「さみしさ」の研究
ビートたけし
2018年11月30日
あとがきで著者が、「いままで小学館から出す本は『世間への違和感』を毒舌で叩き切るスタイルだった」
と言うように、今回は「さみしさの研究」という一見雰囲気のまるで違うタイトルになっている。
というものの、読後の感想を言えば、「さみしさ」に関連するのは、第1章の「老い、鼓動」と第2章の「
というものの、読後の感想を言えば、「さみしさ」に関連するのは、第1章の「老い、鼓動」と第2章の「
死」までの約半分で、残りの半分はやはりメディアや政治、芸能界などへの違和感の毒舌だった。
まあ、本書を手に取る時点で読者は、著者の「毒舌」をある程度期待している側面はある訳で、とやかく言
うのは野暮ではあるのだが。
本書で個人的に面白いと感じた内容は、第1章のテーマ「老い、老後」に集約されている。
本書で個人的に面白いと感じた内容は、第1章のテーマ「老い、老後」に集約されている。
71歳になった著者は、まず巷に溢れる「孤独礼賛本」の主張に疑問を呈し、まずは「老い」と「孤独」は
残酷だというところから始めるべきであり(p19)、人生は年齢を重ねるほどつまらなく不自由になってい
く。夢のように輝かしい老後なんてない――それが真理だ(p21)と説いている。
この根拠となっているのが「老いと戦っても勝ち目はない」という考えで、現実に自分の身に起きる精神
この根拠となっているのが「老いと戦っても勝ち目はない」という考えで、現実に自分の身に起きる精神
的、肉体的な老いを「自己客観視する能力」が年寄りには重要になるとしている。ちなみに本人はこの能力に
絶対の自信があるそうだ。芸人として常に新しい分野に挑戦し、実績を残してきただけに説得力はある。
まあ、確かにスポーツやファッションで無理をして若作りしている年寄りを見ると、痛々しくて「あなたが
まあ、確かにスポーツやファッションで無理をして若作りしている年寄りを見ると、痛々しくて「あなたが
意識しているほど他人はあなたを見ていないよ」と言いたくもなるのだが、この自己を客観視する能力は年を
取るごとに劣化するのはやむを得ない面はある。
というのも、そういう助言をしてくれるのは、自分より上か同じ世代までだからだ。年を取れば目上の人も
同じ年齢の人も少なくなるので、自分で常に意識していなければいわゆる「痛い」老化対策が進行するのは避
けられない。
もうひとつ共感したのは、老人は「若者に媚びるな」(p22)という主張。団塊の世代の老人は「世間や家族
もうひとつ共感したのは、老人は「若者に媚びるな」(p22)という主張。団塊の世代の老人は「世間や家族
に尊敬されなくてはいけない」という考えから、その尊敬するかどうかを判断する若者に気に入られようと行
動してしまう、という指摘だ。
10月に出版された「凶暴老人」(小学館新書)にも、「高齢者の60%近くが若い世代との交流を望んでい
る」という調査結果が引用されていたので、確かにこの傾向はあるのだろう。
ただ著者も述べているように、いい年をしたシニアが若者に必要以上の配慮をする必要はないし、もっと
ただ著者も述べているように、いい年をしたシニアが若者に必要以上の配慮をする必要はないし、もっと
「自由に」「気楽に」「自分の」人生を楽しめばよいのにと思う。
どうも最近のシニア本を読むと、「孤独に耐えられずに落ち込む」か「こらえ性がなくなって凶暴化する」、
もしくは本書にある「若者に媚びをうる」という、どこか「極端」に向かう老人が増えているのではないかと
いう気がしてならない。
自分もあと10年もすれば高齢者入りするので、不安が全くない訳ではないが、定年後に少なくとも他人に迷
自分もあと10年もすれば高齢者入りするので、不安が全くない訳ではないが、定年後に少なくとも他人に迷
惑をかけない範囲で、自分の「やりたいこと」を「やりたいように」する、もしくは「やりたいこと」がなけ
れば「何もしない」ことが、それほど難しいことには思えないのだが。
今後さらに年を取ると、先の「痛い老化対策」と同じように、無理のない生き方が難しくなるのだろうか。
最後に本書を読んで感じたのは、少なくとも一部の孤独礼賛本のようなタテマエの話ではなく、長い芸人生
活に基づいたホンネの内容だということだ。
ウケを狙った内輪話なども散りばめられていて笑える部分も多いが、政治、パワハラ、死刑廃止など真面目
な話もあり、少なくとも全体としてはいい加減な内容ではない。
コラムは別として著者の本を読むのはこれが初めてだが、第1章だけでも読む価値はあったと思う。