インフォーマルなオンライン職場を生かせるかがカギに
ここ数日東京の新型コロナウイルスの感染者数が100人を上回り、再び感染が急拡大するのではないかとの懸念が高まっている。現状では都も国も再度の営業自粛要請は考えていないようだが、このペースで感染者が増加すれば何らかの対応は迫られそうだ。
さて今回のテーマは「在宅勤務」。緊急事態宣言の終了もあって6月以降、出社する会社員が増えて通勤電車もそれなりに混雑を取り戻しつつあるように見える。もっともコロナ禍以前の水準まで戻るかどうかは時期も含めてまだかなり不透明だろう。
こうしたなか、「在宅勤務」を巡って、日本を代表する企業群の間で対応に差が出てきている。7月3日付けの日本経済新聞電子版に「伊藤忠は原則出社に 在宅ワーク定着の壁とは」というタイトルの記事が掲載された。
記事では「感染のピークがいったん過ぎた今、在宅勤務を継続するかどうか、企業の対応は分かれています」として、通常の出社に戻した例として伊藤忠商事やダイキン工業を、継続を決めた企業として日立製作所を紹介している。同じ3日の夕方に配信された「富士通、3年で国内オフィス面積半減 在宅勤務前提に」も日立と同じ立場の企業の紹介だ。
在宅勤務のメリット、デメリットは既に様々なメディアで報じられているので、ここでは総括的には触れない。記事では「在宅勤務下の『インフォーマルな組織』を活性化させられるかにかかっています」と結んでいる。
これは簡単に言えば「リアルな雑談」などの場が失われることで、社員が自由で気軽な意見交換などがしにくくなり、現場の生産性が低下することを懸念していることを示している。
また記事では、現在の大企業の経営陣は50から60代が多いため、若いころに会社帰りの飲み会などで「本音ベース」の意見交換をして、直接・間接を問わず仕事に役立った経験が強く意識されていて、在宅勤務への抵抗感が大きいのではないかと指摘しているが、これはほぼ正しい見方だろう。
ただ、こうした考えに取りつかれている企業の将来は総じて暗いと言えるだろう。コロナ禍以前から「終身雇用」「年功序列」は崩壊し、若手社員は「会社の名前」よりも「仕事の中身」を重視するようになっていた。これが今回の新型コロナによる強制的な在宅勤務の実現で、さらに「自分の仕事の在り方」をより深く考えるようになったのである。
具体的には、社内会議を仕切っていた肩書だけの部長の評価は大きく凋落、普段はあまり発言しなかった若手がデジタル環境への適応力の高さもあって、一定の存在感を示せるようになったのはその一例だ。大企業の場合、同じオフィス内でも階が違ったり、場所が遠いと数名で話をするにも、事前の調整が必要なケースが多かったが、在宅勤務ではMEETやZOOMなどで簡単に打ち合わせが可能になった。
自分の意見やアイディアなどを気軽に関係者と交わすことで、仕事の範囲や可能性が広がったのだ。
もちろん対面で話をすることで、他愛のない雑談から「何か」を得るというメリットがあることは否定しない。特に年配の人から有益な情報を引き出すには、直接会って話をする以上に効果的な手段はないだろう。だが、失礼かもしれないがこういう人たちは既に「過去の人」になりつつある。会社組織のデジタル化が急速に進み、情報の共有が優先される中で、個人が抱え込む情報の価値は一部を除けば低下せざるを得ないからだ。
その意味では、総合商社で学生の人気ナンバーワンの伊藤忠商事が「通常勤務」に戻したというのは意外だった。ただ経営陣も単に「元に戻したい」という発想からではないだろう。個人的には、周囲が在宅勤務を推進するのとはあえて反対の立場を取ることで、顧客との繋がりを一段と強めたいという意図があるのではないかと推測する。
総合商社大手といっても子会社などを含めれば、在宅勤務などにコスト面で踏み切れない中小企業との付き合いも多いはず。他社が在宅でデジタルな仕事を進めるのとは真逆に、アナログな人的な繋がりを強化するというのはひとつの経営判断ではある。
ただ、携帯電話があっという間にスマホに置き換わったように、在宅勤務という新たな仕事の進め方が世の中に周知されたことで、導入コストなどの障壁が下がれば、「定時出社」「通勤地獄」といったサラリーマンの典型的な仕事ぶりは中小企業を含めて大きく変わる。
このように激変する環境下で、いかにして「インフォーマルな組織」の特性を生かすかが、企業が生き残るための生命線となるような気がする。