如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

政権への「批判」も、政府からの「地位」も欲する「さもしい」言い分

なぜそこまで「日本学術会議会員」の肩書にこだわるのか

 

 日本学術会議の新会員に105名のうち6名が除外されたことに対して、一部の学者やメディアなどが政府を激しく攻撃している。

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 共同通信などの報道によれば選ばれなかった6名は、2014年に施行された特定秘密保護法や2015年に成立した安全保障関連法への反対を主張するなど「反政府」の立場だったようだ。

 ここに注目したメディアなどが「学問の自由が損なわれる」とか「過去に前例がない」といったことを理由に、政権批判をしているように見える。

 

 私は学者ではないので、日本学術会議の立ち位置や評価等について詳細は知らないが、同会議のWebサイトには役割として「政府に対する政策提言」など4つが挙げられている。

 簡単に言えば日本学術会議は、日本学術会議法に基づいて、国が費用を負担することで、学術の進歩に寄与することを目的とし、会員は内閣総理大臣が任命するもの(第一章第一条等)ということになる。

 この趣旨に沿えば、菅首相が2日夜の記者団の質問に「法に基づいて適切に対応した結果だ」と述べたことは間違っていない。

 

 そもそも「学問の自由が損なわれる」という指摘については、橋下徹氏がコメントしているように、誰も政府批判をするような学問を研究すること自体を否定はしていない。本人の好きで選んだ学問の分野で何を研究しようがそれはあくまで自由であるのは事実だ。

 個人的な意見を言えば、今回選出されなかった学者やその周囲の人たちは、なぜ「日本学術会議の会員」という「肩書」にそれほどこだわるのか理由がわからない。

 学者としての評価は論文などの実績で決まるのであって、本来であれば肩書やどこぞの会員などというのは単なる「箔付け」に過ぎないはずだ。それほど自分の研究実績に自信がないのだろうか。

 

 しかも政府が資金を出して、総理大臣が任命する当会議のメンバーになりたいなら、反政府的な主張は控えるというのが一般的に見て合理的な判断ではないのか。学者として自己責任で研究、主張しているのだから、政府から会員に選ばれなかったことを「学問の自由」を盾に反論するのは、どう考えてもおかしい。「政権への批判はしたいが、政府のお墨付きの肩書も欲しい」というのでは、何とも「身勝手」かつ「さもしい」言い分ではないか。

 スジを通す学者なら、政府の管轄する会議のメンバーなど「なってくれと要請されるなら受けてもいいが、こちらから要望する気はさらさらない」ぐらいの気概を見せてほしいものである。

 

 加えて言えば「前例がない」という主張もおかしい。菅総理は就任にあたって「前例を踏襲しない」ことを明言しているし、そもそもここでいう学者の学問とは「前例のない領域」を新たに探究していくというのが本来の姿だろう

 

 ただ、日本学術会議が3日、任命されなかった理由の説明を求めるとともに、6人の任命を求める要望書を提出したことについて、このうち「理由の説明を求める」ことは理解できる。(改めて任命を求めるのは越権行為に思える)

 新会員のメンバーのリストを作成したのは同会議であり、これまでリストがそのまま採用されていたのが今回通らなかったことに対しては、日本学術会議内部での説明責任が生じると思うし、その説明をするための最初の責任は新会員を決定した総理大臣にあると思うからだ。

 今回の件に限らず法律上は問題がなくても、何の説明もなく「前例の排除」を実行すれば、実務を担う現場の混乱は避けられない。政策変更に伴う説明は、要不要の「理屈」ではなく「現実」へのスムーズな適用という視点からも欠かせないと思うのだが。 

 菅首相の改革への「熱意と意気込み」は高く評価しているが、もう少し「配慮や丁寧な対応」があっても良いと思う。

 

 菅総理が就任後に矢継ぎ早に打ち出した政策には、縦割り行政の打破を狙ったデジタル庁の設立など「前例にない」「既得権益の排除」という特徴がある。今回の日本学術会議の会員選出の件もこの趣旨・流れに沿ったものだとすれば、同じような事例、案件が今後相次ぐ可能性が高いだろう。その際には今回の件を参考に、より分かりやすい説明も合わせて実現してほしい。