反対するなら対案を出さないのは無責任
いまさら言うまでもないが世の中はネット社会となり、誰もがWebサイトやSNSなどを通じて自由かつ簡単に発言できるようになった。
ほんの10年ぐらい前までは新聞、雑誌、テレビなどの大手メディアしか社会的な影響力を持っていなかったので、自分の意見を述べつ機会も手段も限られていたが、SNS全盛の時代となり、新しい話題やテーマなどはネットから拡散して、それをテレビなどが伝えるという情報発信の主役が変わりつつある。
とはいえ、無名の個人がツイッターなどで発言してもその影響は限定的だ。やはり芸能人や成功したビジネスマンなど有名人の発言の方が影響力が大きいのは事実だろう。
こうしたなか、4月27日付けのWebメディアJBpressに「著名人の政権批判、メディアは選別すべきではないか」という記事が掲載された。サブタイトルは「PV目当ての「タレント発言垂れ流し」はメディアの仕事なのか」である。
この記事、私が日頃から何となく気になっていたことをズバリと指摘していて、説得力もあった。まさに私が言いたかったことを代弁してくれたようなものである。
記事ではまず、堀江貴文のツイッターでの小池都知事や新型コロナウイルス専門家会議に対する発言を取り上げ、「堀江氏の主張は理性的のようには感じられません」と指摘、また、そうした発言を多くのメディアが取り上げるのは「発言を記事にすれば簡単に視聴率やアクセスが稼げるから」と解説している。
さらに、最近では芸能人にも政府の政策へのヒステリックな発言が目立つとし、その理由として
- 政治判断に100%の正解はないので、瑕疵を探して批判すればよく論立てとしては非常に容易
- 批判をすることで視聴率を上げられ、ネタを探しているメディアで取り上げられ宣伝効果が大きい
- 固定ファンもいることから、そのような人を通じて世論を引き込むことができ、批判を発信することによる見返りが大きい
を挙げている。以上の3点は芸能人に限らず、評論家やコメンテーター全般にもあてはまると思う。
まず1.だが、私はテレビをほとんど見ないので週刊誌のコラムを引き合いに出したい。連載されるコラムには当然様々な立場の人が自分の意見を述べているが、そのなかでも政府批判の傾向が著しいのが、サンデー毎日に「抵抗の拠点から」を連載中の青木理と、週刊朝日の「しがみつく女」を書いている室井佑月である。
まあ2人とも「毎週毎週よくここまで続くものだ」というぐらい手を変え品を変えて安倍政権の政策批判を書き連ねている。
あえて違いを言えば、青木氏が共同通信の記者出身らしく文章が論理的ではあるが、本人の性格のせいか「読んでいて暗い気分になる」。一方、室井氏は元銀座のホステスだけあって人当たりが上手なためか、文面は柔らかいが「表現が感情的で中身が薄い」ということだ。
逆に共通しているのは、激しい批判はするものの対案は出したことがないということ。過去のコラム全てを読んでいる訳ではないが、私の知る限り「こうすればいい」という提案は見たことがない。
もっとも青木氏は、過去のラジオかテレビの番組で「対案を出すのはジャーナリストの仕事ではない」という趣旨の発言をしているので、これはもう確信犯なのだろう。
何事もそうだが「批判」をするのは簡単である。政府が新型コロナウイルス対策で布製マスクを全世帯に2枚配布することを決めた際にも、「たった2枚」「なぜ布製」といった批判は多く聞かれた。一方で、「ではどうすればいいのか」、「それをどうやって実現させるのか」といった「対案」はほとんど聞いた覚えがない。
批判する人は2枚の布製マスクなら「ない方がマシ」とでも言いたいのだろうか。たとえ2枚でも手元にマスクがまったくない人たちにとっては「とても助かる」話ではないか。
2.と3.についてだが、これは私も自分の体験から感覚的に理解できる。今から2年ほど前になるが当時私は「Amazonレビュアー」としてランクを上げるのに夢中になっていて、2018年の6月に出版された人気作家の橘玲の「朝日ぎらい」を発売当日に購入してその日うちに一番目となるレビューを投稿した。本の内容は興味深く参考になったが、理解しにくい部分もあったので、★4とした(役に立った投票は45票)。
驚いたのはその翌日に★1のレビューが立て続けに投稿され、かなりの評価(142票と73票)を集めたこと。しかもこの2つのレビューに共通するのは「感情的な思い込み」だ。しかも内容が本への見解ではなく、関係の乏しい自説の主張でしかないという点も同じだ。要するに「自己満足のストレス発散」でしかない。
著者の橘玲氏が、同年7月11日の現代ビジネスで「『朝日ぎらい』な人々が世界各国で急増している理由」というタイトルの記事で「(この)類のレビューは、本文はもちろん目次すら読まずに書かれたものです」と書いているように、アンチ橘派は自分の意見と異なるといったん決め付けると、問答無用で反発、抵抗、批判をためらいなく盲目的に実行するのだ。そしてこれを支持する層がいるのも事実なのだ。
この反対の事例もある。元大阪府知事の橋下徹氏が昨年5月に出版した「実行力」には、現在244のレビューが書かれ、このうち★5が64%を占めている。私自身もレビューを書いているが、内容は事実に基づいていて、説得力があり大変参考になったので★5を付けた(投票数は112)。
ところがこの本、発売直後に1000件を超える★5つの評価が一時的に付いていたのだ。当時のスクリーンショットが手元にないので説得力に欠けるのだが、丸一日以上はこの状態だったと記憶している。Amazonのシステム障害でない限り、これは先の例とは逆に「橋本支持派の結束行動」なのかもしれない。もっとも反対派による巧妙に仕掛けられた罠の可能性もあるが。
ここまでいろいろ書いてきたが、私が言いたいのは「反対するなら対案も考えろ」、「人の意見を知名度や人気で判断するな」ということだ。
大体、自分の考えている事と違うからという理由で反対するだけなら小学生でもできる。先の室井氏のコラムやAmazonのレビューのように感情的な反発なら、幼稚園児の「泣きわめいて駄々をこねる」レベルだ。まともな大人なら「ではどうすべきか」まで考えるのが常識だろう。
誰にでも反対の意見を言う自由があるのは言うまでもないが、著名人、芸能人の「言いっ放し」に盲目的に共感するのは、同じような狭小な視野しか持てない一部のファンぐらいだろう。彼らはもはや、自分の頭で冷静に考えることを放棄していると言っていい。
そしてその著名人の発言を視聴率という観点だけで取り上げるメディアもまた等しく愚かだと言えよう。
SNS等で自分の「意見や主張」を明らかにすること自体は簡単だが、それによってその人の「人格や品性」まで評価されるということは覚悟しておいた方がいいと思う。もちろん私も含めての話だが。