如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

改めて「スポーツの勝利至上主義」の意義を問う

スポーツ競技を別格扱いする異様さ

 

 25日に当該ブログで書いた「日本人は「五輪」「国際機関」「ノーベル賞」への信奉を改めるべきでは」は、はっきり言ってあまり評価はよくなかった。

 

 理由はいろいろ考えられるが、この3つをいまだに高く評価する人が多いのか、すでに分かり切ったことだったのか、詳細は不明だ。まあどう評価するかは個人の自由なので、ここではとやかく言わない。

 さて、世界最大のスポーツの祭典であるオリンピックに直接関連する訳ではないが、日本のスポーツ界、特に体育会系関係者の意識に対する内容で、過去に強烈な印象の記事があったことをふと思い出したので、ここで紹介しておきたい。

 

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 その記事は言論プラットフォーム「アゴラ」で約2年前の201832日に掲載された「はっきり言おう、“スポーツ馬鹿”は文字を書くな」である。

 この記事は、同年227日に日刊スポーツに掲載された記事「順番を間違ってないか、公立高の部活週休2日に疑問」に対する反論という形になっている。

 

 批判の対象となった元ネタの日刊スポーツの記事は、教員の働き方改革について「多忙でどうしようもないならば、部活でなく、授業を減らせばいい。学業指導は学習塾にかなりの部分を依存している現状で、仮に授業時間が3分の2になって、勉強ができなくなって困る生徒は、果たして、どれほどいるのだろう」と主張している。

 

 これに対してアゴラの記事を執筆した清谷真一氏は、冒頭で「率直に申し上げて、脳みその代わりに筋肉が入っている馬鹿は文字を書くんじゃないよ。こういうスポーツ先軍主義、スポーツ土人がいるから日本の民度が上がらない」と強烈に批判している。

 気が付いた方も多いとは思うが、通常このような批判をする場合は「文章」を書くな、という表現をするはずだが、清谷氏はあえて「文字」と表現していることに、怒りの大きさがにじみ出ている。

 

 清谷氏の主張に類似する最近の記事としては、325日の東洋経済オンラインに掲載された「五輪延期で日本人が考えるべきスポーツの意義」というタイトルの記事がある。

 この記事では「日本ではスポーツとは『生活をかけて精進する』一握りのアスリートのものであり、それ以外は傍観者にすぎない」とし、新型コロナウイルスが感染拡大する「命の危険があるような状況で、アスリートがスポーツをすることなどありえない、と意識をしなければならない」と結論付けている。

 

 異論反論はあろうかと思うが、個人的には日本のスポーツ界にまん延し続ける「根性絶対主義」や「勝利至上主義」の姿勢には反対の立場である。

 私自身は中学、高校と水泳部だったが、野球部のようなひどいレベルではないにしろ、部内のいじめや先輩からの「顔面への平手打ち」はあったし、自分も理不尽な暴力被害を受けた覚えはある。当時は先輩に反論できるような雰囲気ではないかったし、特にケガをしたわけでもないので問題視もしなかったが、今思えば完全なパワハラである。

 原因は競技会でたいした成績を残せなかったことだった。「成績不振は根性が足りない」という考えが当時の部活動の根底にあるのは言うまでもない。

 

 そもそもオリンピックが始まると、新聞紙面にメダル獲得数上位国のランキングが毎日掲載されること自体に、どこか違和感を感じる。グローバル化の進展で出身国と現在の国籍が異なる選手が代表選手となることも多い中で、国別のメダル獲得数競争にどれだけの意味があるのかという疑問もある。

 言うまでなく、メダルを取ることはとても名誉なことではあるが、あくまで結果であって取れなかったからといって、選手、関係者はもちろん応援した人も必要以上に落胆したり残念がったりする必要はないと思う。

 このような「勝ってこそ価値や意味がある」という意識が日本社会全体に深く根付いているので、非常識ともいえるスポーツの勝利至上主義がまかり通るのだ。

 

 別の具体例を挙げてみたい。毎年正月恒例の箱根駅伝だが、好記録を出した4年生の出場選手が「箱根駅伝を目標に頑張ってきたので、大学卒業後は陸上競技をやめます」と発言すると、一部の陸上関係者から「オリンピックのマラソンでメダルが狙えるのにもったいない」といった発言が聞かれる。

 

 陸上競技の長距離選手が何を最終目標にして頑張るかは本人の自由ではないか。本格的な競技スポーツは大学生までで、卒業後に社会人としてビジネスマンなど新たな世界を目指すことに他人がとやかくケチを付けるのは、はっきり言って「身勝手な意見の押し付け」であり「大きなお世話」である。

 

 大体、新聞業界で一般の全国紙が5紙(読売、朝日、毎日、産経、日経)なのに、スポーツ新聞の全国紙が4紙(日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、サンケイスポーツ)もあること自体が、日本のスポーツ競技に対する特殊かつ異様な存在意義を生み出し、維持し続けている諸悪の根源のように思えて仕方がないのだが。

日本人は「五輪」「国際機関」「ノーベル賞」への信奉を改めるべきでは

裏ではびこる主催団体のエゴイズム

 

 3月18日のブログで「オリンピックが「中止」ではなく、来年か再来年に「延期」される可能性が高いと思われる」と書いたが、24日付けの日本経済新聞電子版では「東京五輪1年程度延期、21年夏までに開催 首相とIOC会長」と報じられており、予想通りの結果となりそうだ。

 

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 株価はこの「延期」の方向性に反応したのかどうかは不明だが日経平均は急伸、7営業日ぶりに1万8000円台を回復している。ニューヨークなど他市場に比べて、下げ渋り感は強い。ここ数日米国株が急落、急伸しても、翌日の東京市場が反対の値動きをする傾向が目立っており、海外相場との連動性は弱まっているようにも見える。

 もっとも「延期」が確定となればまた違う動きが出る可能性もあるし、そもそも株価急落の主因である新型コロナウイルスの収束見通しが欧米を中心に立たない以上、株価は当面波乱含みの可能性が高い

 

 日本株の値動きが海外相場の影響を受けにくくなっていると書いたが、一方で、日本人の間では海外の権威を必要以上に崇め、評価する向きが多いように常々感じている。

 具体的には、「オリンピック」「国際機関」「ノーベル賞」の3つだ。世界中の国々を対象にした活動を否定する訳ではないが、日本ではこの3つに対する絶対的な評価が高すぎると思う。以下にその理由を挙げてみたい。

 

