如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

私が「競輪」は楽しむが「競馬」をやらないワケ

馬を走らせるか、人間が自分で走るか

 

 「ギャンブル」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか。

 おそらく「競馬」「パチンコ」などを挙げる人が多いと思うが、正確には公的にギャンブルと認められているのは、「競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」の4つであるのはご存じだろう。

 

 来週末から競馬では、重賞レースである桜花賞が、その翌週には皐月賞が開催される。競馬ファンにとってはたまらない季節の到来ではないだろうか。

 

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 かく言う私は、基本的にギャンブルが「嫌い」である。ギャンブル依存症のように借金をしてまでのめり込んで家庭崩壊に繋がったりといった社会的な悪影響が大きいと思っているからだ。

 もちろん収益金の一部が、環境保全や福祉などの事業に回っていることは理解しているが、「賭け事」は本来人間が生きていくために必須のものではない。いわば趣味や嗜好品と言っていいだろう。

 

 そのなかでも私が特に問題視しているのが「競馬」である。ここからは極めて個人的かつ独善的な意見であり、競馬ファンの方は嫌悪感を持たれると思うので、この先は読まないことを勧める。

 

 なぜ競馬が嫌いかと言うと、動物を人間の欲望で賭け事の対象にしているからだ。農作業で働く馬は農家にとって農作物の育成という生活上の実益に貢献しているが、競走馬はそうではない。

 人間の都合で、交配され、訓練を受け、レースでは鞭を打たれ、走れなくなれば処分される。しかもその根底にあるのはギャンブルで儲けたい、生計を立てたいという関係者の思惑しか働いていない。動物をこのように「身勝手に」扱うことに誰も疑問を持たないのだろうか。

 

 実はこの考え方についてどう思うか動物愛護協会にメールで問い合わせたことがあるのだが、回答は「この度いただきました内容に関しては、如月様のおっしゃっている通りだと思います。是非、日本中央競馬会へご意見を出されてみてはいかがでしょうか?」だった。

 

 ちなみにメールの文面には日本中央競馬会の窓口のリンク先も書かれているのだが、この窓口は受付専用でページには「ご意見・ご要望への個別の返信・回答はいたしかねます」と表示されている。

 動物介護協会には「うまくかわされた」といったところだ。おそらく様々な事情から、政府の管轄する事業には関わりたくないというのが本音だろう。

 メールには「本協会は犬や猫を中心とした家庭動物の啓発をメインに行っております」とも書かれている。であれば「動物愛護協会」ではなく「犬猫愛護協会」に名称を変えるべきだろう。どうにも偽善的な団体との印象を強く感じた

 

 という訳で「競馬」に対する私の狭小な視野に基づく見解を述べた。

 冒頭で「基本的に」ギャンブルが嫌いと書いたが、実はまったくやらない訳ではない。むしろ「競輪」は私の30年来の趣味のひとつでもあるのだ。

 

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 一見矛盾するように思えるかもしれないが、競輪は人間が自分の脚で、意志を持って走る競争であり、これこそが正にプロスポーツと言えるのではないか。しかも賞金は1レースごとに着順に応じて決まり、成績が悪ければ選手登録を抹消される。非常にシビアな世界だ。

 

 これは余談だが、昨年まで現役でレースに参加していた三ツ井勉選手は63歳だった。自分の体力(脚力)が勝負のプロスポーツで、60代半ばまで現役を続けられる競技が他にあるだろうか。しかも50代の選手なら現在もザラにいる。

 

 私の場合は、競輪を「ギャンブル」としてではなく「駆け引きのある自転車競技」として観て楽しんでいる要素が大きい。

 競輪場に行くのは年に数回だが、一日に使う金額は多くて5000円である。これは自分で展開を読めるレースしか車券を買わないので、約10レース中実際に賭けるのはその半分程度。払戻金の額よりも、予想した展開と結果になったことの方が嬉しいのが本音だ。

 30年もやっていると大体4~5レースに1回ぐらいは予想は的中するので、実際には午前中から夕方までいて3000円ぐらいしか損をしていないことが多い。交通費と食事代込みで5000円で一日中楽しめるのだからありがたい

 

 しかも競輪には、レースをすぐ目の前で観戦できるという他の公営ギャンブルにはない臨場感が楽しめる。まさに数メートル先を選手が全力疾走で駆け抜けていくのだ。この迫力のプロスポーツの入場料がたったの50円である(立川競輪場の場合)。

 

 話はちょっと変わるが、公営ギャンブルを嗜むようになるきっかけは「競馬」という人が多いだろう。マスコミの扱いも他よりは大きいし、ファンも多い。それに対して「競輪」はどうしても暗いイメージが付きまとう。想像するに、レースが生身の人間同士の力勝負なので「選手間で何か暗黙の取引しているのでは」と疑いの目で見られやすいという側面はあるかもしれない。

 

 だが私の周囲を見ると、競馬から始まって競輪に行き着く人はそれなりにいるが、競輪を止めて競馬に戻るという話は聞いたことがない。これは競輪という競技が、人間が自分の脚を使いつつ、選手間の駆け引きも重要なレースの要因であり、レース展開を読む面白さが他の公営ギャンブルよりも大きいからではないだろうか。

 さきに紹介した三ツ井勉選手に限らず、レースに勝つには若さの脚力だけでなく展開を読むアタマも必要なのだ。

 

 ここまで競馬を批判し、競輪を擁護してきたが、別に読者に競輪を積極的に勧めるつもりはない。ギャンブル全般に拒絶反応を示す人もいて当然だからだ。

 ただ繰り返しになるが、競輪を一攫千金狙いのギャンブルではなく、破格の見物料金で楽しめるプロスポーツと捉えて、馬を人間の都合で走らせる競馬とは本質的に違うものだ、ということを理解してもらえれば、一人の競輪ファンとしてこれ以上にありがたいことはない。