如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

緻密な調査と取材、「公安」の概要がわかる良書

内閣情報調査室 公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い(幻冬舎新書)


今井 良

 

 タイトルは「内閣情報調査室」だが、その内容は政府が統括する「公安」に関する組織とその具体的な仕事についてだ。
 つまり、内閣が直接管轄する同調査室に加えて、警視庁公安部を中心とする「公安警察」、法務省の外局である「公安調査庁」についても、章を分けて解説している。

 

 これまで「公安」というと、国内の極左過激派の調査・監視が主たる任務だと個人的には思い込んでいたのだが、実態は内閣情報調査室がやや立場上優位にあるものの、現場を含めてこの3つの組織が、業務でバッティングする場面もあり、必ずしも協調関係にあるとは言い難い状況にあることは理解できた。

 さらに、この3つ巴状態の公安分野に「外務省」が参戦、2013年にNSC・国家安全保障会議が発足、初代局長には外務次官経験者が就任している。

 この動きを見て、杉田内閣官房副長官と内閣情報調査室の北村情報官の2人の警察庁出身者は、テロの未然防止対策として官邸直轄の「国際テロ情報収集ユニット」を2015年に立ち上げている。

 

 テロ行為が複雑化、国際化し、今年来年と国際的なイベントが控えていることで「公安」にもより広範囲かつ専門的な活動のための組織が必要なのはわかるが、ただでさえ「3つ巴」の状態なのに、これが「5つ巴」になって連携して将来にわたって機能するのか懸念も残る。

 

 以上、「公安」に関係する組織について思うことを書いたが、本書で興味深かったのは、各公安組織に関するエピソードだ。

 内閣情報調査室の例では、内部告発小説として話題になった「官邸ポリス」の著者の調査が進行中で、途中退職者リストから候補者を3名に絞り込み、現在1名に特定して監視下に置いている(p102)という話。


 公安警察の件では、時効となった警察庁長官狙撃事件では「犯人はオーム真理教の関係者ではなく、北朝鮮の軍の特殊部隊員だった可能性がある」という警視庁公安捜査官の発言を紹介している。(p132)


 また、公安調査庁に関する内容では、協力者への報償金の内容が具体的だ。年間の調査活動費はおよそ20億円、協力者への最初の接触では100万円以上、その後は毎月10-50万円が支払われるが、これはあくまで目安で「実際は青天井」だそうだ。(p175)

 

 本書を読んで感じたのは、著者が「公安」という秘匿性の高いテーマを題材にしながら、各種資料の入手や関係者への取材を丁寧かつ緻密に行って、信ぴょう性の高い内容であるということ。

 取材・調査の困難なテーマで書かれた本は、得てして「ちょっと知り得たネタを過大に評価して」大袈裟に扱う本が少なくないのだが、本書を読むと「書かれた内容以外に著者はもっと深く、広く情報を知り得ているはず」という一流の記者の凄みを感じる。

 

「公安」という組織に多少なりとも関心があるなら、一読の価値は十分にある。

人生に絶対の「正解」はないが、「不正解」はある

人生の正解(幻冬舎新書)

勢古 浩爾

 この本のタイトル「人生の正解」を見たときは、ずいぶん大上段に構えた本で「人生の先輩として正解を語るとは大した自信だ」と、まずは関心した。

 

 著者の作品をレビューするのは「定年バカ (SB新書) 」以来となる。定年バカでは、老後の生き方に悩む中高年に向けて、「やりたいことがあればやるし、なければ何もしない選択肢があっていい」と、「ありのままの人生」を推奨していただけに、スタンスが大きく変わたのか、との印象も持った。

 ところが「あとがき」で「身の程知らずにも、大それたテーマを選んだことをほとんど後悔した」書いているように、本書の内容は「大上段」どころか、かなり腰の低い「下段」の構えなのである。

 古典からの引用や、大学教授のほか芸能人などの言動を引き合いに出して、持論を語る展開も変わっていない。

 

