人生の醍醐味(扶桑社新書)
曽野 綾子
読後の感想を一言で言えば、共感できる内容は多くとても参考になったが、タイトルや本書の帯に書かれた多数のコピーは「著者の伝えたい事とはあまり関係がない」だ。
まず著者の主張について。
本書を通じて著者が伝えたい事を集約すると「世界的に見てかなり恵まれた環境にあることを日本人は認識する必要がある。その上で自身の考え方や行動が正しいか常に意識すべき」といったところだろうか。
この考え方の背景には、戦後の貧しい時代を体験し、発展途上国を中心に120カ国を貧困問題の調査で訪問したという経験がある。
民族間の内戦により100日間で100万人が虐殺されたアフリカ・ルワンダの墓場で感じた強烈な「死臭」を、日本の若者に体験させれば「『自分は生まれながらの平和主義者だ』などという軽薄な信念も少しは揺らぐだろう」(p196)という主張には説得力がある。
こうした原体験をもとに、著者は日本の現状を批判する「正論」を語るわけだが、その矛先は中国を擁護する左派マスコミ、必要以上に疑惑追及に傾注する野党、道義心を失った企業など多岐に渡る。
特にマスコミに対して「(政府の)悪口を書いていればそれで充分批判的でいられるように思う浅はかな傾向は、書き手に力のない証拠」(p90)という指摘は強烈だ。
また、急増する老人の介護環境整備が追い付かない現状を懸念し、「当節『平和』を口にする人は、デモに行く時間に、まず自分の身近の人たちの面倒を見るべき」(p143)と“身内の平和”を優先しろ、と批判している。
個人的な考えを言えば、以上のすべての要因は「物事を多面的に捉え、自分の頭で考える人が減った」からだと思っている。
人の欠点を論うことに終始し、マスコミの主張を鵜呑みにし、マニュアルに従って仕事をしていれば、これ以上「楽」な生き方はないだろう。一方、目の前にある現実の「背景」「意味」に思いが行かない人は、人間としての成長は見込めない。
世間では、単純な事務作業などはAI(人工知能)に置き換わるという話題で持ちきりだが、これは同じ作業を任せるのに機械の方が安上がり、というコスト面だけの理由だけではない。成長の見込めない人間は「技術的に進化し続けるAI未満のレベル」でしか仕事ができないからだ。
ここまで著者の主張とそれに対する個人的な見解を述べたが、以下は本書のタイトルなど外観的な側面について一言。
まずタイトルだが、著者が「まえがき」で書いているように、編集部主導で決まったもので本人は「人生の醍醐味など味わったことはない」としている。これを読んだ時点で本書への期待度が低下する読者も多いのではないだろうか。
また表紙の中央、帯の最も大きい字で書かれた「『人生の成功者』になる秘訣」というのも、本書を読むと「えっ、そんなことなの」というのが実感だ。まあ、意表を突かれたという驚きは多少あったが。
この秘訣で成功者になれると納得するには、まだ私が若輩すぎるという事情もあるのかもしれないが。
以上をまとめると、本書はタイトルと帯に惹かれて読むとやや期待はずれかもしれないが、書かれている内容は、戦争、貧困を体験した年長者からの貴重な人生アドバイスだ。
ただ私が懸念しているのは、この本を読む人は従来から自分の頭で考えることができる人が大半で、著者が読んでほしいと思っている人々にはおそらく「読書」という習慣がないということだ。
かくして貴重な著者のメッセージが生かされない可能性が高いのは残念だが、現在の日本は人口も経済も下り坂の入り口にあるなかで、これに加えて日本人の精神的な衰退傾向も避けられないとなれば、日本の未来に明るい希望を持つことはかなり難しいと言わざるを得ない。