如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

またも出現「狭小マンション」、2015年の再来か

東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情(東洋経済オンライン)

一井 純 : 東洋経済 記者

 

 土地、工事費などが高騰し、マンション価格が高騰すると一般のサラリーマンの手には届きにくくなる。これを解消するためには「専有面積」を狭くするしかない――このような趣旨の記事「東京の新築マンションがどんどん狭くなる事情」が3月9日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

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 不動産経済研究所が発表した2020年1月度の首都圏のマンション市場動向によれば、東京都区部の地域別平均価格は前月比38.7%アップの1億511万円と1億円の大台に乗せている。これは都区部の集計だから人気の都心3区ではさらに高いはずで、もはや並のパワーカップルでは買いたくても買えない水準にまで上昇してしまった。

 

 この価格高騰の影響が新築マンション市場を直撃、記事にあるような葛飾区の「3LDKといっても、実は専有面積は54.37平方メートルしかない」といった物件が登場している訳だ。

 具体的には、各部屋の面積を縮小させるほか、収納スペースも激減して対応しているようだ。他にも私が知るところでは、郊外の7000万円台からのマンションでも通路から玄関を引っ込ませるアルコープをなくすなどの「さりげない工夫」も散見される。

 記事では「大手でも、50平方メートル台のファミリー向け住戸が登場するのは、時間の問題かもしれない」と予想しているが、これは現在の不動産市況が続けば確実だろう。デベロッパーはとにかくマンションを売らなければ、事業が成り立たないからだ。

 

 一部の大手はオフィス部門を強化し、住宅部門は縮小しているが、それでもゼロという訳にはいかないだろう。しかも郊外のマンションは不人気化が収まらず、竣工後1年を経ても売れ残ったため品確法上「新築」と名乗れない物件が続出しているのが実態。都心へのアクセスが良いエリアに無理してでも建てざるを得ない状況にある。

 

 実はこれと似たような現象は最近では2015年にも起きていて、東洋経済オンラインでも同年8月2日に「都心で超狭2LDKマンション大ヒットの理由」として記事化している。

 このなかで「思い返せば、2000年ごろに都心部を中心に『狭小住宅ブーム』が起こったが、それ以来、『都市の諸機能を自分の生活の場としながらコンパクトライフを送る』という流れがずっと続いている」と書かれているが、価格の高騰⇒専有面積の縮小という「流れ」は過去も将来も関係なく存在するようだ。

 

 問題は、50平米台の3LDKでまともな生活ができるのかだろう。個人的には50平米台なら2LDKとするのが常識だと思う。部屋数が増えても肝心の各部屋の面積が狭ければ使い勝手は悪い。部屋数は少なくても面積が広い方が利便性は高いはずだ。

 無理に「3LDK」という言葉で顧客にアピールするのは、長い目で見れば名前だけの貧相な物件を積み増す結果となるだけなので、将来の売却を考えるのであれば「3LDK狭小マンション」は避けた方がいいと思う。

 

 総務省の「平成 30 年住宅・土地統計調査」によれば、平成30年の空き家率は13.6%と過去最高。伸び率は縮小しているが、今後都市部でも世帯数の減少が見込まれるなか、都区部の戸建てのほかに、郊外のニュータウンなどでも相続による空き家の増加は確実。2022年に生産緑地のかなりエリアが宅地化される影響も無視できない。

 住宅へのニーズが減る一方で供給は増加の一途、買い手がより良好な住環境を選べるようになれば、将来の売却を考えた場合、わざわざ中古の50平米の3LDKが人気を集めるとは考えにくい

 

 記事では、収納をトランクルームへと「外注」、ラウンジを応接室に、書斎を共用施設へと「移設」することで対応する動きが出ているとしている。要するに「子供のいない共働き夫婦には狭い面積でも十分」という論理だ。

  確かに近年の「断捨離」などの動きや、カーシェアリング、リモートワークオフィスなどの普及を考えれば、「所有から利用」という省スペース化の流れは続いていくのだろう。

 

 若い世代には「住まいは寝ることが確保できれば十分」という発想があってもおかしくはない。

 ただ郊外の比較的広い空き家が増える一方で、都心は狭小を極めたマンションが人気化するというのは、過去の記事にもあるように結局は「数年ごとのブーム」でしかないように思う。

 

 無理をして「狭小マンション」を購入しても、得られるのは「区分所有権の取得」という自己満足という結果に終わる可能性が高いとだろう。もちろんこれは個人的な感想なので、あくまで1人の宅建士の参考意見として捉えてほしい。

次期フリードの概要が見えてきた――新型フィットから予想

視界は良好、シフトレバーが直線型に変更に

 

