如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

休業要請対象外の「理髪店」、独立系の低価格店に注目

全国チェーンQBハウスの臨時休業で 

 

 政府の緊急事態宣言を受けた東京都内の事業者への休業要請について、都と政府は「百貨店」や「理髪店」は対象から除く方向で調整中で、10日にも結論が出るらしい。

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 個人的な事情を話せば何となく「嫌な予感」がしたので、「理髪店」が俎上に上がる前の3月28日にちょっと早かったが日頃通っている低料金の理容室で散髪を済ませた。ちなみに外出自粛の影響か客は少なくガラガラだった。

 さて、東京都が理髪店を休業要請の対象にしたいのは、「待合室で人が隣合わせ」になり、「理髪の際に担当者と接触」し、「店自体も小規模で換気が不十分」という、いわゆる「3密」の状態だと判断したためだろう。

 これは「感染予防」という点では理屈が通っているようにも思えるのだが、「個人・家族経営の多い理髪店」にとっては死活問題だろう。

 

 顧客にとっても不便なことは間違いない。行きつけの理容師に聞いところ、髪を今までよりかなり短くする男性が増えていて、散髪にくる間隔が伸びつつあるとは言っていたが、それでも1カ月を目安に来店する人がまだ多いらしい。5月6日まで休業となれば、3月上旬に散髪に行った人は2カ月も間隔が空くことになる。

 

 最終的に理髪店は対象から外れる方向のようなので制度的には問題ないのだろうが、たとえ対象外となっても個人・家族経営の理髪店の苦境は続く一方で、「独立系の低価格店」が存在感を増すと観ている

 

 住宅街や地元の商店街などに多いフルサービス理髪店(客単価4000円程度)への影響は大きいだろう。大体1時間ぐらいは椅子に固定されて理容師と密着することになるし、髭剃りでは刃による感染を気にする人もいるはずだ。また直接的な影響ではないが景気悪化による収入減少への不安から「不要不急」の散髪を先送りする人もいるだろう。

 

 こうなると、駅前などに立地する「髪切り」に特化した低価格、短時間が特徴の理髪店(QBハウスなど)は、待ち時間も短く、接触時間も少なく、髭剃りのリスクもないので「追い風」になるはすなのだが、そのQBハウスは7日、7都府県の営業を「4月10日から当面の間を臨時休業する」と発表している。

 もっともこの「当面の間」というのがクセモノで、緊急事態宣言の期限である5月6日となっていないことが気になる。東京都が対象外を正式発表し、顧客からの開店要請が集まれば、4月中にも「感染防止策の徹底」を宣言して、営業を再開するのではないだろうか

 

 こうしたなかで、注目しているのが私も行き付けにしている「小規模事業者の低価格店」だ。QBハウスのような全国チェーンではなく、各店舗は独立経営。在籍する理容師は数名から多くても10名程度で、洗髪、髭剃り込みのフルサービスなのに1600円(税込)からという価格設定である。低価格の理由は徹底した効率化だ。洗髪・髭剃りと調髪の分業制で、一人当たりの時間は約30分だ。

 私の住む東京市部であれば、駅の近くにも結構な数の店舗があるはずだ。もっとも派手な広告や看板などは出していないので探さないと見つけにくい。

 

 私の行く店舗も含めてこのような理容室は、規制対処外となったことで営業を継続する模様だ。こうしたなか「髪は切りたいがコストは抑えたい、けれどもQBハウスは休業中」で困っている男性の間は少なくないだろう。

 彼らの中にはこのような「小規模事業者の低価格店」に行き、感染リスク低減のために「洗髪と髭剃りはなしで」とオーダーする人も増えるはずだ。ちなみに私の行く店舗ではこの2つをカットすると200円安くなるそうだ。

 QBハウスの10分1200円(税込)には構わないが、それでも例えば私の行く理容室でも、洗髪と髭剃りをカットすれば時間はほぼ同じぐらいのはずだし、価格も数百円しか違わない。

 

 ここからは何の確証もない勝手な憶測だが、今回のQBハウスの休業で、低価格店に馴染んだ顧客は「小規模事業者の低価格店」に向かうのではないかと思っている。

 個人的には行きつけの店が混雑するようになるのは、あまりありがたくはないのだが。

雇用、賃金の減少はこれからが本番、株価は2番底を模索へ

緊急事態宣言は今後の景気悪化を決定づける

 

 7日夕方に政府が緊急事態宣言を発令した。本ブログでも4月1日に「東京、『都市封鎖』は不可避の様相に――買い溜めは回避すべきも長期戦を覚悟」と書いて、個人的に3つの条件を挙げたが、そのうち「47都道府県すべてへの感染者確認」はクリアせず(岩手、島根、鳥取の3県は感染者なし)に実施されることになった。もっとも正しくは「都市封鎖」ではなく「緊急事態宣言」だったことはお詫びし、訂正したい。

 

 緊急事態宣言については、様々なメディアやSNSで語られるであろうから、ここでは本ブログの趣旨から在り来たりのことは書かない。

 今回私が意見したいのは、どうにも世の中が「新型コロナウイルス禍の影響を過小評価しているのではないか」と思われることだ。その対象は「賃金」「雇用」「株価」である。

 

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 これから影響が顕在化すると思われるものに「雇用」と「賃金」がある。厚生労働省が調査している「毎月勤労統計調査」の最新発表は4月7日発表の2月分だが、これを参照してみたい。

 

 まず賃金だが、主に正社員である一般労働者の現金支給総額は前年同月比0.4%増だが、このうち所定外給与は同1.2%の減少となっている。残業代の減少が主な要因と思われるが、これが3月以降はコロナ禍の影響でさらに減少するのは確実だろう。

 さらに言えば4月からの働き方改革で「同一労働同一賃金」が大企業に適用され、正社員の家族手当や住宅手当などが軒並み廃止される。これはおそらく所定内給与(同0.5%増)を直撃する可能性が大きい。

 この結果、一般労働者の賃金(現金支給総額)は早ければ3月以降減少に転じ、4月以降はさらに減少を続ける公算が大きい

 

 一方、雇用の40%近くを占めるとされる非正規雇用者のなかで統計にあるパートタイム労働者(31.58%)を見ると、その見通しはさらに暗い。

 現金支給総額こそ前年同月比1.1%の増となっているが、残業代が中心の所定外給与は同7.5%の減少となっている。しかもこれはコロナウイルスで顧客や売り上げの減少が顕著になる前の2月の統計値だ。消費者の外出などの自粛が始まった3月、緊急事態宣言が発令された4月にどうなるかは想像すらできない。

