如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

日米ともに奨学金の問題点は企業の「大卒信仰」だ

アメリカを静かに殺す「学生ローン」という爆弾(東洋経済オンライン)

アイネズ・モーバネ・ジョーンズ : ライター/編集者(在シアトル)

 

 アメリカの学生が抱える学生ローンの総額が初めて1兆ドル(約110兆円)を超えた。この金額はクレジットカードの合計債務額よりも多い――米国の大学生の多額の債務の現状と問題点を解説する記事「アメリカを静かに殺す『学生ローン』という爆弾」が1218日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

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 日本の公的な奨学金貸与機関である日本学生支援機構の平成28年度事業説明によれば、貸与金額の総額は1464億円だから単純比較では米国は日本の100、人口や進学率から見てアメリカの大学生は単純に日本の4倍程度の奨学金を借りている大学生がいるとしても、一人当たりの借入金額は日本の25倍程度になる。

 

 まず、なぜこのような高額の借り入れになるかと言えば、米国の私立大学の学費が高いから。記事によれば市大学生の年間費用は7万ドル(約760万円)だという。これには学生寮や食費、教科書代などが含まれているが、日本の私立大学の学費が、年間90万円(2018年、授業料)に比べれば格段に高い。

 

 ではなぜ、高い学費を支払ってまで大学に行くのかと言えば、この理由は日本・米国ともに共通で「給料の高い良い仕事」に就くため

 日本でも、大企業は「大卒」を採用条件にしている会社がほとんどだが、状況は米国でも同じようだ。

 

 ただ学生の抱える金額の絶対額の差は歴然としている。先に25倍と書いたが、日本でも学費以外の諸経費を考慮すればそこまで大きくないのかもしれない。

 また、一流私大を優秀な成績で卒業して、コンサルや投資銀行などに入れば初任給も日本とは数倍の格差があるはずで、彼らには返済は大きな負担にはならないだろう。

 

 私も私大出身だが、当時はまだ奨学金を借りる学生の比率は現在よりかなり低かったと思う。月数万円の借り入れだったが、借入時に面接があり、その後も毎年成績をもとにした面接があり、授業や試験に気が抜けなかったし、何よりも卒業後に100万円単位の借金を10年で返せるのかとても不安だった記憶がある。

 

 現在は、学生の半数が奨学金を借り入れているとも聞くし、時代が変わって借金への不安が薄らいでいるのかもしれないが、終身雇用制度が崩壊し、非正規雇用の比率が高まる中で、最大20年にも及ぶ返済が確実とは言い切れないのではないだろうか。

 

 記事では米国では、学費負担を担うべき親が10人のうち4人しか貯蓄をしていない、と親の学費のための貯蓄の低さを指摘しているが、これにはやや違和感を覚える

 初年度の入学金などを含む費用の支払いは高校生には無理だろうから親の肩代わりは理解できるが、その後の費用は自分で調達するのが当然ではないか。

 大学は義務教育ではないのだから、行く行かないを決めるのは本人である。しかも借入時に返済シミュレーションは明示されるはずなので、卒業後に「こんな多額の返済はできない」などと泣きつくのは、社会人としての自覚に欠けると言われても仕方がないだろう。

 

 もっとも、最大の問題は特に米国においては「学費」の高さだ。大学の運営費用や補助金の女性政策なども影響してるのだろうが、年間760万円は4年間で約3000万円ということだ。米国の郊外ならまともな戸建てが十分に買える金額だろう。

  さらに根が深いのが、大学にいかないと良い仕事に就けないという現実だ。進学したからといって良い仕事が保証される訳ではないのだが、行かなければその可能性すらゼロになる。

 医師や弁護士、会計士などある程度高給が見込める仕事に就くために専門学部に進学するならともかく、普通の人文科学、社会科学系の学部に進むのは費用に見合わない可能性が大きい。これは日本でも事情は似ているかもしれない。

 

 日本の場合、個人的に対策として考えているのは、会社側が「大卒」信仰を止めること、そして一定水準以下の大学の削減である。

 

 日本でも、2017年度に「実習や実験等を重視した即戦力となりうる人材の育成を目指す」専門職大学の制度が導入されたが、既存の高校や高専にも特殊分野に限れば優秀な技能を持つ生徒は少なくない。

 これは以前に新卒採用の関係者から聞いた話だが、就職希望者に一般常識のペーパーテストを実施したら、商業高校の生徒の方が、一部の大学生よりも点数が高いことは珍しくなかったそうだ。

  企業側も、就職希望者の「大卒」という肩書ではなく、「スキル」という資質を見極めて、人材を採用・育成するという方策を検討すべきではないだろうか。

 

 もうひとつの「大学の削減」だが、これはいわゆる偏差値の付けようのないFランクの大学を意図している。地方や郊外の小規模私大が多いが、事実上無試験で入学できるので、そもそも大学で勉強しようという意思のない学生が大半のはずだ。

 よって4年間の学生生活をアルバイトとサークル活動に終始し、卒業となる。こうして手に入れた卒業証書にどれほどの価値があるというのだろうか。それも多額の奨学金を借りてまで。

 

 米国の学生ローンほど日本の奨学金の事情は深刻ではないかもしれないが、根拠のない「大卒信仰」と、価値のない「大学淘汰」は、いずれ現実のものになると思っている。