 まず最近最も話題となっているオリンピックだが、私の言いたいことが簡潔にまとめられているサイト「『日本人アスリート』差別の『ルール改定』の横行」を読んで頂きたい。この他にも水泳に特化した記事「実はルール違反ではなかった!?『潜水泳法』の複雑な国際事情」でも、欧米各国に有利なルール改定を行い、日本人を差別している実態を明らかにしている。

 主導権を欧米各国から選出された委員が握っているためだろうが、ここまで露骨に差別されると「怒り」を通り越して「呆れ」てしまう

 同じスポーツでも、テニスの全英オープン・ウインブルドンは、開催国の英国では男子シングルスは1936年以来80年以上英国人の優勝者が出ておらず、自国選手を優遇するような動きがないのとは対照的だ。イギリスも単独ではフェアな立場を維持するも、欧州各国が集まると欧米以外を排除するという「仲間意識」強まるのだろうか。

 

 次に国際機関だが、最近悪評で名高いのは世界保健機関(WHO)だろう。テドロス事務局長は3月12日にようやく新型コロナウイルスについて「パンデミック(世界的な大流行)とみなせる」と表明したが、その約1カ月前には産経新聞が「批判呼ぶテドロス事務局長の「中国擁護」 背景にWHOと中国の蜜月の仲」として批判記事を掲載、テドロス氏が1月22、23日に開催された緊急委員会で緊急事態宣言を見送ったことで、中国寄りの姿勢が各国のメディアで批判された、としている。

 

 各メディアの報道を読むと、同氏が中国から巨額インフラ投資を受けるエチオピアの元保健相・外相だったことが影響しているとの見方が大勢だ。

 中国がアフリカへの多額のインフラ投資を行い、各国への経済的な影響を強めていることは周知の事実だし、今回の中国への配慮もその一環と考えれば納得がいく

 

 最後がノーベル賞だ。毎年10月頃になると日本人が受賞するかどうかが話題となり、受賞者が出れば大いに世間が盛り上がるのは恒例になっている。

 確かに世界的に評価されるような研究は発明をしたのであれば立派だと思うし、その「功績」にケチをつける気はさらさらない。

 私が指摘したいのは、過去の受賞者の「国籍」である。

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文部科学統計要覧(平成31年版)から引用

 

 世界中から優秀な技術者を集めて、最新かつ高度な研究を進めるアメリカがトップなのは当然だろう。図表では黄色で色付けしたが、スウェーデンが5位というのに違和感を感じないだろうか

 長らく経済大国である日本が経済学賞を一度も受賞していないのに対して、スウェーデンはすべての分野で2回以上受賞している。しかも受賞資格がはっきりしないと言われている平和賞は5回、これも上位5番目の多さだ。

 

 科学技術は専門外なので間違った認識なのかもしれないが、自然科学分野の研究でスウェーデンが、ロシアやカナダよりも世界的に大きく貢献しているというイメージはない、というのが一般的な受け止め方ではなかろうか。

 

 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、選考は「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う、とされており個人的な見解だが、スウェーデンが受賞者の選考で大きな影響力を持っていることが影響しているのは間違いないだろう。

 

 以上「オリンピック」「WHO」「ノーベル賞」の3つを取り上げたが、どれにも共通するのは主導権を持つ勢力の意思とエゴイズムが大きく働いているという点だ。

 個人的にはオリンピックのメダリストやノーベル賞の受賞者には大きな敬意を払っている。ただ、日本人はメディアの影響もあるのだろうが、その裏で露骨な「身内びいき」が存在していることに、多くの日本人は気づいていないのではないだろうか。

 

 世界的なイベント、組織、表彰だからといった理由で、その実態を知ろうともせず必要以上に「美化」するのは、そろそろやめた方がいいと思う。

 

 今回のWHOの中国擁護の姿勢が世界中で報じられたことで、その権威が大きく失墜したのは確かだ。これを契機に他の世界的に認知度が高い分野でも、その本当の姿を見極める動きが出てくることを期待したい。

「在宅勤務」の想定外の普及で都心のオフィス、マンション需要は軟化へ

物件購入者の視線、「都心一辺倒」から「郊外」も視野に

 

 前回20日に掲載した記事「購入するならマンションよりも戸建てを勧めるワケ」には予想以上の反応があった。
 知り合いからは「何をいまさら」とも言われたのだが、都心部のマンションは供給こそ減ってはいるものの価格は高止まりしている。


 財閥系を中心とする大手デベロッパーがシェアを握ることで、体力に自信のある不動産会社は「値引き」戦略に出るまで追い込まれていないためだ。一方、飯田産業グループなどパワービルダーや工務店の手掛ける東京郊外の建売戸建て価格はここ2年間ほぼ横ばいだ(データは全国指定流通機構連絡協議会の(REINS Market Informationで検索可能)。

 

 低迷する契約率から見て、無理にマンションを購入する層は確実に減りつつあるとは思うが、一番気になるのは今回のコロナウイルス被害を受けて、都心部のオフィスやマンション需要に構造的な変化が起きる可能性があることだ。それは大企業を中心とする「リモートワーク」「在宅勤務」のここ1カ月ちょっとでの急激な普及と、その業務上の影響の評価によるものである。

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 子育て、介護などで在宅勤務の必要性は政府の働き方改革でも取り上げられてはいるが、現実には「掛け声倒れ」の感があったのは否めない。その状況下でコロナウイルスをきっかけに在宅勤務が「緊急かつ強制的に」導入されたのだが、財閥系大手商社では1社4000人規模で実施されているという。

 発表では3月末が期限のようだが、元々の期限は3月15日だったので再度延長になる可能性もある。予定通り3月末に終了したとしても、1カ月間数千人単位で実施した在宅勤務のメリット、デメリットが人事部門で精査されるのは間違いないだろう。

 

 ここから先は私の想像だが、会社の評価としては「総じて業務への影響は予想よりも小さかった」となるのではないか。現実に、在宅勤務で大きく通常の業務が滞ったというニュースは聞かないし、どちらかと言えば「業務を自宅でこなすのにスペースがない」とか「家事や私用と仕事の切り分けがしにくい」いった会社側よりも社員側の問題点の方がより浮き彫りになった気がする。

 

 私が勤める会社でも今月1日から「在宅勤務の推奨」が始まり、一般社員は言うに及ばず、部長など管理職も毎日誰かが交代で在宅勤務を始めるようになった。昨年から社員一人一人に業務用のノートPCが支給され、希望者には上長の「事前承認」を得て在宅勤務が可能だったのだが、この「承認」が事実上、前日までの「届出」でOKになったのだ。


