如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「売られる」のは日本の公共サービス。民営化は国益を損なうことに

 

日本が売られる

2018年10月5日

 まず、本書のタイトル「日本が売られる」を見た際に想像したのは、「少子高齢化の進む日本の将来に悲観
的な投資家が、株や債券や円を売って、日本経済が破綻する」というシナリオだった。

 ところが実際の内容は全く違っていて、「水、土地、学校、医療などの日本の基礎を成す公共サービスが民
営化によって、質の劣化が急速に進む」というショッキングな話だった。

 例えば「水」。日本では水道水がそのまま飲めるが、アジアで同じように飲める国は中東のアラブ首長国連
邦一カ国のみ。世界でもドイツ、オーストリアなど15カ国しかないという。

 世界的にも日本の水道の質は誇るべきものがあるのだが、企業に公共水道の運営権を持たせるPFI法を促進
する法律が成立した2018年以降、水道事業を民間に委託する自治体が相次ぐことになっている。これには民間
企業に任せれば、コスト意識が高まり「財政難に苦しむ自治体の負担が減って、効率的な事業を行うことが可
能になる」という考え方が前提にある。

 ただし、世界的に見れば過去の水道事業の民営化で、グローバルな「水」の大企業がまず実施したのは「値
上げ」だった。オーストラリアでは4年で200%、同じく南アフリカでは140%上昇したという。この結果南
アフリカでは1000万人が水道料金を払えず、給水が止められたそうだ。

 こうした値上げのほか、サービスの低下などを理由に、2015年までに37カ国235の都市で一度民営化した水
道事業を公営に戻している。それも多額の違約金を払ってだ。

 一方で、日本はこれからまさに水道事業の民営化が実現し始めるという世界の潮流とは180度違う方向を目
指している。「損」をするという結果が分かっているのに、その方向に政策を推進するというからには、背後
に民営化によって直接、間接を問わず「得」をする事業関係者がいるからに他ならない。(ただし民営化した
総数が不明なので「公営」に戻した自治体の全体に占める比率は不明。とはいえ赤字だが公営に戻していない
自治体も相当数あると思われる)

 次に興味深かったのは「労働」。著者は、働き方改革法案の成立で「過労死認定は間違いなく減る」として
いる。そのココロは「高度プロフェッショナル制度で基本的な労働時間の規制がなくなるから」。しかもその
対象となる職種や年収はまだ正式には決まっていないうえ、「省令」なので、官僚のさじ加減で自由に決めら
れるそうだ。

 こうなると、劣悪な労働環境を厳しくチェックし、逮捕権まで持つ監督官庁「労働基準監督署」の出番だと
普通は思うのだが、何と今年7月にこの「労働基準監督署」の業務の一部は民営化が始まったそうだ。不法労
働を「攻める」も「守る」も民間企業では、取り締まりのレベルダウンは避けられないだろう。政府の方針の
邪魔になる制度はすべて排除するという意図であることは疑いの余地がない。

 この他にも本書では、学校、医療(介護を含む)、老後、個人情報など、自分の身近にある公営事業が次々
と民営化の流れに乗せられている。

 一方で、この結果サービスの質が低下もしくは悪影響が出るなどの他国で起きた現実を見せられると、この
国の公共サービス等の将来と生活する国民の未来は、残念ながら真っ暗としか思えない。

 ここから先は私の想像だが、将来に希望が持てない国に明るい未来があるはずがなく、当然ながら「日本は
投資対象にはならない」ので、株式、債券、円が売られるというこのレビュー冒頭の「想像が現実化」するの
ではないかとも思える。もっとも、民営化で利益を得る企業は株価も上昇するだろうから、「企業は栄えて株
価は上がるも、国民は生活に貧する」という可能性も十分にあるが。

 著者は、最後の章で、市議会に参加したスペインの女性の「公共サービスを民営化したことは高くついただ
けではなかった。一番の損失は一人ひとりが自分の頭でどういう社会にしたいのかを考え、そのプロセスを失
うことだった」というコメントを紹介している。

 これから公共事業を本格的に民営化する日本は、この言葉の持つ意味と重さを深く考える必要があるだろう。

【追記】
 193ページ1行目にある教育、農業、労働、医療といった分野で民営化が進展することへの著者の危惧は理解
できる。ただし、この4業態に共通するのは「日教組」「農協」「労働組合」「医師会」という組合組織の社会
への影響力が、過去に非常に強かったことだ。

 もちろん功罪の両面があるだろうが、当時の日教組は「生徒を戦争に行かせない」という教育とは関係のな
いスローガンを盾にしていたし、農協は「コメは一粒たりとも輸入させない」と息巻いていた。総評は社会党
など自衛隊を違憲とする左派政党を支援していたし、旧国鉄の労働組合「国労・動労」は毎年のようにストラ
イキで通勤電車を止めていた。医師会の会長は、診療所等の休診日の扱いについて「休診日に病気になる方が
悪い」と放言していた(その後「運が悪い」に訂正したらしいが)。

 時代が変わったのは事実だが、中年以上の世代には、こういった過去の過激な組合活動への強い拒否反応を
覚えている人が、いまだに少なくないように思える。過去における「世間から理解を得られない行動」が、現
在の「民営化への世間の無理解・無関心」の要因のひとつになっているとすれば、言い方は悪いが「自業自
得」とは言えないだろうか(国民にとっては不幸なことだが)。

 公営事業の民営化に国民からあまり反対の声が出てこないのは、政府が情報をうまくコントロールしている
面もあるだろうが、「厳しい競争がなく、コスト意識も感じられない親方日の丸の公共サービスは民営化した
方がマシ」と漠然と認識している人が多いからだと、個人的には思っている。