「Uber Eatsつけ麺事件」があぶりだした問題点(東洋経済オンライン)
本田 雅一 : ITジャーナリスト
車や民泊など社会のリソースを有効活用するシェアリングエコノミーで、料理の配送システム「Uber Eats」で起きた事件とその問題点を解説する記事「『Uber Eatsつけ麺事件』があぶりだした問題点」が10月19日付けの東洋経済オンラインに掲載された。
事件の概要は「予定到着時刻を30分以上過ぎて到着し、つけ麺のつけ汁が大多数失われていただけではなく、配達者は受け取りを拒否された料理を、届け先の集合住宅共有部に無断で投棄していた」ということ。
記事では事件の起きた理由として、
- Uber Eatsが提供するサービスが「出前」ではなく、配達員と発注者とを結び付ける「マッチング」であることが広く周知されていない。
- 配達員が、直接、発注者として問題提起をした人物にクレームや事実確認を繰り返し行った
- Uber側が配達人による料理の投棄に対して極めて消極的だった
の3点を挙げている。
そもそも、この問題の根本的な問題としてUber Eatsのサービスが「個人事業主」という個人と企業との契約であり、会社の従業員ではない立場ではないという実態を知る必要がある。Uber Eatsの配達員(正確に配達パートナー)は「個人」として仕事を請け負っている。
この点を理解すれば、1はUber Eatsがサービスの主体が「仲介する自社」でなく「契約した個人」であることで、2は配達員「個人」の評価すなわち契約に直結するための行為であり、3については配達サービスという契約以外の問題には会社は干渉しない、ということで説明できる。
こうした個人事業主との契約による配送業務は通販最大手Amazonも「Amazon Flex」という名称で手掛けていて、個人事業主による配送スタイルは普及傾向にあると言っていいだろう。
Amazon通販を利用している人はすでに気づいているかもしれないが、数年前まではヤマト運輸が配送業務を独占契約していたが、委託配送料の安さにヤマトがキレて大幅な値上げを要求、マスメディアを通じた世論の同情もあって値上げが実現したことで、その後Amazonが自社での配送業務の整備を進めてきたという事情もある。
実際に自宅に来る配送員も、私服でいかにもアルバイト的な雰囲気を醸し出している人もいるのが実態だ。まあ配送を真面目にしてくれれば問題はないのだが。
さて、この「個人事業主」による配送サービスだが、個人的にはメリット、デメリットの両面があると思う。
メリットについては、個人が空いている時間を有効活用することで収入が得られるということ。アルバイトやパートで生計を立てている人は言うまでもなく、副業が認められつつある正社員にとっても利用である可能なことは、社会全体としてみれば個人収入の増加という生活水準の向上が見込める。
日本では長らく正社員の賃金は停滞したままだし、役職定年で50代で給料が大幅に低下、さらに60歳以降は再雇用契約で一段と手取りが減る実態を考えると、副業へのニーズは今後高まり、このニーズを個人事業主契約の配送業務が取り込む可能性は高い。
民泊やカーシェアは「モノ」の有効活用だが、配送サービスは「時間」がその対象になっている訳だ。
一方のデメリットだが、これは記事にもあるように、配送員が「会社の従業員」ではなく「業務委託の個人」という形態であるために、「会社の看板」を背負っているというような責任感がないため、配送業務の品質が一定でないことが挙げられる。
私が体験したAmazonの配送員にも、愛想がないのは仕方がないとしても、荷物を車庫も前の公道ではなく、断りもなく私有地の玄関まで踏み込んできて、ドアを開けたら荷物と伝票を持って目の前にいた、という経験を何度もしている。法律には詳しくないのだが、居住者の許可なく入り込むのは「不法侵入」には該当しないのだろうか。
ここからは個人的な憶測だが、一人住まいの女性などは「私服で不愛想な配送員」に警戒感を持つ人もいるのではないだろうか。想像するのは不謹慎化もしれないが、配送員が配送先の女性に特別な感情を抱かないとは言い切れない。
「会社の社員」という立場であれば効いたブレーキが、「個人」だと効かない可能性もあると思う。今後個人事業主の配送員が増えれば、その可能性は高まるだろう。
もちろん配送を委託する側も配慮しており、記事では「Uberの配達人になるには書類審査以外に、Uberオフィスに出向いての面接が必要になる。他のシェアリングエコノミーも同じだ」としている。
いずれにせよ、社会的なニーズもあって「個人事業主の配送」がより一般化するのは必然だろう。今までとは雇用形態の異なる人たちによるサービスだけに、今後「想定外」の問題が起きる可能性はある。
心配しすぎなのかもしれないが、先述したような一人暮らしの女性に関係するような「事件」が起きないことを願っている。