

 昨年末に待望の4K液晶テレビを購入したことを12月30日のブログ「ようやく4Kテレビを購入――地デジの画質アップが想像以上」で書いたが、私の購入したパナソニックのGX855シリーズの一部の機種がすでに生産中止になっていた。

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 パナソニックのWebサイトで生産中止のマーク「」が確認できるのは、65型と55型の2機種で、49型と43型はまだ生産・販売が続いている模様だが、肝心の液晶パネルの調達先は同一の可能性が高いため、早晩この2機種も生産中止になる可能性が高い。もっとも、ヨドバシカメラでは43型はすでに販売終了扱いとなっている。

 

 ここ1年のパナソニックの4K液晶テレビの動きは非常に激しい。昨年1月に発売されたGX850シリーズは9月に生産中止となり、同月に後継機種(GX855)を発表、10月に発売を開始した。

 売れ行きがトップだったGX850がわずか8カ月の寿命というのも異例ではあったが、このモデルチェンジには、同グレードの他社製品が4K放送を受信するチューナーを2つ備えていたのに対して、パナソニックが1つしかなく競争力を維持するためという明確な「狙い」があった。

 

 ところが今回の生産中止は前回に相当するような「あえて生産中止」にする理由が見当たらないのである。昨年10月のモデルチェンジによって他社に機能的には遜色ないどころか、リモコンに音声操作機能を搭載したり、Amazonのアレクサ機能に対応するなど、優位な部分もある。

 ちなみに購入前はあまり期待していなかった音声操作機能だが、実際に使ってみると想像以上にレスポンスはいい。特にYouTubuで動画を検索する際には、一文字づつボタン操作で入力するよりははるかに効率的だ。もはや手入力は考えられない。

 

 しかも今回の生産中止は昨年のモデルチェンジからたったの5カ月足らずである。前回の8カ月(1月発売・9月生産中止)よりも3か月も短いうえに、後継機種の発表も現時点ではない。3月から4月にかけては新年度入りの新生活などで最も家電製品が売れる時期にもかかわらずである。

 

 ここから先は個人的な想像になるが、パナソニックを含めて国内テレビメーカーは液晶パネルを中国を中心とする海外からの輸入に依存しており、昨今のコロナウイルスの混乱で工場の生産が止まり、液晶パネルの供給が困難になったことが影響しているのではないか。

 

 65型と55型が先行して生産中止になったのは、このサイズのテレビ購入者は「液晶」よりも「有機EL」を選択する傾向があるため、元々の生産台数を抑えていた可能性もある。実際にパナソニックの55型で比較するとヨドバシカメラでは、液晶(GX855)が20万8020円(税込み)に対して、有機EL(GZ1000)は24万3580円と3万数千円しか価格差がない。これでは画質を比較すれば有機ELを選択するのが当然だろう。

 

 先のヨドバシカメラでは49型の販売終了も近い模様で、現時点で在庫はあるものの価格は14万6300円と今年に入って底値圏の価格となっている。購入を予定している人は急いだほうがいいだろう。画質や機能は不満がないレベルであることは間違いないと個人的には思う。特に地上波放送の画質アップには驚くはずだ。もっともリモコンの大きさや操作性は他社とだいぶ異なるので実機で確認した方がいいだろう。

 

 懸念しているのは、本当に中国の生産工場が機能停止し、今後も液晶パネルの供給が停滞するとなると、顧客が4Kテレビを購入しようとしても、店頭に「モノがない」という状態になりかねないことだ。

 国内メーカーがほぼすべて液晶パネルを海外から輸入している状況から考えて、パナソニック以外にも充てはまるのではないだろうか。特に有機ELパネルは全生産を韓国のLG社に依存しているだけに、問題が起きれば一気に表面化する。

 

 先行きに不透明感が強まっているが、予定通り東京五輪が開催されるとなれば、これから夏に向けて4Kテレビへのニーズが拡大するのは確実。このままだと欲しくても買えない「4Kテレビ難民」が大量に発生、社会問題化する可能性もある。

 

 もっとも生産中止の原因が他にあって、パナソニックが早晩新しいモデルを発表して、オリンピック需要に応えるような対応をすることも十分に考えられる。国内では依然高いブランド力を持つだけに、こちらの可能性の方が高いかもしれない。

 

 個人的には、手持ちのテレビが寿命を迎えていて買い替えが必要なら、今のうちに購入しておいてもいいのではないかと思う。最近のマスク騒動のように疫病や人命に関するような深刻な問題ではないだろうが、いざ買おうとしたら「モノがない」というのはストレスになるのは確実だろう。

  4月に入って「4Kテレビ難民」のような言葉が流行らないことを願っている。

またも出現「狭小マンション」、2015年の再来か

東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情(東洋経済オンライン)