 本書で面白いと感じたのは、人生に唯一絶対の正解はないが、まっとうな人生を送る3つの条件を挙げている点と、逆に不正解の人生の具体例4つを示していることだ。「やりたいように生きればよい」とする「定年バカ」よりは、かなり深く人生というものに正面から向き合っている。

 詳細は本書を読んで頂くとして、まっとうな人生の条件はいずれも「できるだけ後悔しないため」ではないかと感じた。一方の不正解の人生の趣旨は「下品・下劣な言動」だと言えるだろう。

 

 出版社としては、帯にある第七章「生まれ変わってもまた自分になりたいか?」を売り込みたいようだが、個人的には第六章の「社会的価値と自分的価値」の方がしっくりきた。

 いずれにせよ、勢古浩爾氏の過去の著作に共感できる点が多い人には、本書も読んで面白いと思えるはずだ。

「教養」とは情報を結び付けて生かす「力」

東大教授が考えるあたらしい教養 (幻冬舎新書)

垣裕子, 柳川範之

 

 最近ビジネスマンの間で何かと話題に上ることが多い「教養」について、東京大学の教授2人が解説する本である。

 とは言え、「はじめに」で「本書は教養と呼ばれる知識を得るための本ではない」とあるように、本書が目指すのは「教養どのようなもので、身につけるために何が必要かを考えていく」ことだ。

 

 序章では「教養=知識量ではない」という前提から、教養とは情報を選別、活用するといった生かす力であると定義している。
 
 続く第一章では、具体的に「考え方の異なる人と建設的な議論ができる力」を教養だと位置づけている。また、正解のない問いについて考え、他者と知恵を集結しながらよりよい解を模索することの重要性を指摘している。

 ここで引き合いに出されている例が秀逸なので一部紹介したい。
 日本のサッカーでは、コーチが選手に「自分で考えろ、アイディアを出せ」と言うのが仕事になっているが、言われた選手は「コーチが何をやってほしいと考えているのか」を考えている、という考察だ。
 言うまでもなく選手は「真面目に」考えているのだが、その方向性が完全に間違っているのである。

 これはビジネスの世界にも通じる話で、上司との会話や会議での報告などでも「自分の考えではなく、上役の考えを忖度することに全力を挙げる」というのは、自分も含めてありがちな話ではある。

 

 第二章は東京大学の教養課程での教養に関する講義の内容について、第三章はビジネスの現場で教養をどうやって生かすか、という視点からの解説だ。どちらも具体例が豊富なので、分かりやすいし参考になる。

 

 最終の第四章では、教養を身に着ける実践方法についてだ。個人的に参考になったのは「意識的に視点を切り替える」というアドバイス。「蟻の目」と「鳥の目」の使い分けや「過去から見たら」「未来から見れば」などの物事を多面的に捉えることは「自分の思考や価値観の相対化につながる」という指摘は的を得ていると思う。

 

 全体としては、東大教授が教養というやや硬いテーマを語る本としては、文体は読みやすく最後まで一気に読めた。
 「教養を得る」のではなく「教養を得る方法を得る」という意味では参考になると思う。

【追記】
 第二章の冒頭で「東京大学は現在、国立大学で教養学部を持っている唯一の大学」とあるが、これは誤りである。教養学部を持つ埼玉大学は列記とした国立大学法人である。しかも大学のホームページの学部紹介では最初に「教養学部」が掲載されている。
 これは推測だが、著者には「国立大学とは旧帝大や一期校だ」という先入観があるのではないか。ちょっと調べればわかる事実に考えが及ばないのは、鳥の目で見るという「教養」に欠けている側面があると言われても仕方ないのではなかろうか。

 

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住宅情報誌SUUMOが一転して面白くなった!