 

 次が雇用。総務省の労働力調査(基本集計)によれば、最新のデータは今年1月。何とも古いデータだが、これによれば就業者数、雇用者数ともに85カ月連続で増加と7年以上の拡大が続いており、これは安倍政権の経済政策の効果と言っていいだろう。もっともこの連続記録も2月か遅くとも3月で途切れる可能性が大きい。

 一方、完全失業率(季節調整済)は2.4%で前月比0..2ポイントの上昇となり、これは過去2年間でのピーク2.5%に近い水準。このなかで小売り、外食、レジャーなどの業種は非正規雇用の比率が高く、経営者が売り上げ減少に伴うコスト削減で真っ先に手を付ける対象になりやすいのは周知の事実だ。

 

 しかも安倍首相は7日の衆院議院運営員会で「緊急事態宣言で営業休止を求められた事業者などへの損失補塡(ほてん)について「現実的ではない」と否定した」と朝日新聞デジタルで報じられている。3月以降の売り上げ減少で、雇用者が会社生き残りのために非正規労働者を中心に解雇に動く可能性は相当高いだろう。

 

 ここ数年2%台に留まっている完全失業率は今後急速に上昇、1948年以降の最大値である2002年の5.4%に近づくこともあると個人的には想定している。(データは独立行政法人労働政策研究・研修機構

 

 最後が株価。コロナウイルスの兆しが出る前の1月の日経平均は24000円台で、ここから3月18日には1万6000円台前半まで急落した。

 ちなみに当ブログでは、3月18日に「株価の暴落は一時的なもので、日経平均は年内にも2万円台を回復すると想定している」と書いた。

 

 この見通しは今でも訂正する気はないのだが、気になるのは戻りピッチの速さだ。3月25日に19000円台の回復したのは、急落への一時的な反動で説明はつくが、4月7日の終値18950円(高値は1万9162円)はちょっと理解できない。         

    

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 市場では、出渋られていた緊急事態宣言が出ることで、「アク抜け」を意識したとの見方があるようが、今後雇用、賃金などの悪化が鮮明になり、景況感が悪化するの確実。私が年内に2万円台を回復といったのは、コロナウイルス感染拡大の世界的な収束が見え始めたことを前提にしており、その時期は早くても年後半おそらく10月以降になるはずだ。

  今この時期に2万円台近くまで回復するのは、市場がコロナウイルスの影響を楽観視し過ぎていると感じる。

 

 いくら政府が事業継続のための目先の資金繰りを手当てしたところで、本業が回復する見通しが立たないのだから根本的な解決策にはならない。

 特に自転車操業で事業をやり繰りしていた小規模経営者などは、淘汰されるのは時間の問題だろう。レジャー、観光など「不要不急」の代表ともいえる業界は、経営規模の小さい会社が大半で、今後経営破綻が続出することは免れない。

 マスコミはこぞって景気悪化の象徴として取り上げるだろうから、社会不安は高まり、世間の消費ムードはさらに落ち込むことになる。まさに向こう数カ月は、売り上げ低迷⇒経営破綻⇒さらに売り上げ減少という「悪循環」にはまるのは確実だ。

 個人的には景気悪化の経済指標が今後相次いで明らかになるにつれて、相場は冷静さを取り戻し、2番底を模索すると観ている。感覚的には2016年の安値である16000円割れが下値の目途になるだろう。

 逆に言えば、この水準からなら買い下がっても中期的には利益が得られると観ている。

 

 ここまでをまとめると、現時点の雇用、賃金の公開データは景気の実勢を反映していない。しかもこの事実から眼を逸らしたうえで、コロナウイルスの経済的、社会的な影響を楽観視しているのが現在の株価水準である、ということだ。

 緊急事態宣言が発令されたことで、世の中の経済活動にさらなる低迷がかかるのは必至。ここは向こう数カ月は「冷静な行動」を取るようにしたいと考えている。

昭恵夫人には「自宅籠りの楽しみ方」を動画配信してもらえば?

その積極性と注目度を生かさない手はない

 

 安倍首相夫人の昭恵さんへのバッシングが激しい。親しい有名芸能人ら10人以上の仲間との集合写真が3月26日にインターネット上で公開されたのがきっかけらしく、国会でも追及された。

 

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 まあ常識的に考えれば、政府や自治体が外出の自粛などを国民・市民に要請しているのに、そのトップの奥さんが率先してグループで花見というのは少なくとも褒められる話ではない。しかもその写真を公開してしまうというのは「脇が甘すぎる」と言わざるを得ない。

 

 4月4日付けの東洋経済オンラインでは「安倍首相、昭恵夫人をコントロール不能なわけ コロナ下の花見と布マスク配布で大炎上」というタイトルの記事のなかで、「夫の足を引っ張る夫人は、首相のアキレス腱だ(自民党の閣僚経験者)などと非難する声が相次いだ」、「ツイッターでは「首相夫人がレストランで13人の『桜』宴会は駄目」「史上最悪な“ワーストレディ”では」との書き込みが相次いだ」ことなどが紹介されている。

 

 要するに昭恵夫人の自由奔放な性格と神出鬼没な立ち振る舞いが、今回は「悪目立ち」している訳だ。様々なマスコミの報道を見る限り、安倍首相も夫人の行動には関与できないようで国会の答弁でも擁護に徹している。ある意味では「惚れた者の弱み」状態なのかもしれない。反論はあろうが、安倍首相の「一貫して家族を守る」という姿勢は個人的には嫌いではない

 

 悪評が大きいとはいえ、ここまで各種パフォーマンスが耳目を集める昭恵夫人の存在感はとても貴重だ。であればこれを現在の非常事態時に上手に生かさないのは非常にもったいないと思う。具体的には、その積極的な性格を逆手にとって「自宅籠りの楽しみ方」の動画を撮って、Youtubeなどで配信してはどうだろうか。

 

 居酒屋を経営し、多種多彩な料理への知見があろう昭恵夫人ならではの独創的な料理を作ってみるもよし、抜群の人脈を持つだろうから専門家からオススメの映画やドラマを紹介してもらい、視聴した感想を語ってもいいだろう。

 こうした内容の動画配信をすれば、「いままでのアッキーとは異なる一面を発見できた」といった反応も見込めるかもしれない。少なくとも世間の注目を集めることは確かだろう。

 

