如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「正義」を語るときは「謙虚」も忘れずに

誰の味方でもありません

 古市 憲寿

 本書は週刊新潮に掲載中の同タイトルのエッセイを、雑誌に掲載された当時のまま新書にまとめた内容である。文末に後日談を補足しているが。
 従って、私を含めて新潮を購読している人には既読感はあるが、著者の立ち位置を改めて知るには役に立った。

 

 何かと発言が「炎上」することで話題となる著者だが、その行動の背景には、誰もが否定できない正論をかざす正義がまかり通るようになった結果、「人々の口が重くなり、当たり障りのない話題でごまかす」(p4)という社会が本当にいいのかという問題意識がある。

 

 また「正義」を振りかざすときには「謙虚」であることを意識すべきだとも述べている。その理由として、時代や環境が変われば「正しさ」は変わることを挙げている。

 

 要するに「自分が絶対正しい」と信じていることイコール「他人は間違っている」という認識になるという話なのだが、この考え方については私自身を含めて「自分の発言や行動に誤りの可能性があることを常に意識すべき」という点で大きな意味があると思う。

 

 あと、本書を読んで感じたのは、著者は感じたことや疑問に思っていることを私にはとても実践できないレベルで相手に質問していること。
 例として引き合いに出すと、著者は首相夫人である昭恵さんに「夫婦でセックスはするのか」という冷静に考えてみれば物凄い失礼とも思える質問をしている(p153)。もはや怖いものなしのレベルだ。
 これに対して昭恵夫人は、これまた具体的かつユーモアのある回答をしているのだが、その内容は本書で確認してほしい。
 


 まあ全体としては、若手の社会学者が世間に対して思うことをそのままぶつけた内容であって、それ以上でも以下でもない(元が週刊誌のエッセイなのだから当たり前)。
 著者の考え方についても同意できる内容もあれば、「ちょっとこれは」という部分もあった。

 

 ただ、何でもタブーなく自由に言えて、間違いがあっても修正すればいい。それくらい鷹揚でいられる人を増やすことが、実はいい社会を作っていくコツ(p6)という主張は、「正義」でギスギスしがちな現代社会において、ひとつの対応策ではないかとも思い始めている。