一井 純 : 東洋経済 記者

 

 土地、工事費などが高騰し、マンション価格が高騰すると一般のサラリーマンの手には届きにくくなる。これを解消するためには「専有面積」を狭くするしかない――このような趣旨の記事「東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情」が3月9日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

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 不動産経済研究所が発表した2020年1月度の首都圏のマンション市場動向によれば、東京都区部の地域別平均価格は前月比38.7%アップの1億511万円と1億円の大台に乗せている。これは都区部の集計だから人気の都心3区ではさらに高いはずで、もはや並のパワーカップルでは買いたくても買えない水準にまで上昇してしまった。

 

 この価格高騰の影響が新築マンション市場を直撃、記事にあるような葛飾区の「3LDKといっても、実は専有面積は54.37平方メートルしかない」といった物件が登場している訳だ。

 具体的には、各部屋の面積を縮小させるほか、収納スペースも激減して対応しているようだ。他にも私が知るところでは、郊外の7000万円台からのマンションでも通路から玄関を引っ込ませるアルコープをなくすなどの「さりげない工夫」も散見される。

 記事では「大手でも、50平方メートル台のファミリー向け住戸が登場するのは、時間の問題かもしれない」と予想しているが、これは現在の不動産市況が続けば確実だろう。デベロッパーはとにかくマンションを売らなければ、事業が成り立たないからだ。

 

 一部の大手はオフィス部門を強化し、住宅部門は縮小しているが、それでもゼロという訳にはいかないだろう。しかも郊外のマンションは不人気化が収まらず、竣工後1年を経ても売れ残ったため品確法上「新築」と名乗れない物件が続出しているのが実態。都心へのアクセスが良いエリアに無理してでも建てざるを得ない状況にある。

 

 実はこれと似たような現象は最近では2015年にも起きていて、東洋経済オンラインでも同年8月2日に「都心で超狭2LDKマンション大ヒットの理由」として記事化している。

 このなかで「思い返せば、2000年ごろに都心部を中心に『狭小住宅ブーム』が起こったが、それ以来、『都市の諸機能を自分の生活の場としながらコンパクトライフを送る』という流れがずっと続いている」と書かれているが、価格の高騰⇒専有面積の縮小という「流れ」は過去も将来も関係なく存在するようだ。

 

 問題は、50平米台の3LDKでまともな生活ができるのかだろう。個人的には50平米台なら2LDKとするのが常識だと思う。部屋数が増えても肝心の各部屋の面積が狭ければ使い勝手は悪い。部屋数は少なくても面積が広い方が利便性は高いはずだ。

 無理に「3LDK」という言葉で顧客にアピールするのは、長い目で見れば名前だけの貧相な物件を積み増す結果となるだけなので、将来の売却を考えるのであれば「3LDK狭小マンション」は避けた方がいいと思う。

 

 総務省の「平成 30 年住宅・土地統計調査」によれば、平成30年の空き家率は13.6%と過去最高。伸び率は縮小しているが、今後都市部でも世帯数の減少が見込まれるなか、都区部の戸建てのほかに、郊外のニュータウンなどでも相続による空き家の増加は確実。2022年に生産緑地のかなりエリアが宅地化される影響も無視できない。

 住宅へのニーズが減る一方で供給は増加の一途、買い手がより良好な住環境を選べるようになれば、将来の売却を考えた場合、わざわざ中古の50平米の3LDKが人気を集めるとは考えにくい

 

 記事では、収納をトランクルームへと「外注」、ラウンジを応接室に、書斎を共用施設へと「移設」することで対応する動きが出ているとしている。要するに「子供のいない共働き夫婦には狭い面積でも十分」という論理だ。

  確かに近年の「断捨離」などの動きや、カーシェアリング、リモートワークオフィスなどの普及を考えれば、「所有から利用」という省スペース化の流れは続いていくのだろう。

 

 若い世代には「住まいは寝ることが確保できれば十分」という発想があってもおかしくはない。

 ただ郊外の比較的広い空き家が増える一方で、都心は狭小を極めたマンションが人気化するというのは、過去の記事にもあるように結局は「数年ごとのブーム」でしかないように思う。

 

 無理をして「狭小マンション」を購入しても、得られるのは「区分所有権の取得」という自己満足という結果に終わる可能性が高いとだろう。もちろんこれは個人的な感想なので、あくまで1人の宅建士の参考意見として捉えてほしい。

次期フリードの概要が見えてきた――新型フィットから予想

視界は良好、シフトレバーが直線型に変更に

 

 2月にようやく発売されたホンダのフィットを、発売当日にHondaウェルカムプラザ青山と先日地元のディーラーで展示車を見てきた。

 ただし、ウェルカムプラザは現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月13日まで臨時休館中なので、フィットを見るのは販売店に行くしかない。

