如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「選択と集中」がもたらしたもの――コロナウイルスで欠陥が露呈

やみくもに効率と利益の最大化を目指したが

 

 1990年以降、ビジネスの世界では「選択と集中」という言葉がこれでもかというほど喧伝された。

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 これはビジネスの領域を選別し、利益の見込める分野に経営資源を集中投資するという考えで、極論すれば「効率化を最大限に進め、利益を最大化する」ということだ。

 アメリカの元ゼネラル・エレクトリック会長で、米フォーチュン誌で「20世紀最高の経営者」にも選ばれた故ジャック・ウェルチ氏が常々主張していた「世界で1位か2位になれない事業からは撤退する」という言葉はまさにこれを具体化したものだと言えよう。

 

 かくして世界中の企業が、事業領域を選別して不要な事業の売却や、コスト削減のためアジア各国などでの工場建設などに動いた訳だが、昨年前半ぐらいまではこの経営が有効だったのは確かだろう。

 背景には、上場企業に対して「モノを言う株主」の存在感が増し、利益と配当の極大化を要求する傾向が強まったことも影響しているのは間違いないはずだ。

 

 さて現在、新型コロナウイルスで世界中の経済が混乱に陥る中で、この「選択と集中」は正しい選択だったと言えるのだろうか

 

 企業行動をまず「生産」という点から見ると、製造業の多くは、賃金などが相対的に安い中国を中心にベトナム、タイなどに工場を配置している。特に自動車など多種多様な部品を使うメーカーは、一定の品質を確保しつつも最も安い下請けから購入するので、結果として数多くの部品メーカーから調達するはずだ。

 

 これが今回のように工場の生産中止という事態に陥ると、すぐには代替品を調達できないから部品不足で完成車が生産できないという事態となる。

 コロナウイルスは予測不能ないわば「天災」のようなものだが、今回の事態は生産に関わる調達過程を過度に絞り込んだ集中が招いた「人災」といっていいだろう。

 米ブルームバーグは3月3日、自動車調査会社、カノラマの宮尾健アナリストのコメントして「中国のみで生産される部品もあり、状況が改善されなければ在庫がなくなった時点で『車が作れなくなる』と指摘」したことを報じている。

 

 一方、「売上」という面からも同様のことが言える。ここでは身近な事例として大手百貨店を取り上げる。各社が中心に中国からのインバウンド需要で大きく潤ったのは数年前でその後一巡感はあったが、それでも昨年までは余韻は残っていた。

 これが2月に入ると一気に風向きが変わる。日本百貨店協会の2月の全国百貨店売上高概況によれば、売上高は前年同月比12.2%の減少。インバウンドに限れば、購買客数は同68.3%の減少、免税総売上高も同じく65.4%の減少と目も当てられない状況だ。

 

 かつて家電販売大手だったラオックスが中国の蘇寧電器と資本提携したのは2009年、2013年には大型免税店「ラオックス銀座本店」を開店し、その後インバウンド需要で大きく売り上げを伸ばしラオックス自身も自社を「国内最大規模の免税店」とまで自認していたが、その効果も中国客の嗜好の変化などで数年に留まった。2020年2月からは6店舗を閉店、3店舗を一時休業するなど現在はリストラの真っただ中にある。

 

 こうなると「選択と集中」はもはや過去の経営スタイルとも言えそうなのだが、これに関して12年前の2008年に、日本総研が「研究員のココロ」として「選択と集中は本当に正しいのか」というコラムを発表している。

 

 その趣旨を要約すると、選択と集中には「当たりはずれが大きい」「長期的視野がない」という2つのリスクがあるということだ。2008年当時はインバウンド需要もまだ存在しなかったし、現在の新型コロナウイルスも予測できるはずがない。コラム自体は短いものなので是非読んで頂きたいが、現在でも十分に通用する先見性のある内容だと思う

 

 私自身、選択と集中という概念自体は悪い発想ではないと思う。先行きの見通しが立たない事業を抱えて業績の足を引っ張るよりは、売却して成功する可能性が見込める新規事業に取り組んだ方がマシなのは確かだからだ。

 要するに、選択・集中と多角化は相反するものではなく、取り巻く環境、強みのある技術、活用できる資金などに応じて柔軟に対応させていくべきものなのだろう。

 

 ここで具体例として、私が個人的に評価している「富士フイルム」という会社について触れてみたい。

 この会社もともとは「富士写真フイルム」といってフジカラーなどカメラ用のフイルムや印画紙がメイン事業だった。この会社の凄いところは、写真・カメラブームでフイルムの売り上げ本数が最大となる1998年の10年前からデジタルカメラの開発に取り組み、1988年には世界初のメモリカードに画像を記録するデジタルカメラ(フジックスDS-1P)を発表している。

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 これが1998年から始まる同社の人気デジカメFinePixシリーズの礎となったのは間違いない。デジカメ分野の技術では先行していた同じ印画紙メーカーの米コダックがデジタル化に遅れ、2012年に倒産したのとは正反対の動きだ。

 

  その後もコンパクトデジカメの衰退を予見するかのように、写真フイルム技術を生かした液晶ディスプレイに使用される偏光層保護フィルム事業に進出、シェア80%を占有している。そして2008年には化粧品事業にも進出している。

 一見、写真フイルムと化粧品には何の関係もないように思えるが、同社のWebサイト「富士フイルムだからできること」によれば、化粧品に使用されるコラーゲンは写真フィルムの主成分だそうで、他にも抗酸化機能、ナノテクノロジーも活用されているとのこと。この勢いに乗って、現在はサプリメント事業などにも進出している。

 今月9日には、抗インフルエンザウイルス治療薬「アビガン」について、新型コロナウイルス感染症を対象とした米国第2相臨床試験を開始すると発表、医薬品事業でも注目を集めているのは知っての通りだ。

 

 富士フイルムは時代の流れに沿って自社の得意分野を生かしながら「選択と集中」をうまく活用した事例のひとつだと思う。

 

 現在は世界中で混乱を巻き起こしているコロナウイルスだがいずれ収束するのは確か。その後ビジネスの世界で「選択と集中」の欠陥が指摘され、経営手法が見直されるのは確実だろう。

 その際に、新たな経営理論のキーワードがまた出現、流行してくるのかもしれないが、安易にその流れに乗るのでは、将来また同じような失策を繰り返すことになるのではないかと危惧している。

 コロナ禍の過ぎ去った後の将来が見通せない今の時期こそ、先の日本総研のコラムを是非読み返してほしい。