 SUUMO新築マンション2019.5.28号

 

 416日付けの当ブログで「住宅情報誌SUUMOの縮小が止まらない。最近のマンション動向を反映?」という記事を掲載、内容の劣化が著しいことを指摘したのだが、本日発行された528日号を読んで驚いた。前号までと比べて内容が一新、特集記事が格段に充実し、がぜん面白くなっているのである。

 

 まず特集のページ数が全120ページ中、10ページ目から44ページ目までの35ページと増強されイメージとしては中身が倍増した感じ。

 その内容も、冒頭の「家を守る保険」に始まり、インテリアの「LIVE IN FASHION!」、沿線特集の「小田急線が選ばれる理由7」など参考になる記事が多い。

 特に沿線特集は、これからも都市圏のJR、私鉄で連載が続くはずで、保存版としてスクラップしてもいいのではないかと思われるほどの充実ぶりだ。

 

 SUUMOの編集部にどのような変化があったのか知るすべはないが、想像するに前号までの「あまりにもおざなりな編集方針」が読者やスポンサーの離反を招いたことが原因になったのではなかろうか。

 

 いずれにせよ、無料で読める住宅情報誌の内容が向上するのは悪い話ではない。親会社のリクルートのビジネスに対する超合理的な姿勢は個人的にはあまり好きではないが、今回のようないい方向への素早い方向転換は素直に評価したい。

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表紙

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特集1

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特集3





 

 

 

家出の女子高生が自宅に居候。男は矜持を保てるか

ひげを剃る。そして女子高生を拾う。(1)(角川コミックス・エース)

足立 いまる (著), しめさば (その他), ぶーた (その他)

 

 会社の女性上司に振られた主人公のサラリーマンが帰宅途中に、家出して道端に座り込んでいた女子高生から声を掛けられ、とりあえず自宅に泊めさせる。

 

 ここまではありがちな展開だが、主人公は女の子からエッチなお誘いを一切受け付けないのである。彼女が「何かお返しを」を迫るのに対して「家事全般をやってもらうことで楽できている」と返している。

 

 とはいえ、これからは職場の女性からのアプローチもヒートアップしそうで、彼女らとの関係も気になるし、共同生活を始めた女子高生への影響なども考えると、今後の展開が楽しみではある。


 主人公は女性関係がもつれていくなかで、「男の矜持」を保てるのだろうか。

ちょっとした気遣いで人間関係はもっと良好になる

一緒にいて楽しい人 疲れる人: 仕事もプライベートも、好かれる人はここが違う!(知的生きかた文庫)

本郷 陽二

 

 人間関係を良くすることについて書かれた本は多いし、それなりに読まれているようだが、本書も2014年に出版された同名の本の文庫化であり、売れるとの「読み」が出版社にあるのだろう。

 本書の要点を個人的にまとめると、「無理のない範囲で相手に配慮した行動を心がけよう」ということになる。

 

 ここでポイントのひとつは「無理のない」ということ。
 例えば、会話に端々に「私なら・・」を割り込ませる人には合わせる方もうんざりするので「無視する」(p29)。噂話など関わりたくない話をされたら「興味がないという態度を示す」(p98)など。また、メールの着信音を聞いて相手に「出なくていいの?」と気を遣いすぎるのも居心地を悪くする(p149)としている。

 要するに「自然体で」ということなのだが、ありきたりの「言葉」だけでなく、本書のように具体的な「行動」でアドバイスなのは参考になると思う。
 
 もうひとつのポイントは「相手に配慮」という点。
 これは良く言われる内容ではあるのだが、「~でいい」ではなく「~がいい」という(p14)、相手の発言に対して「でも・・・」で返さない(p16)などだ。
 こういう言葉は「何気に使ってしまいがち」なだけに、自分も今一度注意したいと思う。

 一方で、「時には、相手の顔色をうかがわない」(p144)という手法も紹介している。これは、顔色をうかがう人ほど「嫌われたらどうしよう」という不安があるためだが、著者は「自分が思っているほど、相手は他人のことをみていない」と解説、「相手の顔色をうかがうのは、結果として自分が得をする時だけでいい」と割り切ることを勧めている。