 今回見たのはフィットだが、私が購入を予定しているのは過去のブログでも書いているが次期フルモデルチェンジのフリードである(2022年説が有力らしい)。

 

 ではなぜフィットを見て、ブログに書くのかと言えば、新型フィットのかなりの部分を次期フリードが継承することになるはずだからだ。同じ5ナンバー(フィットのクロススターを除く)で全長は30cmも違わないし、エンジンのサイズもハイブリッドは1500ccで同格。価格帯はややフリードが高めだが、どちらもファミリー層を主力ターゲットにしている。

 フィットの新機能や新たな仕様変更は、そのまま次期フリードにも採用されると個人的には勝手に「解釈」し、「確信」しているのである。よって本ブログを読まれる方はあくまで主観を前提にしたもので確実ではないことを伝えておきたい。

 

 展示車なので試乗はしていないので、あくまで「見た目」の印象になるが、それでもある程度のイメージはつかめたので、一般的な「おじさん休日ドライバー」としての感想を述べてみたい。走行性能などはベストカーなどの専門誌の方が正確で詳しいはずなのでそちらを参考にしてほしい。

 ちなみに私はクルマのデザインとかには疎いので、あくまで実用性という観点からの感想になる。

 

 まず第一印象として、「運転席からの前面の視野が広がった」ことを挙げたい。特にAピラーと呼ばれる一番前の左右の支柱が細くなったので、90度近い視野角がある。Aピラーの細さは比較していないが、感覚としては半分ぐらいになった印象だ。

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 代わりにというかAピラーをすぐ後ろにあるハンドル横支柱はフリードよりも太いので、左右についてはやや視界は狭くなっているようにも感じた。衝突時の安全性確保のため仕方がないのだろうが。

 

 次に目に留まったのがギアシフトレバー。旧フィットや現行フリードのハイブリッドは小さなレバーを上下左右にカチャカチャと少し動かしてギアを変更、レバーは自動的に中心に復帰するタイプなのだが、これが一般的なオートマ車、CVT車の前後一直線型に変更になった。(下図の左が新型フィット、右が現行フリード)

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  これはディーラーの担当者に聞けば、「お客様から以前の方式の方が使いやすい」との要望が強かったためだそうだ。これは次期フリードにも引き継がれるのは間違いないらしい。個人的にも「前後一直線」型の方がわかりやすいので、ありがたいのは確か。

  ただ、フリードは前席左右がウォークスルーなので、シフトレバーをハンドルの左脇のインパネ近くに配置せざるを得ない。となるとフィットのような長いレバーの作動幅は確保できない。イメージとしては現行のN-BOXのような上下の作動幅の短いシフトレバーになりそうだ(下図参照)。慣れの問題かもしれないが、当初は戸惑うかもしれない。

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  あと気になったのはボディカラー。青系の設定がフィットには3色あるが、緑系は1色もない。現行フリードの「シルバーミストグリーン」はディーラーでも人気色だと言っていたので、今後追加設定されるかもしれない。そういえば昨年秋のマイナーチェンジ前に存在した「濃い緑」も発売後に追加されたカラーだった。

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 あと実用面で意外だったのが、燃料タンクの容量32Lから40Lに20%以上増えたことで、これは予想外のうれしい誤算だった。現行のフリードも36Lしかなく、ガソリン車だと一回の給油で実質300km台しか走れないというのは「長距離を走るならハイブリッドを選べ」と言われるのに等しいと言われても仕方のないタンク容量だった。

 

 これが新型フリードにも適用されて、タンク容量が40L台半ばになればハイブリッドなら800kmは無給油で走れそうだ。ガソリンスタンドに行く頻度も減らせる。

 

 最も気になる新型ハイブリッド「e-HEV」の走行性能と、最新の安全装備のHonda SENSINGの機能だが、これについては後日試乗した段階で改めて報告したい。

 

 気になると言えば、フィットと言えば「リコール」である。前モデルでは一年間に5回もリコールがあり、ユーザーの不評を買ったのは記憶に新しいところ。

 そもそも新型フィットも当初の発売予定は昨年11月だったが、電動パーキングブレーキの不備で発売が延期された経緯がある。今回はリコールとは無縁であってほしいのだが。

 

 軽自動車とトヨタばかりが元気な新車市場で、ホンダのフィットがどこまで人気を集めるのか見守りつつ、今後も次期フリード情報の収集に努めたい。

コンビニの店舗指導員は時代遅れ――製薬会社のMRを参考にしては?

