如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

社会人は「学ぶ」ことを止めたらジ・エンド――学びの目的は様々

高学歴でも「学ばないおじさん」の目に余る怠惰(東洋経済オンライン)

横山 信弘 : 経営コラムニスト

  

「働かないおじさん」より深刻なのは、社会に出てから仕事に直接関わる「実務」の勉強以外、まったく自己研鑽しようとしない「学ばないおじさん」――という趣旨の記事「高学歴でも『学ばないおじさん』の目に余る怠惰」が3月13日付けの東洋経済オンラインに掲載された。 

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 著者は、企業の現場に入り、目標を「絶対達成」させるコンサルタントを自認する横山信弘氏。経歴によれば大企業から中小企業にいたるまで、200社以上を支援した実績を持つそうだ。

 想像するに、近年東大卒に人気の外資系のコンサルティング会社の「理論先行派」とは180度方向が異なる、いわゆる「現場重視派」と言えるだろう。

 

 私自身、「理論派」のコンサルタントを何人も見てきたが、学歴と外見(服飾など)と会社名は確かに立派なのだが、どうにも「自分たちの提案する経営の最新理論が正しい」という意識が強く、簡単に言えば「現場は理論に従えばいい」と押し付ける担当者が多かった。今で言えば悪い意味の「意識高い系」の典型だ。

 依頼する会社の上層部も、こういう「見掛け」属性の高いコンサルの話に乗ってしまうので、中間管理職たちは実態を知りつつも業務上「仕方なく」コンサル様の講義を聞いていた人も少なくないと思う。

 

 話を戻すと、今回のテーマは「コンサルタントの質」ではなく、コンサルを受ける「会社側の管理職」の問題である。

 冒頭にも書いたが著者は、現在会社の人事部門で問題になっているのは「働かないおじさん」という時代はとうに通り過ぎて、今は「学ばないおじさん」になっていると指摘している。そして「そんな『学ばないおじさん』が組織のミドル層に巣くっていたら、外部からやってきた経営者(とくに外資系)に一発で退場」と断言している。

 

 ここまでの話は正しいと言っていい。日々のビジネスの世界が変化していく中で、常に「学んで」いなければ後れを取るのは必至だからだ。特に成長も競争の激しいI Tなどの業界ではその傾向は顕著だろう。最新の技術情報に精通したうえで、マネジメント手法にも通じていなければ、管理職は勤まらない。

 

 昨年来「黒字リストラ」が始まり、その対象年齢が40代まで低下してきたことは広く知られるところだが、私のような50代後半になると、多くの企業では「役職定年」が実施されており、同世代の大半が役職も部下もなくなり、給料もカットされ、大きな仕事も任されないというのが実態だろう。

 つまり、会社からは仕事ではまったく期待されていないのだが、クビにするまで経営は追い込まれていないので、とりあえず席(籍)だけは確保され、いわば「飼い殺し」のような状況にある人が相当数いると思う。

 

 私の場合も、55歳でいきなり会社での立場が激変した際には戸惑いを隠せなかったが、現在では「仕事の成果ではなく、勤務時間を会社に売っている」という割り切った認識に改めた。

 ここで誤解されないように書いておくと、私は会社で「のんべんだらりん」とした怠惰な時間を過ごしている訳ではない。これまでの会社一筋の人生を方向転換して、定年後の第二の人生に向けて過去の経験を生かして、新たな知識、人脈、ノウハウを作る方向にエネルギーを使っているのであって、無為に過ごしているのではないと断っておく。

 

 「会社から給料を貰っておいて仕事をしないのか」という批判もあるだろうが、そもそも大した仕事も任されず、会議にも呼ばれず、業績への貢献も求められていない状況で、「何もしないで不貞腐れている」よりは、よっぽど前向きではないだろうか。

 

 個人としては、会社から与えられた役職定年以降の期間は、「自分の将来の人生設計を描くための猶予期間」だと認識している。つまり経営側からすれば「会社を頼らず、自分で生きていく術を考えろ」というメッセージだ。

 このように発想を転換すれば「会社は俺を見捨てた」とか「自分はまだ仕事ができるのに」といった不満はなくなるはずで、将来に向けて様々なことを「学ぶ」ことも当然のことになる。

 

 ただ、私の言う「学ぶ」は著者のいう概念とは異なるだろう。著者は「会社の経営に携わる者の常識として」学びが必要との指摘だが、私の意図する学ぶは「会社を離れても自分で生きていける術」を習得するためである。つまり「会社」のためではなく「自分」のための学びなのだ。

 

 とはいえ長い人生、「学ぶ」ことを止めてしまったら、その時点から「凋落」が始まるという点では一致しているとは感じた。