 実際に、ここ数週間で午前中に埋まっている席は半分強程度になった感がある。在宅勤務制度の急激な導入でこのような状況になっても、社内の業務や手続きが滞ったという話はまったく聞かない。チャットやメール、ビデオ会議で事足りているのだ。これはおそらく他の会社でも同じ状況ではないだろうか。

 

 つまり、「出社してこそ仕事」という固定概念が瓦解し「成果を出してこそ仕事」という会社組織における意識改革が進むのは間違いないと言っていいだろう。この結果、正社員全員分までの机と椅子とロッカーは不要となり、オフィスに必要とされる面積は大きく削減されることになる。大手商社2社で8000人規模の社員が存在する訳だから、その半分が不要となるだけでも影響は大きい。しかもこの流れは数百社以上とされる子会社、孫会社にも影響するはずだ。

 

 そのうえ「商社で可能ならば」と、銀行を中心とする金融機関や、大手メーカーなども追随する公算が大きい。こうなると現在丸の内、大手町を中心とする高度にひっ迫したオフィス需要は一気に緩和する可能性がある。

 具体的には東京駅八重洲口駅前では現在、東京建物が「東京駅前八重洲一丁目東地区第一種市街地再開発事業」を敷地1.4ヘクタールの規模で開発中で、50階建てのビルを中心に2025年の竣工を目指している。このほかにも周辺にオフィスビルの供給予定は多数ある。需給関係から考えて、中長期的にオフィス過多となる可能性は低くない。

 

 一方社員の側から見ると、在宅勤務が普及すれば、共稼ぎ世帯が通勤や子育てのために都心の勤務先近くにバカ高いマンションなどを購入する必要性は当然ながら低くなる。夫婦のどちらかが交代で在宅勤務をすればいいだけの話だ。今回の感染予防のための時差出勤のさらなる普及も勤務体系に相当影響するはずだ。
 となれば住宅購入予定者の目が割安な郊外に向くのは必然。山手線のターミナル駅まで30~40分程度の駅は十分視野に入ってくるだろう。

 

 こうなるとマンションを予定していた人が、住環境を考慮して戸建てを選択肢に入れることも考えられる。あくまで私見だが東京市部の主要路線の駅で検討すると、駅から徒歩20分程度で土地35坪、床面積80平米台の庭、駐車場付き二階建て戸建てと、同じ駅から徒歩10分前後の同じ床面積のマンションはほぼ同じ価格だ(管理費、修繕積立金等も考慮)。

 

 資産価値という面では、現在の不動産市況では「駅からの距離」が最優先事項(徒歩7分以内等)になっているが、昨年水害を受けた武蔵小杉のタワーマンションを受けて、購入者がハザードマップを考慮する機運が今後高まるのは確実。特に人気の大規模マンションの場合、敷地面積が大きいので一部がハザードマップにかかるというリスクがあるが、戸建てであればピンポイントで地盤やハザードマップの確認が可能だ。

 

 以上結論をまとめると、今後在宅勤務の急速な普及で都心のオフィス、マンション需要は減少傾向を強め、郊外に住宅を求める勤労者が増える。この流れのなかで割安で安全な戸建てを検討対象にする向きが拡大する、ということになる。
 2022年には生産緑地の宅地化(東京では練馬と世田谷が多いらしい)も一定量は見込めることで、物件の選択肢が広まることも戸建て派の追い風になるのではないだろうか。

購入するならマンションよりも戸建てを勧めるワケ

現役時代は賃貸で、リタイアを契機に戸建て購入がオススメ

 

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 私が購読している定期購読しているメールマガジンがいくつかあるのだが、そのなかのひとつに「まんしょんオタクのマンションこぼれ話」というメルマガがある。

 

 まぐまぐの紹介文によれば「マンションのことなら誰よりもよく知る廣田信子がマンション住まいの方、これからマンションに住みたいと思っている方、マンションに関わるお仕事をされている方など、マンションに関わるすべての人へ、マンションを取り巻く様々なストーリーをお届けします」とあり、すでに発行本数は1300を超えて殿堂入り、まぐまぐ大賞2017も受賞している。

 

 平日は毎日届くので多忙な際には読み飛ばすこともあるのだが、内容が充実しているのでほぼ毎号読んでいる。

 紹介文にも書いたが、内容はマンションの運営に関わる管理組合の抱える問題や住民間のトラブルなどの解決事例を紹介するといったもので、具体例が豊富なので「戸建て派」の私も参考にはしていた。

 

 今回このメルマガを取り上げるのは、「やっぱりマンションは戸建てよりも騒音リスクが高い」と改めて感じさせる事例が紹介されていたからだ。

 

 該当のメルマガは19日に発行された1303号で、タイトルは「リノベ物件を子育て世代が購入するときに気を付けること」。

 内容を簡単に要約すると、3兄弟の子育て中で分譲マンションにする家族が、下階の住人から騒音の苦情が入るので、いろいろと配慮をしたが「何をやっても、やらなくても、下から突き上げられるドンドンドンと怒りの抗議音が響き、その度、心が萎えます」とのこと。

 その後、下階の住人からは「(騒音で失った)家内の健康を返してくれ」という郵便物まで届いて、ついに引っ越し(売却?)を決意するというもの。

 

 メルマガの著者は色々と原因を分析するものの、最終的に「ご自身の暮らしを守るために転居された方がいいと思います」と結論付けている。

 

 いつものメルマガの内容には、「マンションにはそういう解決方法もあるのか」と勉強になることも多いのだが、今回ばかりは読後に「やはり騒音問題を考えると購入するならマンションよりも戸建てが正解」と改めて認識させられた。

 

 私は普通のマンション以外にタワマンの上層階にも住んだ経験がある。合計するとこれまで10カ所近い集合住宅に住んできたが、このうち約半数で上下階もしくは左右住戸との騒音トラブルに巻き込まれている。当然ながら被害者の場合もあれば、加害者扱いされたこともあるので、今回の具体例は身近に感じた。

 

 以下は宅建士の資格を持つ私の持論でもあるのだが「住宅を購入するならマンションよりも戸建て」とかなり以前から主張している。

 今回の騒音問題もそうだが、マンションは自分一人では解決できない問題が戸建てよりも圧倒的に多いのだ。特に騒音は上下に限らず、左右の壁が薄い場合にも起きる。

 外部からの音への許容度は人によって異なるので、「気になる気にならない」は水掛け論になるケースが多いはずだ。

 

 他にも、マンションの場合、管理組合への参加義務があり、理事が当番制で回ってくる。運が悪ければ大規模修繕やマンション内の大きなトラブルに巻き込まれる可能性もある。問題解決を巡って理事会が揉め、これが住民全体を巻き込んで対立に発展、収拾がつかなくなることも珍しくない。