コンビニ本部の店舗指導員が転職市場で全く評価されない理由(ダイヤモンドオンライン)

ダイヤモンド編集部 岡田悟

 

 若者が入社後数年で転職するのが常態化し、会社のリストラ対象年齢も低下する一方。こうしたなかで、34日付のダイヤモンドオンラインに「コンビニ本部の店舗指導員が転職市場で全く評価されない理由」というタイトルの記事が掲載された。 

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 記事は、今週初内になった週刊誌の特集『コンビニ搾取の連鎖』に入りきらなかった内容とのことで、「転職」がテーマになっている。

 折しも、大手コンビニのファミリーマートが大規模なリストラを打ち出し衆目を集めたが、コンビニ各社の内情ではなく早期退職した人たちの転職市場での実態に触れている。

 

 個人的な結論から言えば、「自分で物事を考えない人が転職で苦労するのは当たり前」ということだ。言い換えると、個人のスキルで優位性がなければ仕事を見つけるのは難しい、ということ。

 

 記事で取り上げる転職者の中心となったのは、店舗と本部を結びつける接点となる「店舗指導員」だ。各種チェーン店に存在するスーパーバイザーといった方が一般的かもしれない。仕事としては、オーナーの意向と本部の方針の折り合いをつけて、店舗の経営改善の改善を図ることが目的の「アドバイザー」と言っていいだろう。

 

 ところが実態は、本部の意向を受けて販売ノルマをそのまま店舗に押し付けるだけの「メッセンジャー」というのが実態だったようだ。最近話題になった「商品の無断発注」もこれが原因だろう。

 

 一般的なイメージとしては、コンビニは本部が儲けて、店舗のオーナーは休日返上、家族ぐるみで店舗経営を行い、利益もたいして出ていない、という「本部と店舗」の対立という構図で見られていたと思うが、実際にはその本部にも、本社勤務と店舗指導員の2種類の社員がいて、店舗指導員が間に挟まって無責任や無理な仕事をしたようだ。

 

 店舗経営の実態は雑誌を読んで頂くとして、今回のテーマは今回大量に退職した店舗指導員の動向である。これも結論から言えば記事にもあるが一般的には「個人の課題解決能力がない職種とみなされ、同業以外では未経験扱いになる」という低い評価しか得られないようだ。もちろん中には優秀で的確な店舗指導をする者もいるのだろうが、全体としては低評価なのは事実だろう。

 

 その理由として、本部の決めた経営計画に何ら疑問を持たず、顧客である店舗オーナーの事情を汲み取れなかったことが挙げられる。本来は店舗ごとに購買層、売れ筋商品や多忙な時間帯などは異なるはずだし、近隣の他社、他店舗との差別化も図らなければいけない。言われたことを「そのまま」伝えるなら、本部が直接メールなどで店舗オーナーに連絡した方が合理的で正確だ。

 

 そうは言っても現実には店舗指導員は「本部の意向には逆らえない」というのであれば、裁量の権限がなく、担当する店舗にそぐわない商品を売り付ける仕事を続けるぐらいなら、さっさと別の業態に転職した方がキャリアの向上にも繋がる。その方がよっぽど「現実的」な対応ではないか。

 

 しかも業態としてコンビニ市場はもはや飽和状態にある。120日の付けの読売新聞オンラインでは「コンビニ店舗数、初の減少…大手は新規出店抑制に」として集計を開始した2005年以来初めて年末の店舗数が減少に転じたことを伝えている。

 ちなみにJFAコンビニエンスストア統計調査月報(1月度)によれば、今年1月も店舗数は来店者数とともに前年同月比で減少している。

 

 話は戻るが、では具体的にどうやってコンビニの店舗指導員の体質を改善させるか。

 ここでは似たような仕事として、製薬会社の医薬情報担当者(MR)を挙げてみたい1960年代までプロパーと呼ばれた製薬会社の営業担当者は当時、医者や病院への医薬品の売り込みが仕事で、接待、贈り物は当たり前だった(未確認だが医師の家庭の犬の散歩まで請け負ったという話も)。この背景には、製薬会社間のシェア獲得の熾烈な競争があったのは言うまでもない。

 これらの接待の実態があまりにも常軌を逸したレベルに達し、しかも常態化したことで、世間の批判を浴びることになり、日本製薬工業協会(製薬協)は自主規制のルール作成に取り組み、プロパーはMRへと名称を変更、その仕事も「薬の販売促進」から「薬の情報提供や情報収集」へと変化した。本来なすべき仕事に戻ったのだ。

 

 高圧的な態度でコンビニ店主に商品陳列を強要する店舗指導員と、接待で医師や病院に揉み手で取り入るプロパーでは立場は大きく異なるが、会社上層部の意向を受けて、重要な顧客ニーズを無視した営業活動を行うという点ではどちらも「似たようなもの」である。

 