 しかも、自宅での「楽しみ方」を伝えることで、結果として国民の外出が減るという効果も狙える。知り合いから昭恵夫人に提案してみてはいかかだろうか。

 もっとも、料理にしても映画鑑賞にしても昭恵夫人の事だから「友人を集めて大騒ぎ」になっては逆効果だということは予め釘を刺しておきたい。あくまで「一人で」が重要なのである。

 

 これは偶然なのだろうが、同日の東洋経済オンラインには経済コラムニストの大江英樹氏の「『外出自粛』それでも出かける人を抑える方法」という記事も掲載されている。

 記事では「報道する側としては、呼びかけに対してそれを無視する人たちを紹介するほうが、ニュースの映像になると考えてやっているのかもしれませんが、これは逆効果ではないか」と指摘、「むしろ、『自粛して出歩かない人が多い』ということを積極的にメディアで取り上げるべきではないでしょうか」と提案している。

 

 この大江氏の趣旨に沿えば、私の提案する「昭恵夫人の自宅籠りの楽しみ方」を動画配信すれば、昭恵夫人の新たなイメージが広まり、視聴者は自宅籠りの楽しさを知り外出を控えるので、結果としてコロナウイルスの拡散が抑えられるという多角的な効果が期待できるはずだ。意外性という観点から動画パフォーマンスへの評価も上がるだろうから、昭恵夫人も満足感を得られるだろう。

 

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 安倍首相には、良くも悪くも政策面リーダーシップがあるのは事実なのだから、ここは昭恵夫人とも相談して「外出自粛キャンペーン」の一環として動画配信を是非検討してほしいと思う。

 動画配信で得た収益金は「マスク製造支援金」として寄付すれば、さらに評価は高まるはずだ。

私が「競輪」は楽しむが「競馬」をやらないワケ

馬を走らせるか、人間が自分で走るか

 

 「ギャンブル」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか。

 おそらく「競馬」「パチンコ」などを挙げる人が多いと思うが、正確には公的にギャンブルと認められているのは、「競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」の4つであるのはご存じだろう。

 

 来週末から競馬では、重賞レースである桜花賞が、その翌週には皐月賞が開催される。競馬ファンにとってはたまらない季節の到来ではないだろうか。

 

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 かく言う私は、基本的にギャンブルが「嫌い」である。ギャンブル依存症のように借金をしてまでのめり込んで家庭崩壊に繋がったりといった社会的な悪影響が大きいと思っているからだ。

 もちろん収益金の一部が、環境保全や福祉などの事業に回っていることは理解しているが、「賭け事」は本来人間が生きていくために必須のものではない。いわば趣味や嗜好品と言っていいだろう。

 

 そのなかでも私が特に問題視しているのが「競馬」である。ここからは極めて個人的かつ独善的な意見であり、競馬ファンの方は嫌悪感を持たれると思うので、この先は読まないことを勧める。

 

 なぜ競馬が嫌いかと言うと、動物を人間の欲望で賭け事の対象にしているからだ。農作業で働く馬は農家にとって農作物の育成という生活上の実益に貢献しているが、競走馬はそうではない。

 人間の都合で、交配され、訓練を受け、レースでは鞭を打たれ、走れなくなれば処分される。しかもその根底にあるのはギャンブルで儲けたい、生計を立てたいという関係者の思惑しか働いていない。動物をこのように「身勝手に」扱うことに誰も疑問を持たないのだろうか。

 

 実はこの考え方についてどう思うか動物愛護協会にメールで問い合わせたことがあるのだが、回答は「この度いただきました内容に関しては、如月様のおっしゃっている通りだと思います。是非、日本中央競馬会へご意見を出されてみてはいかがでしょうか?」だった。

 

 ちなみにメールの文面には日本中央競馬会の窓口のリンク先も書かれているのだが、この窓口は受付専用でページには「ご意見・ご要望への個別の返信・回答はいたしかねます」と表示されている。

 動物介護協会には「うまくかわされた」といったところだ。おそらく様々な事情から、政府の管轄する事業には関わりたくないというのが本音だろう。

 メールには「本協会は犬や猫を中心とした家庭動物の啓発をメインに行っております」とも書かれている。であれば「動物愛護協会」ではなく「犬猫愛護協会」に名称を変えるべきだろう。どうにも偽善的な団体との印象を強く感じた

 

 という訳で「競馬」に対する私の狭小な視野に基づく見解を述べた。

 冒頭で「基本的に」ギャンブルが嫌いと書いたが、実はまったくやらない訳ではない。むしろ「競輪」は私の30年来の趣味のひとつでもあるのだ。

 

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 一見矛盾するように思えるかもしれないが、競輪は人間が自分の脚で、意志を持って走る競争であり、これこそが正にプロスポーツと言えるのではないか。しかも賞金は1レースごとに着順に応じて決まり、成績が悪ければ選手登録を抹消される。非常にシビアな世界だ。

 

 これは余談だが、昨年まで現役でレースに参加していた三ツ井勉選手は63歳だった。自分の体力(脚力)が勝負のプロスポーツで、60代半ばまで現役を続けられる競技が他にあるだろうか。しかも50代の選手なら現在もザラにいる。

 

 私の場合は、競輪を「ギャンブル」としてではなく「駆け引きのある自転車競技」として観て楽しんでいる要素が大きい。

 競輪場に行くのは年に数回だが、一日に使う金額は多くて5000円である。これは自分で展開を読めるレースしか車券を買わないので、約10レース中実際に賭けるのはその半分程度。払戻金の額よりも、予想した展開と結果になったことの方が嬉しいのが本音だ。

 30年もやっていると大体4~5レースに1回ぐらいは予想は的中するので、実際には午前中から夕方までいて3000円ぐらいしか損をしていないことが多い。交通費と食事代込みで5000円で一日中楽しめるのだからありがたい

 

 しかも競輪には、レースをすぐ目の前で観戦できるという他の公営ギャンブルにはない臨場感が楽しめる。まさに数メートル先を選手が全力疾走で駆け抜けていくのだ。この迫力のプロスポーツの入場料がたったの50円である(立川競輪場の場合)。

 

 話はちょっと変わるが、公営ギャンブルを嗜むようになるきっかけは「競馬」という人が多いだろう。マスコミの扱いも他よりは大きいし、ファンも多い。それに対して「競輪」はどうしても暗いイメージが付きまとう。想像するに、レースが生身の人間同士の力勝負なので「選手間で何か暗黙の取引しているのでは」と疑いの目で見られやすいという側面はあるかもしれない。

 