 

 また修繕については、管理組合の決定事項には従わざるを得ず、必要と決まれば一時金の徴収も免れない。戸建てと異なり、自分の都合で修繕の時期や費用を調整することはできないのだ。

 

 さらに言えば、特にタワマンの場合、地震や水害などで被災した際に、マンションの電源供給が停止、エレベーターはもちろん給排水もストップするためトイレも風呂も利用できなくなる。特に上層階に住んでいる場合は、徒歩で荷物を持って階段で移動したり、トイレの都度一階に降りるのでは事実上生活はできないだろう(簡易トイレは一時的な対応策でしかない)。

 

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 これが戸建ての場合は、少なくとも「上下」の騒音問題は発生しない。また私の住む地域では少子高齢化もあって、住民がメリット・デメリットを討論した結果「自治会は不要」との結論に至り、現在は解散、活動していない。同様の動きは周辺の戸建て地域でもあるとも聞いている。

 「被災時にはどうするのか」というのが最大の論点だったが、たまたま住民の中に20年以上消防団員を勤めた人がいて、「防災の基本は、自助7割、共助2割、公助1割」と聞かされ、各世帯が自主的に防災や被災時の対応をすることで決着した。

 

 ここで誤解のないように確認しておくが、私はマンションに「住む」ことを否定しているのではない。これまで述べたようなデメリットの一方で、総じて駅に近い、商業施設が充実、防犯上有利などマンションのメリットも十分承知している。

 つまり私が言いたいのはマンションに住みたいなら「購入」ではなく「賃貸」にすればよいということなのである。実際に私が過去に住んだマンションもすべて賃貸物件だ。

 

 タワマンの高層階に憧れる気持ちは理解できるし、実際に私も借りて住んだが、その眺望に満足しているのもせいぜい数カ月。変わらない景色はいずれ感動しなくなる。しかも洗濯物は干せないし、エレベーターの待ち時間などでストレスを感じることが多くなった。

 

 上下階との騒音も地震などの被災も、賃貸ならばさっさと引っ越せばいいだけの話。管理組合への参加義務もないので面倒な人間関係も基本的にかかわらずに済む。加えて、いろいろな街に住むことで地域への理解が深まるという副産物もある。

 

 雑誌などの特集では、よく「どっちが有利? 賃貸と購入」といった特集が掲載されるが、私の見解は「若いうちは多少不便でも賃貸で貯蓄に励み、現役引退が見えてきて、家族構成やライフスタイルが固まったら築10年ぐらいの戸建てを購入するというものだ。

 

 幸いなことに、不動産経済研究所によれば、都区部の分譲マンション平均価格が1月には1億円を超えるなど、マンション価格は高騰がつづいているが、郊外の戸建ての価格はほぼ横ばいと言っていい状態。今後の空き家率の向上を考えれば、中古の戸建てなら「相当安い」価格で購入できるようになる可能性が高い。

 

 マンション購入を勧める向きが必ず口にするのは「資産価値の落ちない物件」というキーワードなのだが、相対的に資産価値が落ちにくいとされる都区部の1億円を超える物件を無理なく購入できる層が、どれほどいるのだろうか。購入希望層の現実を見ずに不動産会社にすり寄った発言としか思えない。

 

 戸建てでも修繕費用を考慮する必要は当然あるが、私の経験ではごく普通の戸建てだが15年おきに屋根と外壁の塗装で費用は100万円程度で済んでいる。月額換算で5555円ほどだ。

 マンションのような毎月数万円単位の管理費、修繕積立金はかからない。駐車場も家の前にあって便利だし駐車場代も不要だ。

 

 騒音などの人間関係の問題に加えて、おカネという側面からも「戸建ての優位性」は明らかだと思っている。

東京五輪、延期や中止なら記念になるかも――840円の聖火リレー特殊切手

手ごろな記念品としていかがかと

 新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中でちょっと気が引けるのだが、関心のある方もいるかとは思うので、今回はいつもと趣向を変えて「東京オリンピック・パラリンピック」に関連して、個人的な今後の見通しと関連するちょっとした記念品を紹介したい。

 

 先週あたりから欧米でのウイルスの急激な感染拡大を受けて、7月開催の東京オリンピック・パラリンピックが予定通り開催できるのか疑問の声が出始めている。

 日本経済新聞は17日の電子版で「現実味帯びる五輪Xデー 中止・無観客・延期、どれも難問」というタイトルの記事を配信、記事の最後に「世界の状況を見る限り、不都合な現実と向き合うときは確実に近づいている」といずれかの選択を迫られることを示唆している。

 

 実際問題として、仮に感染発信源の中国や、開催国の日本の患者数が今後収束に向かうとしても数カ月以内に感染患者数がゼロになる訳ではないし、むしろイタリアを中心に他の欧州各国や米国の感染が本格化するのはこれからとの見方が大勢。

 たとえ開催国側の準備が間に合ったとしても、肝心の選手を送り出す欧米の主要国が参加を見送れば、現実には開催は不可能だろう。

 

 あまり考えたくないが、仮に7月開催が見送られた場合、国内景気が大きな影響を受け、株式市場に大きな激震が走るのは間違いなさそうだが、個人的には株価の暴落は一時的なもので、日経平均は年内にも2万円台を回復すると想定している(17日終値は1万7011円53銭)。

 

 その理由は2つ。まず今回の新型ウイルスは感染力こそ強いものの、死亡率は過去のパンデミックと比べて低く、中国を中心に回復する患者が増えていること。

 1830年のスペイン風邪のような世界中で何千万人も死亡するようなパニックにはならない可能性が大きいだろう。収束の兆しが見えてくれば悲観論は自然に薄らいでいくと考えられる。

 

 もうひとつは、オリンピックが「中止」ではなく、来年か再来年に「延期」される可能性が高いと思われること。スポンサーや放映権など多額の利権が絡むオリンピックの開催自体を取りやめるという発想は開催の決定権を持つ国際オリンピック委員会にもないはずだ。

 であれば、オリンピック関連の各種事業は先送りされただけで、予定変更の範囲内で収まると冷静に考える関係者が多数を占めるようになるはずだ。

 

 とは言え、2020年の開催がなくなるとなれば、話題を集めるのは「幻のオリンピック関連商品」となるのは容易に想像できる。

 

 今回紹介するのは、オリンピック関連商品として現在販売中の記念切手(正しくは特殊切手)だ。

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 正式名称は「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会 東京2020聖火リレー」で、84円切手が2種類で5枚づつ計10枚で1シートになっている(価格は840円)。