 現在は24時間営業や無断発注などの問題でコンビニ本部への批判が根強いが、これを機会に「本部社員」だけが旨い汁を吸うのではなく、「店舗オーナー」「店舗指導員」「顧客」も納得のいく構図に変化してほしい。業態としては伸びやなんではいるものの、すでに社会インフラのひとつとして認識されているのは間違いないからだ。

 

 そのためには現在の店舗指導員が本部の方針しか見ていない体制を抜本的に変える必要がある。引き合いに出した製薬会社のMRは、業界の自浄機能で「営業体質」が改善された手本のひとつになると思うのだが。

オワコンの百貨店業界、生き残り策は「不動産賃貸」か

もはや「小売り」での事業継続は不可能 

 百貨店(かつてはデパートとも呼ばれた)に対して、世間はどのようなイメージを持っているのだろうか。

 私の見解を一言で言えば「完全に終わったコンテンツ(オワコン)」である。

 

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 近年、百貨店が店舗を閉店、縮小する動きが続いているが、この動きの発端は1999年の東急百貨店日本橋店の閉店から始まったものだと思っている。つまり20年以上前から百貨店という小売り形態の衰退は始まっていたのだ。

 

 百貨店が衰退した原因としてはいくつも指摘されているが、個人的には「休日に家族で百貨店に行く」という昭和的な習慣が廃れたことが大きいと思っている。私が子供だった頃は特に目的がなくても、家族で催事場などの店内を徘徊し、最上階のレストランでお子様ランチを食べて、屋上の小さな遊技場で遊ぶのが楽しみだった。

 

 つまり百貨店は「人が集まる場所」という位置づけだったのだが、日用品の買い物をするなら「大型スーパー」、ブランド品なら「専門店」、遊ぶなら「テーマパーク」に向かうようになり、百貨店という名前の示す「何でもあり」という看板が「中途半端で何もない」という弱みに転じてしまったのだ。

 

 私の記憶を辿ると、百貨店の売り場からまず「家電品」が消えた。これはヨドバシカメラなど量販店の台頭の影響が大きい。次いで「屋上」の休憩スペースがコスト削減でなくなり、「食堂」も閉店し、個別のレストランに置き換わった。

 これらはすべて専門性の欠如が原因だろう。現在、消費者があえて百貨店に行く理由として大きいのは、地方の名産品などを扱う地下の食品売り場いわゆる「デパ地下」ぐらいではないか。しかも、このデパ地下も結局は食品専門店の集合体である。

 

 今後、百貨店が「小売り」として生き残るのは困難だろう。すでに一部の百貨店が実践しているが、都内の好立地の店舗は「不動産賃貸業」をメインに業態を転じている。物品を販売するのであれば仕入れ、売り場・売り上げの管理、返品などの業務に、人も時間も取られるが、売り場を賃貸に出せば、モノは売れても売れなくても賃貸料が毎月入ってくる。経営の安定度は大きく上昇するはずだ。

 

 この手法は朝日新聞など全国紙の新聞社でも行われていて、長期低迷が続く販売部数の落ち込みによる収入減を保有する不動産物件の賃貸収入で補っている構図になっている。

 

 他にも百貨店には逆風が吹いている。まずは「お歳暮」「お中元」の減少。会社の上司や仲人などお世話になった送っていた慣習が縮小している。ネットには出所は不明だが「お歳暮市場規模がなんと30年前に比べると激減(7割減)している」という情報もあった。

 

 次に大きいのが、ネット通販の台頭。実はどこの百貨店もチラシを配布して電話等による通信販売はかなり以前から取り組んでいたのだが、実店舗での売り上げへの影響を警戒したためか、積極的ではなく売り上げに貢献したとは言えない状況だった。この間にAmazonなどのネット通販に市場を席巻された。

 

 最後に指摘したいのが、オリジナル商品の欠如。先に述べたお歳暮などは「一流百貨店」の包装紙がモノを言ったが、この慣習自体が縮小している。私が社会人の新人だったころは「スーツの仕立ては三越」といった暗黙の了解があったが今は聞かないし、そもそもスーツ自体のニーズが減少している。

 

 という訳で、「小売り」としての百貨店業界の将来は明るいものではないのだが、三越、伊勢丹といったブランドは展開次第で今後も生き残ることは可能だろう。

 

 日本の百貨店を代表する三越日本橋本店のすぐ近くに、1699年創業の「にんべん」本店がある。この「にんべん」は当初は鰹節の販売・卸が中心だったが、現在では派生商品の「つゆの素」の売り上げが占める比率が高いと聞く。同じく日本橋の老舗で刃物を手掛ける創業228年の「木屋」も職人向けの包丁だけで商売をしている訳ではない。

 

