如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「教養」とは情報を結び付けて生かす「力」

東大教授が考えるあたらしい教養 (幻冬舎新書)

垣裕子, 柳川範之

 

 最近ビジネスマンの間で何かと話題に上ることが多い「教養」について、東京大学の教授2人が解説する本である。

 とは言え、「はじめに」で「本書は教養と呼ばれる知識を得るための本ではない」とあるように、本書が目指すのは「教養どのようなもので、身につけるために何が必要かを考えていく」ことだ。

 

 序章では「教養=知識量ではない」という前提から、教養とは情報を選別、活用するといった生かす力であると定義している。
 
 続く第一章では、具体的に「考え方の異なる人と建設的な議論ができる力」を教養だと位置づけている。また、正解のない問いについて考え、他者と知恵を集結しながらよりよい解を模索することの重要性を指摘している。

 ここで引き合いに出されている例が秀逸なので一部紹介したい。
 日本のサッカーでは、コーチが選手に「自分で考えろ、アイディアを出せ」と言うのが仕事になっているが、言われた選手は「コーチが何をやってほしいと考えているのか」を考えている、という考察だ。
 言うまでもなく選手は「真面目に」考えているのだが、その方向性が完全に間違っているのである。

 これはビジネスの世界にも通じる話で、上司との会話や会議での報告などでも「自分の考えではなく、上役の考えを忖度することに全力を挙げる」というのは、自分も含めてありがちな話ではある。

 

 第二章は東京大学の教養課程での教養に関する講義の内容について、第三章はビジネスの現場で教養をどうやって生かすか、という視点からの解説だ。どちらも具体例が豊富なので、分かりやすいし参考になる。

 

 最終の第四章では、教養を身に着ける実践方法についてだ。個人的に参考になったのは「意識的に視点を切り替える」というアドバイス。「蟻の目」と「鳥の目」の使い分けや「過去から見たら」「未来から見れば」などの物事を多面的に捉えることは「自分の思考や価値観の相対化につながる」という指摘は的を得ていると思う。

 

 全体としては、東大教授が教養というやや硬いテーマを語る本としては、文体は読みやすく最後まで一気に読めた。
 「教養を得る」のではなく「教養を得る方法を得る」という意味では参考になると思う。

【追記】
 第二章の冒頭で「東京大学は現在、国立大学で教養学部を持っている唯一の大学」とあるが、これは誤りである。教養学部を持つ埼玉大学は列記とした国立大学法人である。しかも大学のホームページの学部紹介では最初に「教養学部」が掲載されている。
 これは推測だが、著者には「国立大学とは旧帝大や一期校だ」という先入観があるのではないか。ちょっと調べればわかる事実に考えが及ばないのは、鳥の目で見るという「教養」に欠けている側面があると言われても仕方ないのではなかろうか。

 

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