人生に信念はいらない
2018年8月7日
臨済宗龍雲寺の住職が「座禅」について語る内容である。
本書がデビュー作とのことだが、前半は「修行生活」「座禅入門」など分かりやすい内容だったが、後半
(第5章)あたりから、専門用語が飛び交うようになり、段々難しくなっていく。
何とか最後まで読み切ったが、第7章「心の柱を打ち立てる」では、著者が読者ために分かりやすく説明し
何とか最後まで読み切ったが、第7章「心の柱を打ち立てる」では、著者が読者ために分かりやすく説明し
ようという気合は伝わるのだが、引き合いに出される「禅語」の解釈がやや難しいと感じた。
臨済宗の座禅では「黙って、無心になって座ることが大事」と指導することが多いようだが、著者は「考え
臨済宗の座禅では「黙って、無心になって座ることが大事」と指導することが多いようだが、著者は「考え
る座禅」を提案している。
何も考えないのではなく、「自分の心の柱は何か?」と自分に問いかける。この時に大事なのは「答えを連
想させない」こと。余念を挟まずに心に浮かび上がった想いが「初念」が自分にとっての正解であるという。
この「心の柱」を自分のなかに見つけ、確立することが「禅の悟り」であり、この「心の柱」を自由自在に
この「心の柱」を自分のなかに見つけ、確立することが「禅の悟り」であり、この「心の柱」を自由自在に
働かせることが、禅でいう「無心」の境地となると説明している。悲しみや嬉しさの感情でこの「心の柱」が
振れることになっても、その揺れ幅は人生の豊かさに他ならない、とのことだ。
著者は、座禅は何かを「得る」ためにあるのではなく「捨てる」ためにあるとし、座禅によって日々の雑念
著者は、座禅は何かを「得る」ためにあるのではなく「捨てる」ためにあるとし、座禅によって日々の雑念
やストレスを捨てることに意味があるという。
確かに座禅による「心のリセット」で得られるものは意外に大きそうな気もする。今日からでも本書を参考
に座禅を組んでみようという気になりかけている。