 

 まあ「顔色をうかがう」のと「配慮する」のは似て非なるものであろうが、この判断基準は結構迷うことが多いと思う。どちらも「相手の感情に寄り添おう」という視点では同じだからだ。
 会社で言えば上司に対しては「顔色」を見てしまうことが多いような気もするが、これも上司の性格や仕事の進め方にもよるだろうし、現実にはケースバイケースで対応するしかないといったところだろうか。

 

 気になった点もひとつ。
 著者は「対面で言うべきことをメールでしか伝えられない人は、コミュニケーション能力不足、つまり相手の気持ちを考えない自己中心タイプが多い」(p67)としている。

 これは大枠では正しいと思うが、問題になるのは「相手が自分の言ったことや聞いたことに責任を負わないタイプ」の場合だ。
 つまり都合が悪くなると「そんなこと言った(聞いた)記憶がない」などととぼける人が意外に多いのである。こういう無責任な人間を相手に仕事を進めるには、会話や伝えた事を文書にしてメールし、記録に残すしか対応手段はない。ついでに言えば「cc」で関係者にも送っておけば間違いない。

 厳密には「メールでしか」という著書の記述とは異なるが、メールならではの使い道があるということは認識しておいた方がいいと思う。

 

 以上、まとめると取り立てて目新しい人間関係改善手法が紹介されているわけではないが、具体例を踏まえたわかりやすい内容ではあると思う。

 

 もともと端から見て人間関係に問題を抱えておても本人が自覚していなければこういった本を読まないだろうし、人間関係に悩みがなければなおさらだろう。
 その意味では、対人関係で特に大きな問題はないけれど、もう少しうまくやれたらいいんでけど、というふうに感じている人には参考になる部分も多いと思う。

高血圧の主因は「塩分、肥満、ストレス」だが、要は「塩分」

ズボラでもラクラク! 薬に頼らず血圧がみるみる下がる!: 血管を鍛える最強の方法(知的生きかた文庫)

板倉 弘重

 

 本書のタイトル「薬に頼らず・・・」は確かに内容と一致してるが、その大半となるページ数の40%強は食事、特に塩分の摂取量の削減に関する内容である。


 また「ズボラ」で食事のコントロール可能かどうかは個人差があるだろうが、やはり血圧を下げたいという意志を持ち続けるぐらいの覚悟は必要だろう。

 

 高血圧が「塩分の影響によるもの」という話はよく聞くが、では「何故そうなのか」という疑問を特に抱いていなかった。
 本書では、塩分の摂取で血中濃度が高くなり、これを下げるために血液の水分量が増加し、血液量が増えることで血圧が高まるという「仕組み」が理解できたのは勉強になった。

 

 具体的な塩分の過剰摂取回避と排出に役立つ食品については本書を読んでいただくとして、私が最近始めた塩分摂取回避法を紹介したい。
 それは「調味料を使わない」である。

 具体的には、今まで何ら気も遣わずに無意識に使っていた「醤油」「ソース」の類を止めることだ。

 これは調味料を止めてみて初めて気が付いたのだが、刺身でもとんかつでも調味料がないことで、逆に素材の味が引き立ってくるのである。

 これは私の味覚の問題なのだろうが、刺身に醤油をつけていた時には「刺身本来」の味というよりは「塩味のする魚」の味という感覚だったのだが、これが大きく変わった。最初は物足りなさがあるのだが、すぐに慣れてしまう。

 調味料を使わないことで、塩分の摂取は確実に減るので、一石二鳥でなないだろうか。もっとも血圧低下の効果を確認するにはしばらく時間がかかりそうだが。

 

 あと、本書で参考になったのは「脈圧」というキーワード。

 これは「上の血圧」から「下の血圧」を引いた数値なのだが、この「脈圧が大きいほど脳や心臓の発作を起こしやすい」(p180)そうだ。具体的には脈圧が60を超えると死亡率が高まるという。

 

