如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

タイトルに期待すると失望するかも。徹底した高齢者擁護の姿勢

 

凶暴老人: 認知科学が解明する「老い」の正体

2018年10月3日

 本書のタイトル「凶暴老人」に惹かれて読むと、大きな失望を感じるかもしれない本である。

 基本的なスタンスは、「年寄りの暴行が増えているのは、前頭葉の機能低下で(怒りなどの)我慢が効かな
くなった高齢者をよそ者扱いする社会が悪いからだ。共生を目指すべき」ということになる。

 個人的な見解を言えば、共生を目指すからには高齢者にも社会に対して、相応の努力や配慮が必要だと思う
のだが、著者は「現代の日本社会では、お金を持っていて、仕事をしないで、元気に闊歩する高齢者に対して
『能力は低くて、親しみを感じない』という、もっとも共感しない外集団とみなしている」と、社会の高齢者
に対する認識不足が問題だとしている。

 この主張には大いに疑問を感じる。少なくともお金を持っていて仕事をしていない人に対しては、年齢に関
係なく「羨みや妬み」を持つ人が少なからずいると思うし、元気に闊歩している高齢者を「能力が低い」と考
えるのが当然だ、とは普通思わないだろう。

 一方、高齢者の犯罪が増えているのは事実だが、この主因は高齢者そのものの人数が増えているためで、人
口当たりで見れば検挙人数は減っている、という警察庁の「犯罪情勢」からの引用は興味深かった。

 犯罪は相対的には減っているのだが、絶対数が増えているのでどうしても目立つ。これに焦点を当てた「年
寄りの犯罪が増えている」といったマスコミ報道が煽っている傾向は否定できない。

 ただし、相対的に減っている高齢者犯罪のなかでも「暴行」だけは別で、平成28年までの10年間で2倍以上
も増加している。これでは「キレて暴走する老人」が注目を浴びるのは仕方のない側面はあるだろう。

 また、著者は大学で公開講座を受け持っており、「参加者のほとんどは高齢者で、大学生よりも熱心に聞い
てくれる」としているが、そもそも著者の専門は「認知科学」である。より関心があるのが高齢者で、自分自
身の問題なので真剣に聞くというのは当たり前の話ではないか。高齢者の擁護姿勢は個人の考え方だから構わ
ないが、ここで例として引き合いに出すには不適切だろう。

 他にも、社会が高齢者を無意識に「非人間化」している――など、どうにもこうにも「高齢者=弱者=特別
に配慮すべき存在」という図式があちこちに見られる。

 私の個人的な感覚で言えば、電車やレストランで大声を上げてうるさいのは大抵高齢者グループだし、たま
に会話の機会があっても自分のことを話すばかりで、相手の話は聞かない、その上話す内容が同じことの繰り
返しで、いい加減勘弁して欲しいと思う。

 著者からすれば、「誰もがいずれは高齢者になるのだから我慢すべき」ということになるのだろうが、少な
くとも現役世代の共感は得られないだろう。

 調査によれば高齢者の60%近くが若い世代との交流を望んでいるそうだが、若者は自分の人生を生きるのに
精一杯で「年寄りの面倒まで見切れない」というのが本音のはずだ。

 あと本書の特徴を挙げれば、調査・研究データが多いということだ。第二章の55ページから第五章の165ペ
ージまでのほとんどがデータの引用、分析である。

 客観的なデータを豊富に提示する姿勢は理解できるし、参考にはなったが、そもそもの著者の「高齢者の立場
をもっと尊重すべき」という姿勢にはどうしても共感できなかった。

 何においてもとにかく高齢者側には何の落ち度も責任もないというのは、「逆差別」ではないだろうか。

 良識のある老人は、著者のあまりにも一方的な高齢者擁護の考え方に、逆に「違和感」を感じるのではない
かと思う。