 だが私の周囲を見ると、競馬から始まって競輪に行き着く人はそれなりにいるが、競輪を止めて競馬に戻るという話は聞いたことがない。これは競輪という競技が、人間が自分の脚を使いつつ、選手間の駆け引きも重要なレースの要因であり、レース展開を読む面白さが他の公営ギャンブルよりも大きいからではないだろうか。

 さきに紹介した三ツ井勉選手に限らず、レースに勝つには若さの脚力だけでなく展開を読むアタマも必要なのだ。

 

 ここまで競馬を批判し、競輪を擁護してきたが、別に読者に競輪を積極的に勧めるつもりはない。ギャンブル全般に拒絶反応を示す人もいて当然だからだ。

 ただ繰り返しになるが、競輪を一攫千金狙いのギャンブルではなく、破格の見物料金で楽しめるプロスポーツと捉えて、馬を人間の都合で走らせる競馬とは本質的に違うものだ、ということを理解してもらえれば、一人の競輪ファンとしてこれ以上にありがたいことはない。

東京、「都市封鎖」は不可避の様相に――買い溜めは回避すべきも長期戦を覚悟

医師会理事の「緊急事態」発言は観測気球の可能性

 

 本日から新年度入りであるが、新型コロナウイルスの影響で入社式などが中止となるなど例年とは様変わりの状況となっている。 

 

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 感染に対する「治療法」「治療薬」が現時点では見当たらないことから、国民がウイルスに対して疑心暗鬼となったことで、買い占めが当初のマスク、消毒用アルコールに加えて、トイレットペーパーやティッシュなどの日用品に波及、スーパーの店頭では米、レトルト食品なども品不足になっている。

 

 こうした社会的不安の高まりの影響からか、ネット上で「政府が4月1日に緊急事態宣言を発表、2日から首都封鎖を行う」との真偽不明のニュースが流れていることに対して、菅官房長官は30日午後の会見で「そうした事実はない。明確に否定しておく」としているし、同日には小池東京都知事も午後の記者会見で「(そういった事実は)関知していない」と否定した。

 

 ちなみに我が家にも親しい友人から先のフェイクニュースに関するメールが30日に届いていた。内容を紹介するのもバカらしいのだが、文面に「官邸から情報提供を受けた在京のテレビ局のプロデューサーによると」とあり、いかにも信憑性を高めたいという「意図」が見え見えだったのが笑えた。

 もっとも、社会不安が高まるとこのような根拠のないデマが発生することはどうしても避けられないので、メール等を受け取るのは避けられないにしても、他者に転送するような間抜けな行動は慎んで頂きたい。

 

 こうしたなか、31日の東京都の新規患者数は78人と過去最大となった。累計感染者数でも都道府県別でトップ、2位の大阪の2倍だ。

 

 

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            31日付け日本経済新聞電子版より引用

 

 国内全体の感染者数も31日時点で2160人と3000人の大台に達するのは確実で、4000人、5000人規模も視野に入れるべきだろう。感染者がいない県は「岩手」「山形」「島根」「鳥取」の4県だけだ。

 

 また、30日には、日本医師会の緊急記者会見で、医師会の常任理事で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもある釜萢敏氏が「(専門家会議の)メンバーの中では、もう緊急事態を宣言したほうが良いのではないか、という意見でほとんど一致している」と発言したと、同日の東洋経済オンラインで伝えている。

 

 私は医療の専門家でもないし、ウイルス感染に詳しい訳でもないが、ここまでの状況を見ると、政府の緊急事態宣言は「時間の問題」のような気がする。

 

 感染者数がこれまでとは段違いのスピードで増える中、政府も本心では「いつ正式発表するか」のタイミングをうかがっているのではないだろうか。

 もちろん事前に発表の時期を漏らすのは混乱を招くため絶対に避けたいので、現時点では官房長官や都知事もあのように全面否定するしかないという立場は理解できる。

 

 思い返せば、東京オリンピックの延期問題の際も政府や関係者は最後まで「予定通りの開催」にこだわっていた。が、欧米で感染が急拡大し、海外の選手団などが相次いで参加を見送り、世論も「延期も止むなし」という機運が高まった時点で政府は正式に延期を発表した。

 この過程で、一部の現役のオリンピック委員会の理事が「1年か2年の延期」に触れたことが話題を呼び、JOCの森委員長などが火消しに躍起になったが、この理事の発言が世論の流れに一石を投じたのは確かだろう。 

 こう考えると、さきの医師会の常任理事の発言も世論やマスコミの反応を見るためのアドバルーン的な要素が強く、「都市封鎖も仕方がない」と受け止めるような雰囲気が整うのを、政府が待っている状態だと思われる。

 

 ここからは個人的な何ら根拠もない推論だが、緊急事態宣言発表の条件として、 

 (1)全国の感染者数が3000人を突破し

 (2)東京都の1日の新規感染者数が100人を超え

 (3)感染が47都道府県すべてに波及する

 の3点を達成した時点がひとつのタイミングになると思う。

 

 仮に発令された場合、国民・市民は再び食料品や日用品の買い溜めのような愚かな行為に走らないことを祈りたい。

 一部では自宅に籠ることで「コロナうつ」といった症状も出ているようだが、今回の感染症は、アフリカや南米などへのさらなる波及や、治療薬の開発次第で予想外の長期戦なる可能性もある。

 幸い早期のうつ症状なら、運動や睡眠のほか効き目の弱い投薬で収まることも多いそうだから、早めの対応を心がけたい。

ビジネス文書に必要なのは「面白さ」よりも「説得力」だ

退屈な文章を「一生書き続ける人」に欠けた視点(東洋経済オンライン)

橋口 幸生 : コピーライター

 

 チャットやLINEなどで簡単な「コメント」を使う機会も増えているようだが、会社の業務で依然として主流を占めているのは「文章」である。報告書、企画書は言うに及ばずメールですら文章力がないと、相手が困惑するうえ、本人の実務能力に疑問が付くことすらある。

 言うまでもなく、社内向けに納得させられるような文章を書けない人に、社外の顧客などへの資料作成を任せられるはずがない。

 

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 こうしたなか3月29日付けの東洋経済オンラインに「退屈な文章を『一生書き続ける人』に欠けた視点」というタイトルの記事が掲載された。著者はコピーライターの橋口幸生氏。広告のコピー分野とはいえ文章のプロと言っていいだろう。

 

 記事は「文章は面白くないと読んでもらえません。(中略)『面白い』とは、『発見』があることを指すのです」と始まり、「『ビジネスなのだから、面白さなど必要ない』と思っている人が大勢います。こういう誤解が、ビジネス文章を読みにくくしているのです」と解説している。