 高血圧対策の本は多いが、本書は食事中心の内容とはいえ、具体例や説明が豊富で、文章もわかりやすいと思う。

 健康診断で高血圧と言われたが薬は飲みたくない、という人にはお勧めしたい。

「意見」は聞くが「結論」は譲らない政治家の本音

実行力 結果を出す「仕組み」の作りかた(PHP新書)

橋下徹

 

 本書のキモは2つ。組織のトップに立つ者の物事の進め方の要点とその実績、そしてもはや著者のライフワークとの言うべき大阪都構想の狙いだ。

 

 一つ目のトップの在り方だが、橋下氏のやり方のポイントは2つ。一つ目は自身の政策に反対する者の意見を徹底的に聞く、そのうえで最後は自分が決断し従ってもらい、責任は自分が取るという姿勢だ。

 もうひとつは、政策を実現するには構想となるイメージの「ビジョン」と、組織が担う現実の「実行プラン」の両方が不可欠、ということだ。

 

 大阪都構想について言えば、その考え方の基本に始まり、前回の住民投票までどのように戦略を実行してきたかが時系列で分かるように解説されていて、改めて理解が深まった。

 個人的には、二重行政は無駄も多いし、国家としても都市機能が過度に東京に一極集中するのは、地震などの災害リスクなどを踏まえると望ましいとは思えないので、大阪にもさらなる経済的な発展をして欲しいと思う。

 

 また、今春の大阪の市長、市議選、知事選などで維新の会が躍進し、これまで反対していた公明党が態度を変化させ、都構想の実現に向けた住民投票の機運が高まったこの時期に本書が出版されたことの意味も大きいだろう。

 橋下氏によれば、本人が知事、市長だった頃に比べて、内向きだった役人の意識改革が急激に進んでおり、彼ら地方公務員の前向きな仕事ぶりが住民に評価されれば、本書のその流れに一役買って住民投票も可決するような気はする。あくまで外野の見方だが。

 

 政策実現の手法については、「理想」と「現実」の調和というか整合性を取るという意味でも効果が大きいと思う。
 トップのイメージだけで実現性を考慮しない政策にはあまり意味がないだろうし、役人が考える政策では既存の枠組みから外れるような画期的なアイディアは生まれないからだ。

 この点から橋下氏は、コンサルタントの大前研一氏を「物事を実行するプロセスをわかっていない」と酷評している。

 この指摘は理解できるが、全国各地の役所がそもそもコンサルタントに意見を求める時点で、内部からは出てこない発想による提言を期待しているはずで、その意味では提言に実現性への配慮が足りないのは当たり前の話。
 役所はこの前提のもとにコンサルから出てきたアイディアを取捨選択して、政策の「材料のひとつ」にする程度の位置づけで良いのではないだろうか。

 

 発言が何かと注目を集め、意見の相違がケンカのように受け止められることも多い著者だが、本人曰く「自分から喧嘩を仕掛けたことは一度もない」(p21)そうだ。
 本人が誤解を受けているとすれば、おそらく正しいと思うことを包み隠さず話し、情報は基本的にすべてオープン、信頼関係の根底には「仕事をやりとげた」という共感、という振る舞いが、既存の政治家とは大きくスタンスが異なることに違和感を感じる人が多いためだろう。

 

 政治家は、有権者への人気取りだけでなく、政策の実現という観点で評価されるべきという著者の考え方とその実行力は、「正論だけど現実には・・・」という反応をしがちな少なくない政治家には耳の痛い内容だろう。

丸山穂高議員の行くべきところは「国会」ではなく「断酒会」だ!