 実は五輪関連の記念切手は昨年にも発売されているのだが、期間限定だったため郵便局ではすでに購入はできない。オークションで購入する手もあるが、値上がりを見越して出品がすでに少なっているうえ、出回っている商品も価格は高騰しているので手は出しにくい。

 

 一方、今回紹介した「聖火リレー」切手は、まだ発売されてから1週間あまりとあって地元の郵便局にも在庫はあった。ちなみに最も規模が大きいとされる東京中央郵便局に17日に問い合わせたところ「まだ十分に在庫はある」とのことだった。ただし取り置きは不可とのこと。

 

 ただ、今後実際に先送りの方向性が固まれば、各種メディアの報道などをきっかけに人気化することは十分に考えられる。私の場合は将来の値上がり期待で買うというよりは、「幻の五輪」の記念品としてなら840円は安い買い物ではないかと思って購入した訳だが。

 ちなみに画像は切手の「解説書」と呼ばれるもので、無料だが窓口で言わないともらえないので注意されたい。

 

 ということで、いつもの真面目な話題とは違ったテーマとなったが、関心を持たれた方は参考にしてもらえればと思う。

障害年金を本人が「申請」するのは難易度高レベル

社労士に依頼するのもアリだが・・・

 障害年金は、国民年金や厚生年金を支払ってきた勤労者にとっては、病気やケガで仕事ができなくなった際に収入面でとても頼りになる「保険」のようなものである。

 年金という名目にはなっているが、実際には障がい者となった場合に申請、受給できるもので、一定の年齢に達すれば自動的に受け取れる「老齢年金」とはまったく概念が異なるものだと言える。 

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 私の昔からの友人で、うつ病にかかって障害年金を申請したが受理されず、私が相談に乗って申請の手伝いをして何とか受給できるようになった人がいるのだが、やや古い記事でなぜか3月15日のプレジデントオンラインのトップページに「うつ女性『月6.5万円の障害年金』再開への執念」という記事が掲載された。

 

 記事の趣旨は、30代の女性が20代からうつ病で引きこもり状態となり障害年金を受給していたが、更新時に提出した医師の診断書が原因で受給停止となってしまう。母親が困って社会保険労務士である著者に相談し、問題の解決を図るという内容だ。

 

 私の友人の場合は「新規申請」、記事の事例は「継続申請」という違いはあるのだが、申請が受理されなかった経緯が似ているので、参考までに私の個人的な経験として、「障害年金」を申請、受給するまでの流れを紹介したい。うつ病で会社を休んでいる人や休む予定で障害年金を申請しようと検討している人にとって多少なりとも役に立てればと思う。

 

 まず最初に言いたいのは、「障害年金の受給のハードルは想像以上に高い」ということだ。

 これは極端な事例なのかもしれないが実際に友人が年金事務所に障害年金の相談に出向いた際に窓口で言われた言葉に「本人が年金事務所に自分1人で来れるぐらいなら障害年金は不要では?」があったそうだ。

 

 この指摘はうつ病で苦しんでいる状況で、気力と体力を振り絞って相談した本人にとっては、かなり堪えたらしい。本人曰く「まずは水際で申請を受け付けないようにしようという意図が感じられた」とそうだから、巷で言われる市役所の窓口で生活保護申請をするのと似たような状況だったと想定される。

 

 とは言え、本人は苦労して出向いたので何とか申請の意思表示をして必要な書類一式を書かれた案内書を受け取ってきた。必要な資料には戸籍謄本など比較的容易に取得できるものもあるのだが、申請にあたって問題になったのは「医師の診断書」と「病歴・就労状況等申立書」の2点だ。

 

 障害年金関連の各種案内サイトにも書かれているが、他の書類に不備がなければ申請が受理されるかどうかはこの2点で決まると考えていいだろう。特に医師の診断書は決定的な要因になるようだ。

 当然ながら精神科や心療内科の医師に書いてもらう訳だが、この医師の障害年金申請のための診断書記載の「経験の度合い」によって、同じ症状でも申請書の受理されるかどうかが決まるのである。

 

 具体的な内容には詳しく踏み込まないが、日常生活の状況や、就業の可否などを段階評価するのだが、これらが一定レベル以下の評点でないと「障害年金支給に該当しない」と判断される仕組みになっている。この評点の仕掛けを理解していない医師に診断書を任せると、当然ながら不受理の可能性が当然ながら高くなる。

 

 友人の場合は、家庭での日常生活や就業には困難な側面が大きいのだが、診察を受けるために病院に行く際には数日前から体調を整えて、ある程度普通の会話ができるような状態であったうえ、障害年金申請の診断書に不慣れな医師だったことで、「見た目のまま」診断書が書かれたことが、不受理の要因のひとつになっていたと思われる。

 

 そこで私が本人からの相談を受けて診断書の項目を確認、現在かかっている医師では内容の大きな変更は難しいと考えた結果、本人とも相談のうえ障害年金に精通した精神科のクリニックを紹介、受信当日は普段の状態のまま行かせるため私も病院に付き添い、病状などで本人がうまく説明できない部分については補足説明して、診断書作成の手伝いをさせてもらった。

 

 もうひとつの問題は「病歴・就労状況等申立書」だ。こちらも私が資料の作成を手伝ったのだが、初診日から現在に至るまで通院したすべての病院・診療所を時系列で1日も欠けることなく、病歴や症状、投薬などの履歴を書く必要がある。

 

 友人の場合は、医師との相性の問題などもあって心療内科などを10年近く転々としたので、記憶が定かでなく「切れ目なく」履歴を書くのは困難を極めた。

 私も通院歴などを調べる手伝いぐらいはしたかったのだが、病院側は個人情報保護の問題もあって、本人でないと教えられないと言うし、本人に治療履歴を書面で請求することを要求するところも多く、申立書に必要な資料が揃うまでに数カ月を要した。

 

 しかも、病歴と症状の履歴には一貫した整合性がないと受理されないらしいので、本人が取り寄せた資料から書いた内容を私が確認して、矛盾がないかどうかを確認するのにとても苦労した。

 幸いだったのは、履歴の記載にあたって「手書き」ではなく「ワープロ」文書の切り貼りでもOKだったことで、これは非常に助かった。これが本人の手書きしか認められなかったらと思うと恐ろしい。

 

 申請から数カ月してようやく無事に受理され、障害厚生年金3級が受給できるようになった。本人が言うには「自分一人ではとても承認されなかっただろう」と感謝されたが、これは本音だと思う。当然だが私は一切の報酬を受け取っていない。あくまで友情から手助けをしただけであって、申請が受理される確信はなかったからだ