 具体的には、就活学生のエントリーシートや販促キャンペーンなどを引き合いに出して、「校正前」と「校正後」の比較を通じて、「発見」の重要性を説いている。

 

 文章のプロにモノを申すのは気が引けるが、個人的な感想を言えば、ビジネス文書で必要なのは「面白さ」よりも「説得力」であり、「発見」よりも「動機付け」だと思っている。

 ただし企画書などのコピーについて言えば著者の指摘の方が正しいだろう。最初のアイキャッチができるかどうかで勝負か決まる可能性が高いからだ。

 

 改めて私の解釈を説明すると、例えば企画立案者が担当役員に資料を読んでもらうケースを想定しよう。大抵の役員は多忙なので、文書が簡潔に理路整然とまとめられているのは必須事項。

 この条件をクリアしたうえで役員を企画実現に向けて動かせるかどうかを考えた場合、役員は「面白さ」や「発見」には関心を示すかもしれないが、企画を「納得」させられるとは限らない。

 むしろ企画案を実現させるための「説得力」や、実現のために役員自らがゴーサインを出す「動機付け」の方が、企画実現のためには有効ではないだろうか

 

 ただ誤解のないように書いておくが、「面白さ」と「説得力」は相反するものではない。説得力を補完するために面白さを多少混ぜるのはテクニックとして有効なケースもあると思う。これについては資料の説明対象となる相手の性格や、会議の位置づけを考慮すべきだろう。

 同じことは「動機付け」と「発見」にも言える。動機づけのきっかけや手掛かりのひとつになるのであれば発見も役に立つことも多いはずだ。要はケースバイケースで臨機応変に対応すべきということだ。

 

 著者の言いたいことを私なりに言い換えるとすれば、「クソ真面目に当たり前の文章を書いても相手の心には響かない。であれば『面白さ』というスパイスを効かせるべきで、その材料のひとつが『発見』だ」ということだろう。

 このように受け止めると、著者の今回の記事の「面白さ」を「発見」することができるのではないだろうか。

 

 最後に、全国紙の記者経験もある私が日ごろから自分が文章を書く際に注意していることを参考までに記しておきたい。それはビジネスの場面を含めて文章は「自分の書きたいように書く」よりも「相手が読みたくなるように書く」ことに重点を置くべきということだ。

 ビジネスの世界では、読んでもらえない文書は、それ自体存在意味がないのである。

改めて「スポーツの勝利至上主義」の意義を問う

スポーツ競技を別格扱いする異様さ

 

 25日に当該ブログで書いた「日本人は「五輪」「国際機関」「ノーベル賞」への信奉を改めるべきでは」は、はっきり言ってあまり評価はよくなかった。

 

 理由はいろいろ考えられるが、この3つをいまだに高く評価する人が多いのか、すでに分かり切ったことだったのか、詳細は不明だ。まあどう評価するかは個人の自由なので、ここではとやかく言わない。

 さて、世界最大のスポーツの祭典であるオリンピックに直接関連する訳ではないが、日本のスポーツ界、特に体育会系関係者の意識に対する内容で、過去に強烈な印象の記事があったことをふと思い出したので、ここで紹介しておきたい。

 

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 その記事は言論プラットフォーム「アゴラ」で約2年前の201832日に掲載された「はっきり言おう、“スポーツ馬鹿”は文字を書くな」である。

 この記事は、同年227日に日刊スポーツに掲載された記事「順番を間違ってないか、公立高の部活週休2日に疑問」に対する反論という形になっている。

 

 批判の対象となった元ネタの日刊スポーツの記事は、教員の働き方改革について「多忙でどうしようもないならば、部活でなく、授業を減らせばいい。学業指導は学習塾にかなりの部分を依存している現状で、仮に授業時間が3分の2になって、勉強ができなくなって困る生徒は、果たして、どれほどいるのだろう」と主張している。

 

 これに対してアゴラの記事を執筆した清谷真一氏は、冒頭で「率直に申し上げて、脳みその代わりに筋肉が入っている馬鹿は文字を書くんじゃないよ。こういうスポーツ先軍主義、スポーツ土人がいるから日本の民度が上がらない」と強烈に批判している。

 気が付いた方も多いとは思うが、通常このような批判をする場合は「文章」を書くな、という表現をするはずだが、清谷氏はあえて「文字」と表現していることに、怒りの大きさがにじみ出ている。

 

 清谷氏の主張に類似する最近の記事としては、325日の東洋経済オンラインに掲載された「五輪延期で日本人が考えるべきスポーツの意義」というタイトルの記事がある。

 この記事では「日本ではスポーツとは『生活をかけて精進する』一握りのアスリートのものであり、それ以外は傍観者にすぎない」とし、新型コロナウイルスが感染拡大する「命の危険があるような状況で、アスリートがスポーツをすることなどありえない、と意識をしなければならない」と結論付けている。

 

 異論反論はあろうかと思うが、個人的には日本のスポーツ界にまん延し続ける「根性絶対主義」や「勝利至上主義」の姿勢には反対の立場である。

 私自身は中学、高校と水泳部だったが、野球部のようなひどいレベルではないにしろ、部内のいじめや先輩からの「顔面への平手打ち」はあったし、自分も理不尽な暴力被害を受けた覚えはある。当時は先輩に反論できるような雰囲気ではないかったし、特にケガをしたわけでもないので問題視もしなかったが、今思えば完全なパワハラである。

 原因は競技会でたいした成績を残せなかったことだった。「成績不振は根性が足りない」という考えが当時の部活動の根底にあるのは言うまでもない。

 

 そもそもオリンピックが始まると、新聞紙面にメダル獲得数上位国のランキングが毎日掲載されること自体に、どこか違和感を感じる。グローバル化の進展で出身国と現在の国籍が異なる選手が代表選手となることも多い中で、国別のメダル獲得数競争にどれだけの意味があるのかという疑問もある。

 言うまでなく、メダルを取ることはとても名誉なことではあるが、あくまで結果であって取れなかったからといって、選手、関係者はもちろん応援した人も必要以上に落胆したり残念がったりする必要はないと思う。

 このような「勝ってこそ価値や意味がある」という意識が日本社会全体に深く根付いているので、非常識ともいえるスポーツの勝利至上主義がまかり通るのだ。

 

