如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

五輪開催反対派、取るべき手段は「行かない」「見ない」「読まない」の3原則で

都市間の持ち回り方式は完全に時代遅れ

 

  東京五輪開催への反対一辺倒だった世論が、ここにきて多少変化が見えつつあるが、まだまだ反対派の勢いは根強い。変化が起きているのは、開催まで1カ月余りとなり、世間に「もはや開催は避けられそうにない」という諦めムードが漂い始めたことが主たる原因だと思っている。

 

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 遅くとも18日には東京を始めとする「緊急事態宣言」は解除が決まり、「まん延防止等重点措置」に移行する見通し。感染者数に減少傾向は見られるものの、まだ予断を許さない状況だと思うのだが、これも東京五輪開催に向けての「前振り」と考えれば合点がいく。

 

 私自身は、今回の五輪に限らず、世界各国の都市で開催地を持ち回る現在の方式は完全に時代遅れだと思っている。インフラ整備や観客の誘致などで得られる経済効果は一時的で、その後自治体が抱える財政負担などのマイナスの影響の方が大きいと思うからだ。

 サッカーやラグビーならワールドカップ、陸上競技なら世界陸上などの世界大会があるのだから、すべての競技を一カ所に集めて開催する意味が薄れているはずだし、百歩譲って「伝統ある記念大会」として残すというなら五輪発祥の地ギリシャで毎回開催すればよいだけの話だ。むしろ「五輪の聖地」で開催される大会としてアスリートの認知度が高まれば、わざわざ開催国を転々とする必要もなくなる。

 

 誰もが知っているであろうこの指摘が話題になることがほとんどないのは、五輪開催によって恩恵を受ける人たちが困るからに他ならない。具体的には「ゼネコン」「マスメディア」「広告代理店」だ。メディアが五輪開催の有力な関係者なのだから、開催を否定するような話が表沙汰になるはずがない。

 本来不要で無駄になるものをあたかも必要かのごとく称賛して、建設費、視聴率、広告費をそれぞれ稼ぎたいという欲望が見え見えである。

 

 とはいえ、ここまで来るともはや政府や東京都に「五輪の再延期や中止」という選択肢はないだろう。東京の1日の新規感染者数が1000人を超えても間違いなく開催するはずだ。要するに反対派が何を言おうと「聞く耳は持たない」ということ。

 

 では開催反対派にできることはな何もないのだろうか。冷静に考えるとそんなことはない。手間もお金も時間もかけずに反対の意思を伝える方法があるのだ。

 それは東京オリンピック・パラリンピックに対して、観戦に「行かない」、テレビを「見ない」、新聞や雑誌を「読まない」の3原則である。要するに「無関心」を決め込むのである。

 

 16日時点で政府は最大1万人までの観客を受け入れ可能としたい方針のようだが、チケットは再抽選になる見通しだし、観戦にはPCR検査の陰性証明書が必要との報道もある。私自身当面は得体の知れないワクチンを接種するつもりはないので関係ないが、オリンピックとはそこまでして「観戦」するのもなのだろうか。その結果「感染」しては意味がないと思うのだが。

 

 競技を放送するテレビを「観ない」、新聞や雑誌の特集を「読まない」ことで、スポンサーは広告の効果を見直すだろうし、雑誌が売れなければ特集も組まれなくなる。こうして世の中の興味の対象外として存在感が薄らいでいけば、盛り上がる訳もなく、誰が言うまでもなくごく自然に「五輪は不成功」という結果を迎える。

 

 折しも、次回と次々回のパリとロスアンゼルスが同時に開催が決まったことや、その次の2032年の豪州ブリスベーンでの開催が最近決まったことも、国際オリンピック委員会が開催地の立候補が減ったことへの危機感の表れだろう。

 

 もはや今回東京で五輪が開催されるのは100%避けられない。ただ国民が観戦に行かず、競技に関する報道にも関心を示さないとなれば、中長期的観点から現在の都市持ち回り方式を見直すきっかけを「東京が作った」という実績は残せるかもしれない。

 個人的には、日本が「いくつメダルを取るか」よりも、どの程度「盛り上がらずに終わるか」の方に興味がある