バカになれ 人生の勢いの取り戻し方(朝日新書)
齋藤 孝
タイトル「バカになれ」は、仕事に全精力を注ぎ込んできたものの、気力・体力が衰え、人生に諦めを感じている中高年男性に向けた応援メッセージである。
第一章では、人生を苦しくする三本の鎖として、「他者の視線」、「コンプライアンス意識」、「個性的であれという圧力」を挙げている。
三番目の個性的というのは、前の二つが意味する「目立たないように行動する」と相反するようにも思えるが、価値観の多様化が進むなかで、画一的でないモノやサービスへの要求が高まったことが、個性の重要性に結び付いているという見立てだ。
ただ著者は「社会が個々人に個性を求めることはいい風潮ではない」(p27)としている。例として「個性的と言われたい」という欲求が「バイトテロ」や「バカッター」を引き起こしたことを引き合いに出している。
もっとも、ここまで愚劣な行為ができるのは、世間知らずの若者か、何も考えていないバカ者のどちらかだろう。
私自身50代後半だが、同年代の周囲を見回してもあまり「個性」にこだわっている人は見かけない。40代までは仕事で実績を上げて他者よりも評価されたいという意識を多くの私を含めた同期の多くが持っていたが、ほぼ出世の「決着」も付いたせいか、本人も周囲も淡々と人生を送っている。
おそらく定年を迎えて、本当に仕事がなくなったときに「会社なし」の自分が「個」として自立できているかを試されるのではないだろうか。
第二章では、「自分本位」「ときめき」といった精神面での情熱を呼び覚ますことを、第三章では、「ライブ感」「笑い」など身体面での高揚感の重要性を説いている。共感できる内容ではあるが、何冊か著者の作品を読んだことのある人には既読感があるかもしれない。
最終章では、好きなものに徹底的にハマりその道の「バカ」になることを勧めている。言うまでもないがすでに公言できるレベルの趣味を持っている人には不要な指摘だろうが、仕事中心の人生を送ってきたサラリーマンの多くは、自分は何が好きなのかを探すところから始めることになるだろう。
60歳で定年を迎えても人生はまだ20年以上ある。「バカ」になるには十分すぎるほどの時間だ。
【個人的な見解の相違】
第二章で、好きなモノを「大人買い」することを推奨する一方で、ギャンブルについては射幸心から依存症につながりかねないとして否定的な立場だが、これには反論したい。
私は30年来の競輪ファンだが、これまでお金に困ったことや、依存して他のことができなくなるといった「弊害」は一度もない。
これは一日に使う賭け金を一定額(3000円から5000円)に決めていて、買っても負けてもこの金額以上つぎ込まないと決めているからだ。
ちなみに競輪場では、レースを予想をするのに「頭」は欠かせないし、場内を忙しなく動き回るので「足腰」も使う。ついでに言えば、予想は大体外れるのでショックで「心臓」もタフになる。
個人的には、競輪は心身ともに鍛えられる格好の「趣味」だと思うのだが。