 百貨店は都内の好立地の店舗を除けば、地方を中心に今後の閉店ラッシュが続くと思われる。過去の「モノ」を置けば売れる時代はとうに過ぎ去り、今は「モノ」を置いても工夫しないと売れない状況。車社会に対応してきた幹線道路沿いのアウトレットなどのショッピングモールですら立地次第で「時代遅れ」になりつつあるのが現状だ。

 

 かつて百貨店への対抗意識からダイエーの創業者中内氏は「百貨店は(小売りではなく不動産の)大家だ」と言ったようだが、くしくも現状はその方向に向かっているように思える。

読書しない人が増えている「理由」は5つだけではない

「若者の本離れ」がこんなにも加速した5つの理由(東洋経済オンライン)

角田 陽一郎 : バラエティプロデューサー

 

 「最近の若者は本を読まない」――。この文章から始まるいわゆる「本離れ」の理由について分析した記事「『若者の本離れ』がこんなにも加速した5つの理由」が3月1日の東洋経済オンラインに掲載された。

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 この現象自体はかなり以前から各種メディアで伝えられていて、目新しいテーマではない。例えば2018年2月26日の日本経済新聞電子版では「大学生『読書時間ゼロ』半数超 実態調査で初」と報じられている。これは当時、結構話題となった。

 

 だが東洋経済オンラインの記事の面白いのは著者が、実際に「本を読まない」理由を、インターネット動画界隈で活躍する20代半ばの起業家で、頭もいいがほとんど本は読まないと(著者が言う)いう人に、直接インタビューしている点だ。

 アンケート調査などで大まかな傾向などは分かるが、個々の持つ本離れの背景を具体的に聞き出すという視点が新鮮だし、会話のやりとりもメリハリがあって良い。 

 さて詳細は記事を読んで頂くとして、「本を読まない理由」を著者は以下の5つを挙げている。 

      1.「つらいから」  

      2.「時間がもったいないから」

      3.「楽しくないから」

      4.「書き手が知らない人だから」

      5.「ネットのほうが便利だから」

 

 これらの理由から、著者は「読書のよさをいくら言われても、本自体にアクセスすることが面倒なのです」と、本離れを解釈し、分かりやすい身近な例として「旅好きな人に『海外旅行は楽しいですよ」と言われても、成田空港に行くのが面倒だからという理由で行かないような』ものと説明している。

 

 記事全体の印象としては、各種アンケート結果の具体的な回答例を見たような「なるほど」と思える内容だった。ある程度予想はしていたものの、実際に著者の言う「仕事はできるが本を読まない人」の本音を聞けたのは参考になった

 

 理由として挙げられた5つだが、個人的には「つらい」「面倒」「不便」という項目と内容から考えて、以下の3点を追加したい。

 まず、読書はこちらからアクセスする「攻め」の姿勢が不可欠だが、ネットやゲームはどちらかと言えば「受け身」の姿勢で対応できるという点。

 しかも本の場合は、字面を追うだけでは読んだことにはならず、自分なりに咀嚼する必要がある。一方、ネットニュース等はすでに分かりやすい形に集約されているし、ゲームも初心者であればチュートリアルや親切な人からアドバイスをもらえることも多い。

 

 次に挙げたいのは、読書にはおカネがかかるということ。多くの単行本は2000円以上するし、新書でも1000円近いのが現実。数冊買えばすぐに1万円近い出費となる。図書館では新刊は人気で順番待ちだし、そもそも身近に図書館がある人ばかりではない。

 一方、ネットは情報料という点からはほぼ無料だし、スマホゲームも課金しなければお金はかからない。総務省統計局の「家計調査報告(家計収支編)平成28年平均速報結果の概要」によれば、可処分所得は実質0.4%伸びているが、消費支出は実質1.7%の減少となっており、消費者の「不要なモノにはおカネをかけない」という傾向は明らか。

 しかも消費の内訳を見ると「書籍・他の印刷物」の前年比実質増減率はマイナス3.6%と大きい。本離れは相対的に割高な本を消費者が敬遠しているためだろう。

 

 最後に指摘したいのは、ペーパーレス化を推進する時代の流れに追いついていないこと。公益社団法人 全国出版協会・出版科学研究所の調査によれば、2018年の出版市場は全体で3.2%の減少で。紙市場は5.7%減の1兆2,921億円に対して、電子市場は11.9%増の2,479億円となっている。電子市場が伸びているとはいえ、その大半はコミックに依存しているのが実態。「本」市場全体の規模は減少傾向のままだ。

 個人的には、現在「紙」も「電子」も本の価格はほぼ同一だが、これを制作費用に合わせて差別化しないと、市場全体の地盤沈下は止まらないと思う。

 

 いずれにせよ、人はどうしてもより「分かりやすい」「安い」「アクセスしやすい」ものに流れていくもの。ネットのまとめサイトや動画、スマホゲームなどが気軽にアプローチできるように熾烈な競争を繰り広げているのに対して、紙媒体を中心とする出版業界が既存の販売方式(出版社⇒取次⇒書店)に依存して、あぐらをかいてきた側面は否めない。

