SNSに疲れた現代人に贈る「面白さ」の本質論(東洋経済オンライン)
森 博嗣 : 小説家、工学博士
生きることは「面白さ」の追及である、という趣旨の記事「SNSに疲れた現代人に贈る『面白さ』の本質論」が11月9日付けの東洋経済オンラインに掲載された。
執筆したのは、元研究者で人気ミステリー作家の森博嗣氏。私はミステリーを読まないのだが、森氏を知っている。
というのも共通の趣味と言うのはおこがましいが、大型の鉄道模型(軌道幅が45mmあるGゲージ)で、過去にネットオークションで私が出品した機関車を購入して頂いたことがあるからだ。そして、森氏は鉄道模型に関する書籍「庭煙鉄道趣味 庭蒸気が走る毎日」も書いている。
ちょっと話がそれたが、このように経歴や趣味で多彩な面を持つ筆者が、人生の面白さについて語ったのが本記事だ。
まず初めに、研究者時代の面白さは「知る」ことだったこと、現在の若者が面白いと感じるのは「大勢に受けるもの」で、これは面白さを感じるのが「本人」か「周囲の人」かという点で対極にある、としている。
これが記事のタイトルにある「SNSに疲れた現代人に贈る」というキーワードに繋がっているのだ。
つまり周囲に合わせて「楽しませよう」とするから、結果として実際には自分は「楽しめていない」ということになっているという趣旨だ。
SNSは多くの他人とつながりを持てる点でメリットは大きいが、利用している本人が知らず知らずのうちに「他人のため」に自分の意見や時間を犠牲にしてしまい、他人との繋がりを楽しむのではなく、「いいね」の獲得が目的になっていることを森氏は警告している。
私自身はフェイスブックもツイッターもアカウント自体は持っていて、まだ有効なはずだが(未確認)、現在の更新状況はゼロだ。LINEに至ってはアカウントすらない。日々更新しているのはこのブログだけだ。
ブログを続けられるのも、他者とのやり取りが発生せず、自分の興味があることを自分の考え方で自由に書けることが大きな理由になっている。実際のところ「日記」に近いかもしれない。
当初は私もフェイスブックをきっかけに学生時代の旧友と繋がって、何十年かぶりにコミュニケーションを取れたりしてそれなりに面白かったのだが、いつの間にか「知り合いの知り合い」が増え始めて、よく知らない人との繋がりを面倒だと感じるようになって止めてしまった。
記事には「自分が成長し、あるいは元気になれる。そして、結果的に自己の満足を導く。そういうものを摂取することが『面白い』と感じるように、人間の脳はできている」とあるが、要するに「面白くない」ことを続けるのは疲れることであり、苦痛になるのだ。
SNSで「いいね」を獲得することが本当に楽しいと感じているのであれば、それは個人の感性の問題だから他人がとやかく言う話ではない。
ただ「SNS疲れ」という言葉が一般的になったことを考えると、面白いからとか楽しむためにやっていることが、実は「面白い」どころか「苦痛」になっている人は多いのだろう。
記事では最後に「生きるとは、『面白さ』の追求でもある。『面白い』ことを見失ったら、生きていけないのではないか」とまとめている。
ここで言う「面白さ」とは、「知的好奇心を満足させること」と定義してもいいだろう。これにはSNSで「いいね」を獲得することは含まれないはずだ。
本当の面白さは「知る」「気づく」ことから始まる、という森氏の主張には賛同したい。