 別の具体例を挙げてみたい。毎年正月恒例の箱根駅伝だが、好記録を出した4年生の出場選手が「箱根駅伝を目標に頑張ってきたので、大学卒業後は陸上競技をやめます」と発言すると、一部の陸上関係者から「オリンピックのマラソンでメダルが狙えるのにもったいない」といった発言が聞かれる。

 

 陸上競技の長距離選手が何を最終目標にして頑張るかは本人の自由ではないか。本格的な競技スポーツは大学生までで、卒業後に社会人としてビジネスマンなど新たな世界を目指すことに他人がとやかくケチを付けるのは、はっきり言って「身勝手な意見の押し付け」であり「大きなお世話」である。

 

 大体、新聞業界で一般の全国紙が5紙(読売、朝日、毎日、産経、日経)なのに、スポーツ新聞の全国紙が4紙(日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、サンケイスポーツ)もあること自体が、日本のスポーツ競技に対する特殊かつ異様な存在意義を生み出し、維持し続けている諸悪の根源のように思えて仕方がないのだが。

日本人は「五輪」「国際機関」「ノーベル賞」への信奉を改めるべきでは

裏ではびこる主催団体のエゴイズム

 

 3月18日のブログで「オリンピックが「中止」ではなく、来年か再来年に「延期」される可能性が高いと思われる」と書いたが、24日付けの日本経済新聞電子版では「東京五輪1年程度延期、21年夏までに開催 首相とIOC会長」と報じられており、予想通りの結果となりそうだ。

 

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 株価はこの「延期」の方向性に反応したのかどうかは不明だが日経平均は急伸、7営業日ぶりに1万8000円台を回復している。ニューヨークなど他市場に比べて、下げ渋り感は強い。ここ数日米国株が急落、急伸しても、翌日の東京市場が反対の値動きをする傾向が目立っており、海外相場との連動性は弱まっているようにも見える。

 もっとも「延期」が確定となればまた違う動きが出る可能性もあるし、そもそも株価急落の主因である新型コロナウイルスの収束見通しが欧米を中心に立たない以上、株価は当面波乱含みの可能性が高い

 

 日本株の値動きが海外相場の影響を受けにくくなっていると書いたが、一方で、日本人の間では海外の権威を必要以上に崇め、評価する向きが多いように常々感じている。

 具体的には、「オリンピック」「国際機関」「ノーベル賞」の3つだ。世界中の国々を対象にした活動を否定する訳ではないが、日本ではこの3つに対する絶対的な評価が高すぎると思う。以下にその理由を挙げてみたい。

 

 まず最近最も話題となっているオリンピックだが、私の言いたいことが簡潔にまとめられているサイト「『日本人アスリート』差別の『ルール改定』の横行」を読んで頂きたい。この他にも水泳に特化した記事「実はルール違反ではなかった!?『潜水泳法』の複雑な国際事情」でも、欧米各国に有利なルール改定を行い、日本人を差別している実態を明らかにしている。

 主導権を欧米各国から選出された委員が握っているためだろうが、ここまで露骨に差別されると「怒り」を通り越して「呆れ」てしまう

 同じスポーツでも、テニスの全英オープン・ウインブルドンは、開催国の英国では男子シングルスは1936年以来80年以上英国人の優勝者が出ておらず、自国選手を優遇するような動きがないのとは対照的だ。イギリスも単独ではフェアな立場を維持するも、欧州各国が集まると欧米以外を排除するという「仲間意識」強まるのだろうか。

 

 次に国際機関だが、最近悪評で名高いのは世界保健機関(WHO)だろう。テドロス事務局長は3月12日にようやく新型コロナウイルスについて「パンデミック(世界的な大流行)とみなせる」と表明したが、その約1カ月前には産経新聞が「批判呼ぶテドロス事務局長の「中国擁護」 背景にWHOと中国の蜜月の仲」として批判記事を掲載、テドロス氏が1月22、23日に開催された緊急委員会で緊急事態宣言を見送ったことで、中国寄りの姿勢が各国のメディアで批判された、としている。

 

 各メディアの報道を読むと、同氏が中国から巨額インフラ投資を受けるエチオピアの元保健相・外相だったことが影響しているとの見方が大勢だ。

 中国がアフリカへの多額のインフラ投資を行い、各国への経済的な影響を強めていることは周知の事実だし、今回の中国への配慮もその一環と考えれば納得がいく

 

 最後がノーベル賞だ。毎年10月頃になると日本人が受賞するかどうかが話題となり、受賞者が出れば大いに世間が盛り上がるのは恒例になっている。

 確かに世界的に評価されるような研究は発明をしたのであれば立派だと思うし、その「功績」にケチをつける気はさらさらない。

 私が指摘したいのは、過去の受賞者の「国籍」である。

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文部科学統計要覧(平成31年版)から引用

 

 世界中から優秀な技術者を集めて、最新かつ高度な研究を進めるアメリカがトップなのは当然だろう。図表では黄色で色付けしたが、スウェーデンが5位というのに違和感を感じないだろうか

 長らく経済大国である日本が経済学賞を一度も受賞していないのに対して、スウェーデンはすべての分野で2回以上受賞している。しかも受賞資格がはっきりしないと言われている平和賞は5回、これも上位5番目の多さだ。

 

 科学技術は専門外なので間違った認識なのかもしれないが、自然科学分野の研究でスウェーデンが、ロシアやカナダよりも世界的に大きく貢献しているというイメージはない、というのが一般的な受け止め方ではなかろうか。

 

 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、選考は「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う、とされており個人的な見解だが、スウェーデンが受賞者の選考で大きな影響力を持っていることが影響しているのは間違いないだろう。

 

 以上「オリンピック」「WHO」「ノーベル賞」の3つを取り上げたが、どれにも共通するのは主導権を持つ勢力の意思とエゴイズムが大きく働いているという点だ。

 個人的にはオリンピックのメダリストやノーベル賞の受賞者には大きな敬意を払っている。ただ、日本人はメディアの影響もあるのだろうが、その裏で露骨な「身内びいき」が存在していることに、多くの日本人は気づいていないのではないだろうか。

 

 世界的なイベント、組織、表彰だからといった理由で、その実態を知ろうともせず必要以上に「美化」するのは、そろそろやめた方がいいと思う。

 

 今回のWHOの中国擁護の姿勢が世界中で報じられたことで、その権威が大きく失墜したのは確かだ。これを契機に他の世界的に認知度が高い分野でも、その本当の姿を見極める動きが出てくることを期待したい。

「在宅勤務」の想定外の普及で都心のオフィス、マンション需要は軟化へ

物件購入者の視線、「都心一辺倒」から「郊外」も視野に

 

