如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

オワコンの百貨店業界、生き残り策は「不動産賃貸」か

もはや「小売り」での事業継続は不可能 

 百貨店(かつてはデパートとも呼ばれた)に対して、世間はどのようなイメージを持っているのだろうか。

 私の見解を一言で言えば「完全に終わったコンテンツ(オワコン)」である。

 

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 近年、百貨店が店舗を閉店、縮小する動きが続いているが、この動きの発端は1999年の東急百貨店日本橋店の閉店から始まったものだと思っている。つまり20年以上前から百貨店という小売り形態の衰退は始まっていたのだ。

 

 百貨店が衰退した原因としてはいくつも指摘されているが、個人的には「休日に家族で百貨店に行く」という昭和的な習慣が廃れたことが大きいと思っている。私が子供だった頃は特に目的がなくても、家族で催事場などの店内を徘徊し、最上階のレストランでお子様ランチを食べて、屋上の小さな遊技場で遊ぶのが楽しみだった。

 

 つまり百貨店は「人が集まる場所」という位置づけだったのだが、日用品の買い物をするなら「大型スーパー」、ブランド品なら「専門店」、遊ぶなら「テーマパーク」に向かうようになり、百貨店という名前の示す「何でもあり」という看板が「中途半端で何もない」という弱みに転じてしまったのだ。

 

 私の記憶を辿ると、百貨店の売り場からまず「家電品」が消えた。これはヨドバシカメラなど量販店の台頭の影響が大きい。次いで「屋上」の休憩スペースがコスト削減でなくなり、「食堂」も閉店し、個別のレストランに置き換わった。

 これらはすべて専門性の欠如が原因だろう。現在、消費者があえて百貨店に行く理由として大きいのは、地方の名産品などを扱う地下の食品売り場いわゆる「デパ地下」ぐらいではないか。しかも、このデパ地下も結局は食品専門店の集合体である。

 

 今後、百貨店が「小売り」として生き残るのは困難だろう。すでに一部の百貨店が実践しているが、都内の好立地の店舗は「不動産賃貸業」をメインに業態を転じている。物品を販売するのであれば仕入れ、売り場・売り上げの管理、返品などの業務に、人も時間も取られるが、売り場を賃貸に出せば、モノは売れても売れなくても賃貸料が毎月入ってくる。経営の安定度は大きく上昇するはずだ。

 

 この手法は朝日新聞など全国紙の新聞社でも行われていて、長期低迷が続く販売部数の落ち込みによる収入減を保有する不動産物件の賃貸収入で補っている構図になっている。

 

 他にも百貨店には逆風が吹いている。まずは「お歳暮」「お中元」の減少。会社の上司や仲人などお世話になった送っていた慣習が縮小している。ネットには出所は不明だが「お歳暮市場規模がなんと30年前に比べると激減(7割減)している」という情報もあった。

 

 次に大きいのが、ネット通販の台頭。実はどこの百貨店もチラシを配布して電話等による通信販売はかなり以前から取り組んでいたのだが、実店舗での売り上げへの影響を警戒したためか、積極的ではなく売り上げに貢献したとは言えない状況だった。この間にAmazonなどのネット通販に市場を席巻された。

 

 最後に指摘したいのが、オリジナル商品の欠如。先に述べたお歳暮などは「一流百貨店」の包装紙がモノを言ったが、この慣習自体が縮小している。私が社会人の新人だったころは「スーツの仕立ては三越」といった暗黙の了解があったが今は聞かないし、そもそもスーツ自体のニーズが減少している。

 

 という訳で、「小売り」としての百貨店業界の将来は明るいものではないのだが、三越、伊勢丹といったブランドは展開次第で今後も生き残ることは可能だろう。

 

 日本の百貨店を代表する三越日本橋本店のすぐ近くに、1699年創業の「にんべん」本店がある。この「にんべん」は当初は鰹節の販売・卸が中心だったが、現在では派生商品の「つゆの素」の売り上げが占める比率が高いと聞く。同じく日本橋の老舗で刃物を手掛ける創業228年の「木屋」も職人向けの包丁だけで商売をしている訳ではない。

 

 百貨店は都内の好立地の店舗を除けば、地方を中心に今後の閉店ラッシュが続くと思われる。過去の「モノ」を置けば売れる時代はとうに過ぎ去り、今は「モノ」を置いても工夫しないと売れない状況。車社会に対応してきた幹線道路沿いのアウトレットなどのショッピングモールですら立地次第で「時代遅れ」になりつつあるのが現状だ。

 

 かつて百貨店への対抗意識からダイエーの創業者中内氏は「百貨店は(小売りではなく不動産の)大家だ」と言ったようだが、くしくも現状はその方向に向かっているように思える。