 

 記事のように社会保険労務士に頼む手もあるが、成功報酬として年金額の2か月分ぐらいは請求されるので貯蓄が乏しい人には厳しい面もあるし、昨今は障害年金申請をウリにする社労士も増えて、手際の良さなどの対応が玉石混交になっているとも聞く。

 

 ノウハウがあって良心的な社労士に出会うのが最善だとは思うが、どうにも自分では手掛けられないという重症でない限り、ダメもとで一度自分で申請書類にチャレンジしてみる価値はあると思う。自分の病歴を改めて振り返ってみるのも、現状認識と今後の治療方針の指針になるかもしれない。

 

 繰り返しになるが、最も重要なのは障害年金の申請に精通した医師に「診断書」を書いてもらうことで、次が「病歴・就労状況等申立書」をいかに整合性のとれた説得力のある内容にするかだ。

 本記事のタイトルとは矛盾するようだが、この2点をクリアできれば、障害年金の受給は決してクリアが厳しい「難敵」ではないはずだ。

社会人は「学ぶ」ことを止めたらジ・エンド――学びの目的は様々

高学歴でも「学ばないおじさん」の目に余る怠惰(東洋経済オンライン)

横山 信弘 : 経営コラムニスト

  

「働かないおじさん」より深刻なのは、社会に出てから仕事に直接関わる「実務」の勉強以外、まったく自己研鑽しようとしない「学ばないおじさん」――という趣旨の記事「高学歴でも『学ばないおじさん』の目に余る怠惰」が3月13日付けの東洋経済オンラインに掲載された。 

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 著者は、企業の現場に入り、目標を「絶対達成」させるコンサルタントを自認する横山信弘氏。経歴によれば大企業から中小企業にいたるまで、200社以上を支援した実績を持つそうだ。

 想像するに、近年東大卒に人気の外資系のコンサルティング会社の「理論先行派」とは180度方向が異なる、いわゆる「現場重視派」と言えるだろう。

 

 私自身、「理論派」のコンサルタントを何人も見てきたが、学歴と外見(服飾など)と会社名は確かに立派なのだが、どうにも「自分たちの提案する経営の最新理論が正しい」という意識が強く、簡単に言えば「現場は理論に従えばいい」と押し付ける担当者が多かった。今で言えば悪い意味の「意識高い系」の典型だ。

 依頼する会社の上層部も、こういう「見掛け」属性の高いコンサルの話に乗ってしまうので、中間管理職たちは実態を知りつつも業務上「仕方なく」コンサル様の講義を聞いていた人も少なくないと思う。

 

 話を戻すと、今回のテーマは「コンサルタントの質」ではなく、コンサルを受ける「会社側の管理職」の問題である。

 冒頭にも書いたが著者は、現在会社の人事部門で問題になっているのは「働かないおじさん」という時代はとうに通り過ぎて、今は「学ばないおじさん」になっていると指摘している。そして「そんな『学ばないおじさん』が組織のミドル層に巣くっていたら、外部からやってきた経営者(とくに外資系)に一発で退場」と断言している。

 

 ここまでの話は正しいと言っていい。日々のビジネスの世界が変化していく中で、常に「学んで」いなければ後れを取るのは必至だからだ。特に成長も競争の激しいI Tなどの業界ではその傾向は顕著だろう。最新の技術情報に精通したうえで、マネジメント手法にも通じていなければ、管理職は勤まらない。

 

 昨年来「黒字リストラ」が始まり、その対象年齢が40代まで低下してきたことは広く知られるところだが、私のような50代後半になると、多くの企業では「役職定年」が実施されており、同世代の大半が役職も部下もなくなり、給料もカットされ、大きな仕事も任されないというのが実態だろう。

 つまり、会社からは仕事ではまったく期待されていないのだが、クビにするまで経営は追い込まれていないので、とりあえず席(籍)だけは確保され、いわば「飼い殺し」のような状況にある人が相当数いると思う。

 

 私の場合も、55歳でいきなり会社での立場が激変した際には戸惑いを隠せなかったが、現在では「仕事の成果ではなく、勤務時間を会社に売っている」という割り切った認識に改めた。

 ここで誤解されないように書いておくと、私は会社で「のんべんだらりん」とした怠惰な時間を過ごしている訳ではない。これまでの会社一筋の人生を方向転換して、定年後の第二の人生に向けて過去の経験を生かして、新たな知識、人脈、ノウハウを作る方向にエネルギーを使っているのであって、無為に過ごしているのではないと断っておく。

 

 「会社から給料を貰っておいて仕事をしないのか」という批判もあるだろうが、そもそも大した仕事も任されず、会議にも呼ばれず、業績への貢献も求められていない状況で、「何もしないで不貞腐れている」よりは、よっぽど前向きではないだろうか。

 

 個人としては、会社から与えられた役職定年以降の期間は、「自分の将来の人生設計を描くための猶予期間」だと認識している。つまり経営側からすれば「会社を頼らず、自分で生きていく術を考えろ」というメッセージだ。

 このように発想を転換すれば「会社は俺を見捨てた」とか「自分はまだ仕事ができるのに」といった不満はなくなるはずで、将来に向けて様々なことを「学ぶ」ことも当然のことになる。

 

 ただ、私の言う「学ぶ」は著者のいう概念とは異なるだろう。著者は「会社の経営に携わる者の常識として」学びが必要との指摘だが、私の意図する学ぶは「会社を離れても自分で生きていける術」を習得するためである。つまり「会社」のためではなく「自分」のための学びなのだ。

 

 とはいえ長い人生、「学ぶ」ことを止めてしまったら、その時点から「凋落」が始まるという点では一致しているとは感じた。

12月購入の4Kテレビ、早くも生産中止――「4Kテレビ難民」発生?