 前回20日に掲載した記事「購入するならマンションよりも戸建てを勧めるワケ」には予想以上の反応があった。
 知り合いからは「何をいまさら」とも言われたのだが、都心部のマンションは供給こそ減ってはいるものの価格は高止まりしている。


 財閥系を中心とする大手デベロッパーがシェアを握ることで、体力に自信のある不動産会社は「値引き」戦略に出るまで追い込まれていないためだ。一方、飯田産業グループなどパワービルダーや工務店の手掛ける東京郊外の建売戸建て価格はここ2年間ほぼ横ばいだ(データは全国指定流通機構連絡協議会の(REINS Market Informationで検索可能)。

 

 低迷する契約率から見て、無理にマンションを購入する層は確実に減りつつあるとは思うが、一番気になるのは今回のコロナウイルス被害を受けて、都心部のオフィスやマンション需要に構造的な変化が起きる可能性があることだ。それは大企業を中心とする「リモートワーク」「在宅勤務」のここ1カ月ちょっとでの急激な普及と、その業務上の影響の評価によるものである。

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 子育て、介護などで在宅勤務の必要性は政府の働き方改革でも取り上げられてはいるが、現実には「掛け声倒れ」の感があったのは否めない。その状況下でコロナウイルスをきっかけに在宅勤務が「緊急かつ強制的に」導入されたのだが、財閥系大手商社では1社4000人規模で実施されているという。

 発表では3月末が期限のようだが、元々の期限は3月15日だったので再度延長になる可能性もある。予定通り3月末に終了したとしても、1カ月間数千人単位で実施した在宅勤務のメリット、デメリットが人事部門で精査されるのは間違いないだろう。

 

 ここから先は私の想像だが、会社の評価としては「総じて業務への影響は予想よりも小さかった」となるのではないか。現実に、在宅勤務で大きく通常の業務が滞ったというニュースは聞かないし、どちらかと言えば「業務を自宅でこなすのにスペースがない」とか「家事や私用と仕事の切り分けがしにくい」いった会社側よりも社員側の問題点の方がより浮き彫りになった気がする。

 

 私が勤める会社でも今月1日から「在宅勤務の推奨」が始まり、一般社員は言うに及ばず、部長など管理職も毎日誰かが交代で在宅勤務を始めるようになった。昨年から社員一人一人に業務用のノートPCが支給され、希望者には上長の「事前承認」を得て在宅勤務が可能だったのだが、この「承認」が事実上、前日までの「届出」でOKになったのだ。


 実際に、ここ数週間で午前中に埋まっている席は半分強程度になった感がある。在宅勤務制度の急激な導入でこのような状況になっても、社内の業務や手続きが滞ったという話はまったく聞かない。チャットやメール、ビデオ会議で事足りているのだ。これはおそらく他の会社でも同じ状況ではないだろうか。

 

 つまり、「出社してこそ仕事」という固定概念が瓦解し「成果を出してこそ仕事」という会社組織における意識改革が進むのは間違いないと言っていいだろう。この結果、正社員全員分までの机と椅子とロッカーは不要となり、オフィスに必要とされる面積は大きく削減されることになる。大手商社2社で8000人規模の社員が存在する訳だから、その半分が不要となるだけでも影響は大きい。しかもこの流れは数百社以上とされる子会社、孫会社にも影響するはずだ。

 

 そのうえ「商社で可能ならば」と、銀行を中心とする金融機関や、大手メーカーなども追随する公算が大きい。こうなると現在丸の内、大手町を中心とする高度にひっ迫したオフィス需要は一気に緩和する可能性がある。

 具体的には東京駅八重洲口駅前では現在、東京建物が「東京駅前八重洲一丁目東地区第一種市街地再開発事業」を敷地1.4ヘクタールの規模で開発中で、50階建てのビルを中心に2025年の竣工を目指している。このほかにも周辺にオフィスビルの供給予定は多数ある。需給関係から考えて、中長期的にオフィス過多となる可能性は低くない。

 

 一方社員の側から見ると、在宅勤務が普及すれば、共稼ぎ世帯が通勤や子育てのために都心の勤務先近くにバカ高いマンションなどを購入する必要性は当然ながら低くなる。夫婦のどちらかが交代で在宅勤務をすればいいだけの話だ。今回の感染予防のための時差出勤のさらなる普及も勤務体系に相当影響するはずだ。
 となれば住宅購入予定者の目が割安な郊外に向くのは必然。山手線のターミナル駅まで30~40分程度の駅は十分視野に入ってくるだろう。

 

 こうなるとマンションを予定していた人が、住環境を考慮して戸建てを選択肢に入れることも考えられる。あくまで私見だが東京市部の主要路線の駅で検討すると、駅から徒歩20分程度で土地35坪、床面積80平米台の庭、駐車場付き二階建て戸建てと、同じ駅から徒歩10分前後の同じ床面積のマンションはほぼ同じ価格だ(管理費、修繕積立金等も考慮)。

 

 資産価値という面では、現在の不動産市況では「駅からの距離」が最優先事項(徒歩7分以内等)になっているが、昨年水害を受けた武蔵小杉のタワーマンションを受けて、購入者がハザードマップを考慮する機運が今後高まるのは確実。特に人気の大規模マンションの場合、敷地面積が大きいので一部がハザードマップにかかるというリスクがあるが、戸建てであればピンポイントで地盤やハザードマップの確認が可能だ。

 

 以上結論をまとめると、今後在宅勤務の急速な普及で都心のオフィス、マンション需要は減少傾向を強め、郊外に住宅を求める勤労者が増える。この流れのなかで割安で安全な戸建てを検討対象にする向きが拡大する、ということになる。
 2022年には生産緑地の宅地化(東京では練馬と世田谷が多いらしい)も一定量は見込めることで、物件の選択肢が広まることも戸建て派の追い風になるのではないだろうか。

購入するならマンションよりも戸建てを勧めるワケ

現役時代は賃貸で、リタイアを契機に戸建て購入がオススメ

 

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 私が購読している定期購読しているメールマガジンがいくつかあるのだが、そのなかのひとつに「まんしょんオタクのマンションこぼれ話」というメルマガがある。

 

 まぐまぐの紹介文によれば「マンションのことなら誰よりもよく知る廣田信子がマンション住まいの方、これからマンションに住みたいと思っている方、マンションに関わるお仕事をされている方など、マンションに関わるすべての人へ、マンションを取り巻く様々なストーリーをお届けします」とあり、すでに発行本数は1300を超えて殿堂入り、まぐまぐ大賞2017も受賞している。