アルコール依存症は一人では治せない

 

 最近、選挙に連戦連勝で勢いが戻ってきた維新の会に思わぬ逆風が吹いている。

 言うまでもなく丸山穂高国会議員の「北方領土を取り返すには戦争うんぬん」という発言だ。

 発言内容はお粗末そのもので、批判する気も萎えるのだが、維新の会の松井代表は北海道まで謝罪に向かうようで、「除名」も妥当な処分だとは思う。

 ただ、議員辞職勧告に関する動きを受けて丸山議員が「知っている議員のスキャンダルを暴露する」といわば「逆ギレ」もいう反撃に出たのに対して、自民党の一部がこの脅迫に怯えて議員辞職勧告決議に及び腰になっているという報道を聞いて、なんとも情けなくなった。

 酔った勢いで暴言を吐くのがまず馬鹿らしい行動だし、追及されて逆ギレするのはもはや駄々をこねる子供レベル、その子供の駄々に押されて腰が引けている自民党という構図を見ると、これが国民を代表する国会議員なのかと考え込んでしまう。

 丸山議員についていえば、以前にも酒で問題を起こしているようで当時は「断酒宣言」までしたそうだが、結局その約束は守れなかった訳だ。これらの経緯を見る限り丸山議員はアルコール依存症の可能性がある。

 私の周囲にもアルコール依存症もしくは過去に依存症だった人はいるが、彼らに共通しているのは「依存症を自ら積極的に認めることはまずない」ということだ。

 24時間365日アルコールから離れられなくなるなど、自分を自分でコントロールできない状態になってはじめて、治療を受けざるを得ないことを認識するそうだ。

 治療には「アルコール依存症専門の医療機関」「アルコールを飲むと気分が悪くなる抗酒剤」「依存症患者の集まり断酒会」の3つが欠かせないと言われている。

 依存症が疑われる丸山議員がこれから向かうべきは、「国会」ではなく「断酒会」ではなかろうか。

 アルコールと切れない限り、また同じような問題を起こすことは火を見るよりも明らか。彼を支えてきた後援者たちは今後立ち直ってまともな大人として議員活動を望むなら、本気で本人を説得すべきだろう。

こだわりのおやじ、「メシ」の持論を語る

定年からの 男メシの作法(SB新書)

東海林さだお

 

 タイトルは「定年からの男メシ」だが、内容は「中年以降の一人メシ」といった方が近い。その意味では昨年10月に出版された「ひとりメシの極意 (朝日新書)」とほぼ同じ方向性の本である。

 

 巻末に引用した「初出単行本一覧」の記載があり、そのほとんどが朝日新聞社からの出版本なので当然ではあるのだが、さすがに被っている項目はないと思う(多分)。

 

 先に出た「ひとりメシ」との違いを出すためにタイトルを「定年からの」としたようだが、内容は「中高年の男性に少しでもメシの時間を楽しんでもらおう」という点で同じで、なぜ二冊目が朝日新書ではなくSB新書なのかはよく分からない。

 

 個人的に本書で面白かったのは「再びがんばれ! デパートの大食堂」(p33)。
 私が小学生の頃にはデパートの最上階には必ずあって、家族で買い物の際には「お子様ランチ」が無類の楽しみだったが、現在大食堂はほぼ絶命したらしい。


 当時の食券制度やメイド姿のウエイトレスさんの話などには「言われてみればそうだったよなあ」という懐かしさを感じた。ちなみに私個人には、若いウエイトレスさんがテーブルで食券を片手でパチンと切り取る姿がすごくカッコよかった、という記憶が鮮明に残っている。

 

 最近たまたま日本橋三越に行く機会があったので、食堂(大食堂ではなく特別食堂というらしい)の近くまで行ったことがあるのだが、入り口で2人のおばさんが待ち構えていて、一度中に入ったら注文せずには出てこれない雰囲気を醸し出していたうえ、料理も結構な値段がしたので素通りしてしまった。


 あとでメニューを調べたら「お子様ランチ」は2160円だった。気になる人は検索してもらうといいが、写真を見る限りお値段分の価値はなさそうにも見える。まあ価格のかなりの部分を食材以外が占めているためだろうが。

 

 繰り返しになるが、「ひとりメシの極意」が気に入った読者なら、本書も楽しめると思う。