如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

株式市場を「目の敵」にする慶大准教授の理解しがたい暴論

ついに株式市場の「化けの皮」が剥がれ始めた(東洋経済オンライン)

小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授

  

 コロナウイルスの感染拡大で世界の株式市場が揺れている。24日のニューヨーク株式相場のダウ平均が前週末1031ドル下げたことで25日の日本の株式相場も急落、一時日経平均は同1000円以上下げた。25日の米国相場も大幅続落したことで、今日も下げ基調になる可能性は高い。

 

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 こうしたなか26日付けの東洋経済オンラインに「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」というタイトルの記事が掲載された。著者は慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンスで、1992年東京大学経済学部首席卒業したとのこと。株式投資関連の著書もあるようだ。

 

 この記事について感想を言えば、大学の准教授とは思えないほど、株式市場を敵視し、その相場形成に対して異常なまでの感情的な反応なのである。過去に株式市場とどのような経緯があったのかは知らないが、とにかくその常軌を逸した暴論の勢いが凄いのだ。

 

 まず、これまで株価が下がらなかった理由として「『押し目買いのチャンス』、『一時的な不安だからファクトを見れば買いだ』、という『嘘の情報』が流れたのだろうか」と指摘している。

 ここで言う「嘘」という決めつけが大学教授らしくない。「買い」かどうかは投資家自身の個々の判断であり、「嘘」かどうかは投資家が決めることだ。押し目買いだったかどうかも将来の結果として判別可能な話である。使うならば言葉としては「未確定」とか「不確実」といった表現が妥当だろう

 

 次に、「債券市場は、株式市場が理屈抜きのギャンブラー、狩人が多いのに対して、債券市場は合理的で理屈っぽい分析的な投資家が多い」というのも偏った見方だ。

 株式相場には証券会社を中心に、個別銘柄や業界のアナリストや相場全体を見るストラテジストといった分析のプロが多数いて、日々数値を駆使したレポートを作成しているのを知らないのだろうか。

 債券市場では、過去に米ソロモン・ブラザーズの東京支店の債券トレーダーだった明神茂氏は一時年収7億円を稼ぎ、長者番付に登場したし、JPモルガンの東京支店長だった藤巻健史氏も国債のディーリングで巨額の利益を出した。どちらも大きくポジションを取る文字通りプロの「ギャンブラー」である

 

 あえてその違いを表現するなら、債券市場に比べて株式市場に占める個人投資家の比率が高いと言うべきだろう。個人トレーダーには確かに日計り商いを繰り返す「イメージ通り」の投資家も存在する。もっとも比率的にはNISAを使った中長期の投資も一定比率存在するはずだ。

 金融庁のNISA・ジュニアNISA口座の利用状況調査 (2019 12 月末時点(速報値)によれば、NISA(一般・積み立て)の口座数は1365万もあるのである。

 毎年期末になると雑誌などで「株主優待」「高利回り」の銘柄特集を組むのも、中長期の資産形成に関心のある読者向けの記事のはずだ。

 

 記事では「より重要で、本質的、直接的な理由は、原油、為替はほとんどが先物市場であり、株式(部分的に債券も)は現物市場が少なくとも半分を占めるからである」としているが、この説明の意図もよくわからない。「現物でないからポジションの整理、転換は簡単である。だから、危機が来れば直ちに危機に合わせてポジションをチェンジすることができる」とのことだが、これは著者のいう「ギャンブラー」に近い存在ではないのか

 

 また最後に「株式市場は信じず、為替市場や金利市場や、原油市場を注視する」ことを勧めているが、これも一方的な見方だ。株式相場は「半年先の景気を見通す」と言われることがある。短期的なブレはあっても中長期では業績を反映した相場になっていることは過去の相場が証明している。

 

 しかも「為替市場や金利市場や、原油市場を注視」と言っているが、これらの市場が先物で占められていると先に述べていることを考慮すると、「個人投資家も先物相場に参入すべき」という結論になるのだが、リスク許容という点でこれははななだ疑問である。

 「注視」とまで書くなら、FX(外国為替証拠金取引」でレバレッジを1倍にして投資(実質的に現物と同じ)するとか、原油のETFを投資対象にするといった個人投資家向けの投資商品を紹介すべきだろう。

 

 現在のコロナウイルスに端を発する世界景気への影響が読み切れない以上、株式相場の下落がいつ、どこまで下がるのかは誰も確実な予想はできないはずだ。その意味では外為も債券も同じ金融商品である。

 あえて「株式」に特化して、批判の矛先を向ける著者の意図が分からない。