 本がそれ自体の売り上げから利益を出しているのに対して、ネットは広告から、ゲームは課金で稼ぐという違いはあるにせよ、このままでは「読書」という行為が、一部の愛好家よる「贅沢な趣味」として扱われる時代が来るかもしれない。

 

 

女子の一般職に見直し機運、総合職との区分は無意味に

早慶女子があえて「一般職」を選ぶ根本理由(東洋経済オンライン)

橘木 俊詔 : 京都女子大学客員教授

 

 商社や銀行など大企業の「一般職」と言えば、中堅の女子大などが多くを占めるいわば結婚までの「腰掛」的なイメージを持っていたのだが、最近では「総合商社の一般職は、以前多かった女子大出身者ではなく、早慶などの超高学歴女子が大半」であるとする記事「早慶女子があえて『一般職』を選ぶ根本理由」が2月28日付の東洋経済オンラインに掲載された。 

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 著者は京都女子大学客員教授の橘木俊詔氏。恐縮ながら名前を存じ上げていないが、内外の著名な大学で学び、各官庁の研究員を経て、現職に至っている。専門は労働経済学、公共経済学で、著作は100冊以上あるそうだ。

 

 記事では、以前は「(入学難易度の高い大学出身の女性が)総合職を選択して受験してみたが採用されなかったので、仕方なく一般職で採用された、という人が多かったが、最近では意図的に最初から一般職の選択をする」ことが増え、総合商社では「一般職の70~80%が早慶女子が占めており、残りの20~30%も難関大学の私立大、すなわち上智、MARCHなどの大学の女子学生で占められる」と解説している。

 

著者はこの理由として以下の5点を挙げている。

  1. 一心不乱に働いて出世するよりも人生を楽しみたいとする人が増加した
  2. 定型的な仕事が非正規労働者で代替され総合職と一般職の違いが小さくなった
  3. 転勤だけを強要しない地域限定総合職の創設
  4. 働くことは結婚・出産までのことと考え、あえて進んで一般職を狙う
  5. 転勤のない一般職を当初から志願

 

 個人的には、1が最も大きな理由で、2がその次、残りは「結婚」「出産」などの家庭的な事情によるもので、過去からニーズ自体はあったので、現在の理由としては相対的に重要度に変化はないと思う。

 

 まず、1つ目の「仕事」よりも「人生」を楽しむという選択だが、これは女性に限らず男性の間でも増えていると思われる。現在も入社時からがむしゃらに働いて社内での出世を目指す人も多いが、一方でプライベートの時間を重視する人も増えている。

 ここで言うプライベートとはいわゆる「趣味」「休暇」などに限らず、スキル向上を意図したセミナー参加や資格取得なども含まれる。つまり「会社」と同じぐらい、もしくはより「個人」の将来を案じている

 

 名だたる大企業が終身雇用の廃止の意向を示し、リストラの対象は40代にまで低下、しかも業績は絶好調でも高給の中年以降の社員を切り捨てるのが一般化するなかで、若者が会社よりも自分の将来を最優先に考えるのは当たり前だろう。すでに「ザービス残業」という言葉はまともな企業では廃れている。

 

 これを後押ししているのが理由の2.にもつながるが、政府の働き方改革である。同一労働同一賃金をお題目にして、正社員の住宅手当、家族手当の削減はこの4月から一気に始まる。昨年の残業規制に続いて、総合職を含む正社員にとっては収入減に直結する。であれば最初から相対的に責任の大きい仕事が少ない「一般職」を選択するのは自然な流れだろう。

 

 というか、今後の大企業の新卒採用を予想すると、男女を問わずごく一部の幹部候補生と残り大部分の一般職員という2職種に集約されるのではないだろうか。

 

 記事にもあるが、補助的・定型的な業務はすでに非正規採用で対応しているうえ、今後AI機能の進展などでRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって現在正社員が担当している業務も相当部分が、自動化されるのは確実。総合職・一般職といった区分自体が意味を持たなくなるだろう。

 

 ここからは私の未来予想だが、今は「現在のお仕事は?」と聞かれた際に、会社務め(特に大企業)のサラリーマンは「〇×会社です」と社名で応対するのが一般的だが、これは通用しなくなる。おそらく「金融系のシステムエンジニアです」とか「中国相手の輸出関連です」といった具体的な職種が問われる時代になるだろう。

 

 自分のキャリアデザインを会社に丸投げしてきた40代後半以降の世代には厳しい世界だが、記事の「一般職希望の女子」に限らず、近年の一流大学の学生はすでに「名」よりも「実」を取りに動いている。