昨年10月の発売からわずか5カ月で

 

 昨年末に待望の4K液晶テレビを購入したことを12月30日のブログ「ようやく4Kテレビを購入――地デジの画質アップが想像以上」で書いたが、私の購入したパナソニックのGX855シリーズの一部の機種がすでに生産中止になっていた。

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 パナソニックのWebサイトで生産中止のマーク「」が確認できるのは、65型と55型の2機種で、49型と43型はまだ生産・販売が続いている模様だが、肝心の液晶パネルの調達先は同一の可能性が高いため、早晩この2機種も生産中止になる可能性が高い。もっとも、ヨドバシカメラでは43型はすでに販売終了扱いとなっている。

 

 ここ1年のパナソニックの4K液晶テレビの動きは非常に激しい。昨年1月に発売されたGX850シリーズは9月に生産中止となり、同月に後継機種(GX855)を発表、10月に発売を開始した。

 売れ行きがトップだったGX850がわずか8カ月の寿命というのも異例ではあったが、このモデルチェンジには、同グレードの他社製品が4K放送を受信するチューナーを2つ備えていたのに対して、パナソニックが1つしかなく競争力を維持するためという明確な「狙い」があった。

 

 ところが今回の生産中止は前回に相当するような「あえて生産中止」にする理由が見当たらないのである。昨年10月のモデルチェンジによって他社に機能的には遜色ないどころか、リモコンに音声操作機能を搭載したり、Amazonのアレクサ機能に対応するなど、優位な部分もある。

 ちなみに購入前はあまり期待していなかった音声操作機能だが、実際に使ってみると想像以上にレスポンスはいい。特にYouTubuで動画を検索する際には、一文字づつボタン操作で入力するよりははるかに効率的だ。もはや手入力は考えられない。

 

 しかも今回の生産中止は昨年のモデルチェンジからたったの5カ月足らずである。前回の8カ月(1月発売・9月生産中止)よりも3か月も短いうえに、後継機種の発表も現時点ではない。3月から4月にかけては新年度入りの新生活などで最も家電製品が売れる時期にもかかわらずである。

 

 ここから先は個人的な想像になるが、パナソニックを含めて国内テレビメーカーは液晶パネルを中国を中心とする海外からの輸入に依存しており、昨今のコロナウイルスの混乱で工場の生産が止まり、液晶パネルの供給が困難になったことが影響しているのではないか。

 

 65型と55型が先行して生産中止になったのは、このサイズのテレビ購入者は「液晶」よりも「有機EL」を選択する傾向があるため、元々の生産台数を抑えていた可能性もある。実際にパナソニックの55型で比較するとヨドバシカメラでは、液晶(GX855)が20万8020円(税込み)に対して、有機EL(GZ1000)は24万3580円と3万数千円しか価格差がない。これでは画質を比較すれば有機ELを選択するのが当然だろう。

 

 先のヨドバシカメラでは49型の販売終了も近い模様で、現時点で在庫はあるものの価格は14万6300円と今年に入って底値圏の価格となっている。購入を予定している人は急いだほうがいいだろう。画質や機能は不満がないレベルであることは間違いないと個人的には思う。特に地上波放送の画質アップには驚くはずだ。もっともリモコンの大きさや操作性は他社とだいぶ異なるので実機で確認した方がいいだろう。

 

 懸念しているのは、本当に中国の生産工場が機能停止し、今後も液晶パネルの供給が停滞するとなると、顧客が4Kテレビを購入しようとしても、店頭に「モノがない」という状態になりかねないことだ。

 国内メーカーがほぼすべて液晶パネルを海外から輸入している状況から考えて、パナソニック以外にも充てはまるのではないだろうか。特に有機ELパネルは全生産を韓国のLG社に依存しているだけに、問題が起きれば一気に表面化する。

 

 先行きに不透明感が強まっているが、予定通り東京五輪が開催されるとなれば、これから夏に向けて4Kテレビへのニーズが拡大するのは確実。このままだと欲しくても買えない「4Kテレビ難民」が大量に発生、社会問題化する可能性もある。

 

 もっとも生産中止の原因が他にあって、パナソニックが早晩新しいモデルを発表して、オリンピック需要に応えるような対応をすることも十分に考えられる。国内では依然高いブランド力を持つだけに、こちらの可能性の方が高いかもしれない。

 

 個人的には、手持ちのテレビが寿命を迎えていて買い替えが必要なら、今のうちに購入しておいてもいいのではないかと思う。最近のマスク騒動のように疫病や人命に関するような深刻な問題ではないだろうが、いざ買おうとしたら「モノがない」というのはストレスになるのは確実だろう。

  4月に入って「4Kテレビ難民」のような言葉が流行らないことを願っている。

またも出現「狭小マンション」、2015年の再来か

東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情(東洋経済オンライン)

一井 純 : 東洋経済 記者

 

 土地、工事費などが高騰し、マンション価格が高騰すると一般のサラリーマンの手には届きにくくなる。これを解消するためには「専有面積」を狭くするしかない――このような趣旨の記事「東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情」が3月9日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

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 不動産経済研究所が発表した2020年1月度の首都圏のマンション市場動向によれば、東京都区部の地域別平均価格は前月比38.7%アップの1億511万円と1億円の大台に乗せている。これは都区部の集計だから人気の都心3区ではさらに高いはずで、もはや並のパワーカップルでは買いたくても買えない水準にまで上昇してしまった。

 

 この価格高騰の影響が新築マンション市場を直撃、記事にあるような葛飾区の「3LDKといっても、実は専有面積は54.37平方メートルしかない」といった物件が登場している訳だ。

 具体的には、各部屋の面積を縮小させるほか、収納スペースも激減して対応しているようだ。他にも私が知るところでは、郊外の7000万円台からのマンションでも通路から玄関を引っ込ませるアルコープをなくすなどの「さりげない工夫」も散見される。

 記事では「大手でも、50平方メートル台のファミリー向け住戸が登場するのは、時間の問題かもしれない」と予想しているが、これは現在の不動産市況が続けば確実だろう。デベロッパーはとにかくマンションを売らなければ、事業が成り立たないからだ。

 

 一部の大手はオフィス部門を強化し、住宅部門は縮小しているが、それでもゼロという訳にはいかないだろう。しかも郊外のマンションは不人気化が収まらず、竣工後1年を経ても売れ残ったため品確法上「新築」と名乗れない物件が続出しているのが実態。都心へのアクセスが良いエリアに無理してでも建てざるを得ない状況にある。

 

 実はこれと似たような現象は最近では2015年にも起きていて、東洋経済オンラインでも同年8月2日に「都心で超狭2LDKマンション大ヒットの理由」として記事化している。

 このなかで「思い返せば、2000年ごろに都心部を中心に『狭小住宅ブーム』が起こったが、それ以来、『都市の諸機能を自分の生活の場としながらコンパクトライフを送る』という流れがずっと続いている」と書かれているが、価格の高騰⇒専有面積の縮小という「流れ」は過去も将来も関係なく存在するようだ。

 

 問題は、50平米台の3LDKでまともな生活ができるのかだろう。個人的には50平米台なら2LDKとするのが常識だと思う。部屋数が増えても肝心の各部屋の面積が狭ければ使い勝手は悪い。部屋数は少なくても面積が広い方が利便性は高いはずだ。

