如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「日経を読むとバカになる」らしい。記者への辛辣な批評

日経新聞と財務省はアホだらけ

高橋洋一、田村秀男

2018年12月14日

 元大蔵官僚の高橋洋一氏と元日経新聞記者の田村秀男氏の対談本である。

 本のタイトルは、日経と財務省をコケにしているが、その矛先の大半が日経新聞向けられている。より具体
的に言えば日経新聞の記者である。しかも終始話の主導権を握っているのは高橋氏にあるように感じた。
田村氏の日経の内部事情の暴露も面白いのは確かだが。

 高橋氏の意図は各章の見出しを見るだけで想像がつく。まず、序章は「日経新聞を読むとバカになる」。
冒頭からいきなりこれである。

 その根拠の一部を紹介すると、「日経は米中の貿易戦争をモノの自由貿易の側面からしか捉えておらず、
その裏側にあるべき資本取引の自由化を、現体制の中国では実現できないことが最大の問題だということを
報じていない」という指摘だ。

 この視点からの記事を一切書かない、もしくは書けない「親中」な日経の不甲斐なさを批判している。

 日経を擁護する訳ではないが、日経の主張をそのまま鵜呑みにする必要はないのであって、あくまで中国で
の取材活動をしやすくするための忖度が記者に働いていることを前提にすれば、あとはどの記事をどう扱うか
は読者が決めればよいのではないだろうか。

 日経の読者には中国関連のビジネスに関係する人も多いはずで、そういう人には「隠された真実」も大事だ
が、幅広いジャンルの「ストレートニュース」への需要も根強いはずだ。

 個人的には、日経をジャーナリズムではなく、企業の広報紙だという位置づけで読んでいる。高橋氏が指摘
するように元ネタを直接読めば確実だろうが、一般人が日々の膨大な発表資料に全部目を通すのは不可能な訳
で、記事の取捨選択を新聞に委託しているようなイメージだ。

 第二章「財務省と日経は欺瞞だらけ」でも舌鋒は激しい。著者によれば、日経証券部の記者でも財務諸表が
読めるのは「何年かに一人で、ほとんどが素人」(p126)だそうだ。

 これにはさすがに田村氏も「証券部に配属になると(財務諸表は)徹底的に読まされる」と反論している
が、とはいうものの本人は独学で財務を勉強したらしい。

 まあ、日経の記者とは言え配属先はローテーションで数年ごとに異動になる訳で、財務省という超頭脳集団
が猛烈な仕事ぶりで身に着けた専門家レベル目線から、「素人」呼ばわれされるのも可愛そうな気はする。

 とは言え、記者の仕事で大事なのは、いわゆる「プロ」の仕事の意味や価値を、まったくの素人も含まれ
る「読者」のために分かりやすく「翻訳」することであり、官僚にバカにされるような知的水準では困るのだ
が。

 これで高橋氏の著作をレビューするのは3冊目になるのだが、全体を通じて感じたのは、今回も財務省を
筆頭に、日銀、マスコミ、学者などを思う存分「ぶった斬っている」ということだ。

 言っていることは間違っていないと思うし、共感する面が大きいからこうしてレビューも書いている訳だ
が、同じような批評スタイルにはさすがにやや既読感が出てきたのも否めない。

 本書では、マスコミ「日経」というどちらかと言えばアンタッチャブルなテーマでの批判だけに最後まで
白く読めたが、この調子で常に新たな標的を見つけるのは大変だろうな、と他人事ながら心配してしまった。

【追記1】
 高橋氏は、日経を含めて「記者はレクをする対象で、何か意見を言ってくることがまずない」と批判してい
るが、日経証券部の記者だった掛谷建郎氏については「教えてもらったことがあった唯一の記者だった」
(p117)と明かしている。

 これは知り合いを通じて人づてに聞いた話なのだが、掛谷氏は当時編集委員で、「取材先があらかじめ分か
っているような仕事はつまらない」という趣旨の発言をしていたそうだ。

 素人考えでは「取材先がはっきりしている方が仕事はやりやすいのでは」とも思うのだが、これは「サラリ
ーマン」の発想なのだろう。取材先を調べることから始めることに記者としての価値や意味があると考えるの
が本当の「ジャーナリスト」なのだと思い知らされた。

【追記2】
 田村氏の「東大以外で官僚で出世した人はいないの?」という問いに、高橋氏は「いないよ。数が少ないか
ら無理だと思いますよ」と回答している。

 しかし、現在の財務省の大臣官房長である矢野康治氏は一橋大学経済学部の出身である。これは十分な出世
だと思うのだが。主計局以外は出世にカウントされないのだろうか。