在宅勤務“先進国”の米国、すでにリモワ廃止&オフィス勤務義務化へ回帰という現実(ビジネスジャーナル)
テレワーク、在宅勤務という言葉がごく普通に使われるようになって2カ月余り。私が勤める会社でも政府の緊急事態宣言を受けて導入が決まり、原則として全社員が在宅勤務となり、出社する場合には事前にその理由を申請することになった。
こうなると、会議・打ち合わせや資料作成などで出社することは「理由」にならないので、必要最小限の業務作業員を除いて、テレワークは「義務化」されたと言っていい状態だ。
テレワークの実現で、仕事環境は一変した訳だが、これまで世の中の反応を見ると総じて「効果あり」と言っていいだろう。通勤時間の削減、勤務時間の使い方、集中できる環境などが主なメリットだ。
一方、家事や私用との切り分けが困難、家庭内に仕事に適した場所がない、といった不満も聞かれる。
こうしたなか4月18日付けのビジネスジャーナルに「在宅勤務“先進国”の米国、すでにリモワ廃止&オフィス勤務義務化へ回帰という現実」というタイトルの記事が掲載された。
その趣旨を簡単に言えば、テレワーク先進国ではIT関連の大手企業でテレワーク廃止の動きが出ている。その理由として、十分な信頼関係がない場合、テレワークはうまくいかず、生産性が低下するばかりか、人間関係さえ崩壊させかねないからだ、という指摘だ。
具体例として、米国のヤフーが2013年に、IBMが2017年にそれぞれテレワークを廃止、アップル、グーグル、フェイスブックも、テレワークを勧めてはいない、ことを紹介している。
記事では最後に「逆説的になるが、テレワークを進めるうえでのカギは、対面での信頼関係づくりにあるということになる」と締めている。
さて、この米国企業のテレワーク廃止の動きが、日本にも影響するのかどうかだが、個人的には、コロナウイルスで一気に普及した揺り戻しでテレワーク一辺倒の流れは多少修正されるとは思うが、1月以前のような社員のほとんどが毎日出社するような事態には戻らないと考えている。
その理由だが、まず日本と米国では社員を構成するメンバーに大きな違いがある。日本でも中途採用や外国人社員は増えてはいるが、大手を中心にまだ新卒で入社した日本人が大半を占めている。仕事に応じて必要な人材を多方面から随時採用する米国とは異なる。
つまり、記事で必要と指摘している信頼関係作りを、米国では対面でイチから構築していく必要があるのに対して、日本では同期入社という関係から情報を交換したり、同じ職場での勤務が数年以上になるという人間関係の深さから、改めて信頼関係を気付く必要が基本的にないのだ。
4月17日付けのYAHOOニュースでは「わが社はこうやってテレワークしています【日本IBM編】」として、同社では33年前からテレワークを実施、現在では、会社からはPCおよびiPhoneを支給、メールはLotus NotesとIBM Verse、チャットはSlack、Web会議はWebEx、資料の共有には、おもにBoxを使っている、と紹介。米国本社とは異なり日本IBMではテレワークを積極活用し続けている。まさに日米の社員層の違いが影響した結果だろう。
ちなみに同社は、政府から方針が示された2月25日には、「在宅勤務を強く推奨」に警戒レベルを引き上げたそうだ。
また別の理由として、通勤に伴う時間的、身体的な負担の違いが挙げられる。「平成28年社会生活基本調査結果」(総務省統計局)によれば、平日の通勤時間の平均(往復)は1時間17分。これは全国を対象にしているので首都圏に限れば2時間近くなるはずだ(片道約1時間)。実際、私自身東京郊外に住んでいるが、通勤には片道1時間15分かかっている。
一方、Webサイト「アメリカ人の通勤事情」によれば、平均通勤時間は片道25分30秒。しかも大半がクルマでの通勤と見られ、日本の満員電車による通勤地獄とはまったく事情が異なる。都市部への通勤には電車、地下鉄を使うアメリカ人も多いようだが、日本のような異様な混雑状況ではないだろう。(東洋経済オンライン:やはり1位は東西線、首都圏の鉄道「最新混雑率」)
さらに言えば、大手町、丸の内を中心とするオフィス賃貸料の高さ(坪単価5万円台!)もオフィス面積縮小、テレワーク推進の追い風になる。コロナウイルスの影響などで日本企業の業績回復が見込み薄の中で、経費の削減は最優先事項になるはず。賃貸料などの固定費は真っ先にその対象になるだろう。
以上をまとめると、日本は米国とは異なり、
(1)会社での人間関係がすでに構築されている
(2)過酷な通勤事情が社員の大きな負担になっている
(3)固定費オフィスの賃貸料削減傾向が強まる
などから今回のコロナウイルス対策で急速に普及したテレワークは、大手企業を中心に定着するはずだ。
普及を阻む要件として考えられるのは「部下の勤怠管理ができないのではないか」という管理職の懸念だが、これも社員の評価を「出社した勤務時間」から「貢献した成果物」へと切り替えることで対応できるはずだ。
この意識改革ができない管理職は、「そもそもマネージャーの器ではない」と判断される時期はすぐそこに迫っていると思う。