 無理に「3LDK」という言葉で顧客にアピールするのは、長い目で見れば名前だけの貧相な物件を積み増す結果となるだけなので、将来の売却を考えるのであれば「3LDK狭小マンション」は避けた方がいいと思う。

 

 総務省の「平成 30 年住宅・土地統計調査」によれば、平成30年の空き家率は13.6%と過去最高。伸び率は縮小しているが、今後都市部でも世帯数の減少が見込まれるなか、都区部の戸建てのほかに、郊外のニュータウンなどでも相続による空き家の増加は確実。2022年に生産緑地のかなりエリアが宅地化される影響も無視できない。

 住宅へのニーズが減る一方で供給は増加の一途、買い手がより良好な住環境を選べるようになれば、将来の売却を考えた場合、わざわざ中古の50平米の3LDKが人気を集めるとは考えにくい

 

 記事では、収納をトランクルームへと「外注」、ラウンジを応接室に、書斎を共用施設へと「移設」することで対応する動きが出ているとしている。要するに「子供のいない共働き夫婦には狭い面積でも十分」という論理だ。

  確かに近年の「断捨離」などの動きや、カーシェアリング、リモートワークオフィスなどの普及を考えれば、「所有から利用」という省スペース化の流れは続いていくのだろう。

 

 若い世代には「住まいは寝ることが確保できれば十分」という発想があってもおかしくはない。

 ただ郊外の比較的広い空き家が増える一方で、都心は狭小を極めたマンションが人気化するというのは、過去の記事にもあるように結局は「数年ごとのブーム」でしかないように思う。

 

 無理をして「狭小マンション」を購入しても、得られるのは「区分所有権の取得」という自己満足という結果に終わる可能性が高いとだろう。もちろんこれは個人的な感想なので、あくまで1人の宅建士の参考意見として捉えてほしい。

次期フリードの概要が見えてきた――新型フィットから予想

視界は良好、シフトレバーが直線型に変更に

 

 2月にようやく発売されたホンダのフィットを、発売当日にHondaウェルカムプラザ青山と先日地元のディーラーで展示車を見てきた。

 ただし、ウェルカムプラザは現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月13日まで臨時休館中なので、フィットを見るのは販売店に行くしかない。

 今回見たのはフィットだが、私が購入を予定しているのは過去のブログでも書いているが次期フルモデルチェンジのフリードである(2022年説が有力らしい)。

 

 ではなぜフィットを見て、ブログに書くのかと言えば、新型フィットのかなりの部分を次期フリードが継承することになるはずだからだ。同じ5ナンバー(フィットのクロススターを除く)で全長は30cmも違わないし、エンジンのサイズもハイブリッドは1500ccで同格。価格帯はややフリードが高めだが、どちらもファミリー層を主力ターゲットにしている。

 フィットの新機能や新たな仕様変更は、そのまま次期フリードにも採用されると個人的には勝手に「解釈」し、「確信」しているのである。よって本ブログを読まれる方はあくまで主観を前提にしたもので確実ではないことを伝えておきたい。

 

 展示車なので試乗はしていないので、あくまで「見た目」の印象になるが、それでもある程度のイメージはつかめたので、一般的な「おじさん休日ドライバー」としての感想を述べてみたい。走行性能などはベストカーなどの専門誌の方が正確で詳しいはずなのでそちらを参考にしてほしい。

 ちなみに私はクルマのデザインとかには疎いので、あくまで実用性という観点からの感想になる。

 

 まず第一印象として、「運転席からの前面の視野が広がった」ことを挙げたい。特にAピラーと呼ばれる一番前の左右の支柱が細くなったので、90度近い視野角がある。Aピラーの細さは比較していないが、感覚としては半分ぐらいになった印象だ。

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 代わりにというかAピラーをすぐ後ろにあるハンドル横支柱はフリードよりも太いので、左右についてはやや視界は狭くなっているようにも感じた。衝突時の安全性確保のため仕方がないのだろうが。

 

 次に目に留まったのがギアシフトレバー。旧フィットや現行フリードのハイブリッドは小さなレバーを上下左右にカチャカチャと少し動かしてギアを変更、レバーは自動的に中心に復帰するタイプなのだが、これが一般的なオートマ車、CVT車の前後一直線型に変更になった。(下図の左が新型フィット、右が現行フリード)

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  これはディーラーの担当者に聞けば、「お客様から以前の方式の方が使いやすい」との要望が強かったためだそうだ。これは次期フリードにも引き継がれるのは間違いないらしい。個人的にも「前後一直線」型の方がわかりやすいので、ありがたいのは確か。

  ただ、フリードは前席左右がウォークスルーなので、シフトレバーをハンドルの左脇のインパネ近くに配置せざるを得ない。となるとフィットのような長いレバーの作動幅は確保できない。イメージとしては現行のN-BOXのような上下の作動幅の短いシフトレバーになりそうだ(下図参照)。慣れの問題かもしれないが、当初は戸惑うかもしれない。

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  あと気になったのはボディカラー。青系の設定がフィットには3色あるが、緑系は1色もない。現行フリードの「シルバーミストグリーン」はディーラーでも人気色だと言っていたので、今後追加設定されるかもしれない。そういえば昨年秋のマイナーチェンジ前に存在した「濃い緑」も発売後に追加されたカラーだった。

                                            f:id:kisaragisatsuki:20200307232733p:plain

 あと実用面で意外だったのが、燃料タンクの容量32Lから40Lに20%以上増えたことで、これは予想外のうれしい誤算だった。現行のフリードも36Lしかなく、ガソリン車だと一回の給油で実質300km台しか走れないというのは「長距離を走るならハイブリッドを選べ」と言われるのに等しいと言われても仕方のないタンク容量だった。

 

 これが新型フリードにも適用されて、タンク容量が40L台半ばになればハイブリッドなら800kmは無給油で走れそうだ。ガソリンスタンドに行く頻度も減らせる。

 

 最も気になる新型ハイブリッド「e-HEV」の走行性能と、最新の安全装備のHonda SENSINGの機能だが、これについては後日試乗した段階で改めて報告したい。

 

 気になると言えば、フィットと言えば「リコール」である。前モデルでは一年間に5回もリコールがあり、ユーザーの不評を買ったのは記憶に新しいところ。

 そもそも新型フィットも当初の発売予定は昨年11月だったが、電動パーキングブレーキの不備で発売が延期された経緯がある。今回はリコールとは無縁であってほしいのだが。

 

 軽自動車とトヨタばかりが元気な新車市場で、ホンダのフィットがどこまで人気を集めるのか見守りつつ、今後も次期フリード情報の収集に努めたい。