 

 平日は毎日届くので多忙な際には読み飛ばすこともあるのだが、内容が充実しているのでほぼ毎号読んでいる。

 紹介文にも書いたが、内容はマンションの運営に関わる管理組合の抱える問題や住民間のトラブルなどの解決事例を紹介するといったもので、具体例が豊富なので「戸建て派」の私も参考にはしていた。

 

 今回このメルマガを取り上げるのは、「やっぱりマンションは戸建てよりも騒音リスクが高い」と改めて感じさせる事例が紹介されていたからだ。

 

 該当のメルマガは19日に発行された1303号で、タイトルは「リノベ物件を子育て世代が購入するときに気を付けること」。

 内容を簡単に要約すると、3兄弟の子育て中で分譲マンションにする家族が、下階の住人から騒音の苦情が入るので、いろいろと配慮をしたが「何をやっても、やらなくても、下から突き上げられるドンドンドンと怒りの抗議音が響き、その度、心が萎えます」とのこと。

 その後、下階の住人からは「(騒音で失った)家内の健康を返してくれ」という郵便物まで届いて、ついに引っ越し(売却?)を決意するというもの。

 

 メルマガの著者は色々と原因を分析するものの、最終的に「ご自身の暮らしを守るために転居された方がいいと思います」と結論付けている。

 

 いつものメルマガの内容には、「マンションにはそういう解決方法もあるのか」と勉強になることも多いのだが、今回ばかりは読後に「やはり騒音問題を考えると購入するならマンションよりも戸建てが正解」と改めて認識させられた。

 

 私は普通のマンション以外にタワマンの上層階にも住んだ経験がある。合計するとこれまで10カ所近い集合住宅に住んできたが、このうち約半数で上下階もしくは左右住戸との騒音トラブルに巻き込まれている。当然ながら被害者の場合もあれば、加害者扱いされたこともあるので、今回の具体例は身近に感じた。

 

 以下は宅建士の資格を持つ私の持論でもあるのだが「住宅を購入するならマンションよりも戸建て」とかなり以前から主張している。

 今回の騒音問題もそうだが、マンションは自分一人では解決できない問題が戸建てよりも圧倒的に多いのだ。特に騒音は上下に限らず、左右の壁が薄い場合にも起きる。

 外部からの音への許容度は人によって異なるので、「気になる気にならない」は水掛け論になるケースが多いはずだ。

 

 他にも、マンションの場合、管理組合への参加義務があり、理事が当番制で回ってくる。運が悪ければ大規模修繕やマンション内の大きなトラブルに巻き込まれる可能性もある。問題解決を巡って理事会が揉め、これが住民全体を巻き込んで対立に発展、収拾がつかなくなることも珍しくない。

 

 また修繕については、管理組合の決定事項には従わざるを得ず、必要と決まれば一時金の徴収も免れない。戸建てと異なり、自分の都合で修繕の時期や費用を調整することはできないのだ。

 

 さらに言えば、特にタワマンの場合、地震や水害などで被災した際に、マンションの電源供給が停止、エレベーターはもちろん給排水もストップするためトイレも風呂も利用できなくなる。特に上層階に住んでいる場合は、徒歩で荷物を持って階段で移動したり、トイレの都度一階に降りるのでは事実上生活はできないだろう(簡易トイレは一時的な対応策でしかない)。

 

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 これが戸建ての場合は、少なくとも「上下」の騒音問題は発生しない。また私の住む地域では少子高齢化もあって、住民がメリット・デメリットを討論した結果「自治会は不要」との結論に至り、現在は解散、活動していない。同様の動きは周辺の戸建て地域でもあるとも聞いている。

 「被災時にはどうするのか」というのが最大の論点だったが、たまたま住民の中に20年以上消防団員を勤めた人がいて、「防災の基本は、自助7割、共助2割、公助1割」と聞かされ、各世帯が自主的に防災や被災時の対応をすることで決着した。

 

 ここで誤解のないように確認しておくが、私はマンションに「住む」ことを否定しているのではない。これまで述べたようなデメリットの一方で、総じて駅に近い、商業施設が充実、防犯上有利などマンションのメリットも十分承知している。

 つまり私が言いたいのはマンションに住みたいなら「購入」ではなく「賃貸」にすればよいということなのである。実際に私が過去に住んだマンションもすべて賃貸物件だ。

 

 タワマンの高層階に憧れる気持ちは理解できるし、実際に私も借りて住んだが、その眺望に満足しているのもせいぜい数カ月。変わらない景色はいずれ感動しなくなる。しかも洗濯物は干せないし、エレベーターの待ち時間などでストレスを感じることが多くなった。

 

 上下階との騒音も地震などの被災も、賃貸ならばさっさと引っ越せばいいだけの話。管理組合への参加義務もないので面倒な人間関係も基本的にかかわらずに済む。加えて、いろいろな街に住むことで地域への理解が深まるという副産物もある。

 

 雑誌などの特集では、よく「どっちが有利? 賃貸と購入」といった特集が掲載されるが、私の見解は「若いうちは多少不便でも賃貸で貯蓄に励み、現役引退が見えてきて、家族構成やライフスタイルが固まったら築10年ぐらいの戸建てを購入するというものだ。

 

 幸いなことに、不動産経済研究所によれば、都区部の分譲マンション平均価格が1月には1億円を超えるなど、マンション価格は高騰がつづいているが、郊外の戸建ての価格はほぼ横ばいと言っていい状態。今後の空き家率の向上を考えれば、中古の戸建てなら「相当安い」価格で購入できるようになる可能性が高い。

 

 マンション購入を勧める向きが必ず口にするのは「資産価値の落ちない物件」というキーワードなのだが、相対的に資産価値が落ちにくいとされる都区部の1億円を超える物件を無理なく購入できる層が、どれほどいるのだろうか。購入希望層の現実を見ずに不動産会社にすり寄った発言としか思えない。

 

 戸建てでも修繕費用を考慮する必要は当然あるが、私の経験ではごく普通の戸建てだが15年おきに屋根と外壁の塗装で費用は100万円程度で済んでいる。月額換算で5555円ほどだ。

 マンションのような毎月数万円単位の管理費、修繕積立金はかからない。駐車場も家の前にあって便利だし駐車場代も不要だ。

 

 騒音などの人間関係の問題に加えて、おカネという側面からも「戸建ての優位性」は明らかだと思っている。