 採用側も、「会社単位」で「新卒を一括採用」する現在の制度から、「プロジェクト・事業単位」で「必要な人材を随時採用」に変わっていかざるを得ない時代はすぐそこまで来ていると思う。

 

株式市場を「目の敵」にする慶大准教授の理解しがたい暴論

ついに株式市場の「化けの皮」が剥がれ始めた(東洋経済オンライン)

小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授

  

 コロナウイルスの感染拡大で世界の株式市場が揺れている。24日のニューヨーク株式相場のダウ平均が前週末1031ドル下げたことで25日の日本の株式相場も急落、一時日経平均は同1000円以上下げた。25日の米国相場も大幅続落したことで、今日も下げ基調になる可能性は高い。

 

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 こうしたなか26日付けの東洋経済オンラインに「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」というタイトルの記事が掲載された。著者は慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンスで、1992年東京大学経済学部首席卒業したとのこと。株式投資関連の著書もあるようだ。

 

 この記事について感想を言えば、大学の准教授とは思えないほど、株式市場を敵視し、その相場形成に対して異常なまでの感情的な反応なのである。過去に株式市場とどのような経緯があったのかは知らないが、とにかくその常軌を逸した暴論の勢いが凄いのだ。

 

 まず、これまで株価が下がらなかった理由として「『押し目買いのチャンス』、『一時的な不安だからファクトを見れば買いだ』、という『嘘の情報』が流れたのだろうか」と指摘している。

 ここで言う「嘘」という決めつけが大学教授らしくない。「買い」かどうかは投資家自身の個々の判断であり、「嘘」かどうかは投資家が決めることだ。押し目買いだったかどうかも将来の結果として判別可能な話である。使うならば言葉としては「未確定」とか「不確実」といった表現が妥当だろう

 

 次に、「債券市場は、株式市場が理屈抜きのギャンブラー、狩人が多いのに対して、債券市場は合理的で理屈っぽい分析的な投資家が多い」というのも偏った見方だ。

 株式相場には証券会社を中心に、個別銘柄や業界のアナリストや相場全体を見るストラテジストといった分析のプロが多数いて、日々数値を駆使したレポートを作成しているのを知らないのだろうか。

 債券市場では、過去に米ソロモン・ブラザーズの東京支店の債券トレーダーだった明神茂氏は一時年収7億円を稼ぎ、長者番付に登場したし、JPモルガンの東京支店長だった藤巻健史氏も国債のディーリングで巨額の利益を出した。どちらも大きくポジションを取る文字通りプロの「ギャンブラー」である

 

 あえてその違いを表現するなら、債券市場に比べて株式市場に占める個人投資家の比率が高いと言うべきだろう。個人トレーダーには確かに日計り商いを繰り返す「イメージ通り」の投資家も存在する。もっとも比率的にはNISAを使った中長期の投資も一定比率存在するはずだ。

 金融庁のNISA・ジュニアNISA口座の利用状況調査 (2019 12 月末時点(速報値)によれば、NISA(一般・積み立て)の口座数は1365万もあるのである。

 毎年期末になると雑誌などで「株主優待」「高利回り」の銘柄特集を組むのも、中長期の資産形成に関心のある読者向けの記事のはずだ。

 

 記事では「より重要で、本質的、直接的な理由は、原油、為替はほとんどが先物市場であり、株式(部分的に債券も)は現物市場が少なくとも半分を占めるからである」としているが、この説明の意図もよくわからない。「現物でないからポジションの整理、転換は簡単である。だから、危機が来れば直ちに危機に合わせてポジションをチェンジすることができる」とのことだが、これは著者のいう「ギャンブラー」に近い存在ではないのか

 

 また最後に「株式市場は信じず、為替市場や金利市場や、原油市場を注視する」ことを勧めているが、これも一方的な見方だ。株式相場は「半年先の景気を見通す」と言われることがある。短期的なブレはあっても中長期では業績を反映した相場になっていることは過去の相場が証明している。

 

 しかも「為替市場や金利市場や、原油市場を注視」と言っているが、これらの市場が先物で占められていると先に述べていることを考慮すると、「個人投資家も先物相場に参入すべき」という結論になるのだが、リスク許容という点でこれははななだ疑問である。

 「注視」とまで書くなら、FX(外国為替証拠金取引」でレバレッジを1倍にして投資(実質的に現物と同じ)するとか、原油のETFを投資対象にするといった個人投資家向けの投資商品を紹介すべきだろう。

 

 現在のコロナウイルスに端を発する世界景気への影響が読み切れない以上、株式相場の下落がいつ、どこまで下がるのかは誰も確実な予想はできないはずだ。その意味では外為も債券も同じ金融商品である。

 あえて「株式」に特化して、批判の矛先を向ける著者の意図が分からない。