 2月にようやく発売されたホンダのフィットを、発売当日にHondaウェルカムプラザ青山と先日地元のディーラーで展示車を見てきた。

 ただし、ウェルカムプラザは現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月13日まで臨時休館中なので、フィットを見るのは販売店に行くしかない。

 今回見たのはフィットだが、私が購入を予定しているのは過去のブログでも書いているが次期フルモデルチェンジのフリードである(2022年説が有力らしい)。

 

 ではなぜフィットを見て、ブログに書くのかと言えば、新型フィットのかなりの部分を次期フリードが継承することになるはずだからだ。同じ5ナンバー(フィットのクロススターを除く)で全長は30cmも違わないし、エンジンのサイズもハイブリッドは1500ccで同格。価格帯はややフリードが高めだが、どちらもファミリー層を主力ターゲットにしている。

 フィットの新機能や新たな仕様変更は、そのまま次期フリードにも採用されると個人的には勝手に「解釈」し、「確信」しているのである。よって本ブログを読まれる方はあくまで主観を前提にしたもので確実ではないことを伝えておきたい。

 

 展示車なので試乗はしていないので、あくまで「見た目」の印象になるが、それでもある程度のイメージはつかめたので、一般的な「おじさん休日ドライバー」としての感想を述べてみたい。走行性能などはベストカーなどの専門誌の方が正確で詳しいはずなのでそちらを参考にしてほしい。

 ちなみに私はクルマのデザインとかには疎いので、あくまで実用性という観点からの感想になる。

 

 まず第一印象として、「運転席からの前面の視野が広がった」ことを挙げたい。特にAピラーと呼ばれる一番前の左右の支柱が細くなったので、90度近い視野角がある。Aピラーの細さは比較していないが、感覚としては半分ぐらいになった印象だ。

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 代わりにというかAピラーをすぐ後ろにあるハンドル横支柱はフリードよりも太いので、左右についてはやや視界は狭くなっているようにも感じた。衝突時の安全性確保のため仕方がないのだろうが。

 

 次に目に留まったのがギアシフトレバー。旧フィットや現行フリードのハイブリッドは小さなレバーを上下左右にカチャカチャと少し動かしてギアを変更、レバーは自動的に中心に復帰するタイプなのだが、これが一般的なオートマ車、CVT車の前後一直線型に変更になった。(下図の左が新型フィット、右が現行フリード)

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  これはディーラーの担当者に聞けば、「お客様から以前の方式の方が使いやすい」との要望が強かったためだそうだ。これは次期フリードにも引き継がれるのは間違いないらしい。個人的にも「前後一直線」型の方がわかりやすいので、ありがたいのは確か。

  ただ、フリードは前席左右がウォークスルーなので、シフトレバーをハンドルの左脇のインパネ近くに配置せざるを得ない。となるとフィットのような長いレバーの作動幅は確保できない。イメージとしては現行のN-BOXのような上下の作動幅の短いシフトレバーになりそうだ(下図参照)。慣れの問題かもしれないが、当初は戸惑うかもしれない。

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  あと気になったのはボディカラー。青系の設定がフィットには3色あるが、緑系は1色もない。現行フリードの「シルバーミストグリーン」はディーラーでも人気色だと言っていたので、今後追加設定されるかもしれない。そういえば昨年秋のマイナーチェンジ前に存在した「濃い緑」も発売後に追加されたカラーだった。

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 あと実用面で意外だったのが、燃料タンクの容量32Lから40Lに20%以上増えたことで、これは予想外のうれしい誤算だった。現行のフリードも36Lしかなく、ガソリン車だと一回の給油で実質300km台しか走れないというのは「長距離を走るならハイブリッドを選べ」と言われるのに等しいと言われても仕方のないタンク容量だった。

 

 これが新型フリードにも適用されて、タンク容量が40L台半ばになればハイブリッドなら800kmは無給油で走れそうだ。ガソリンスタンドに行く頻度も減らせる。

 

 最も気になる新型ハイブリッド「e-HEV」の走行性能と、最新の安全装備のHonda SENSINGの機能だが、これについては後日試乗した段階で改めて報告したい。

 

 気になると言えば、フィットと言えば「リコール」である。前モデルでは一年間に5回もリコールがあり、ユーザーの不評を買ったのは記憶に新しいところ。

 そもそも新型フィットも当初の発売予定は昨年11月だったが、電動パーキングブレーキの不備で発売が延期された経緯がある。今回はリコールとは無縁であってほしいのだが。

 

 軽自動車とトヨタばかりが元気な新車市場で、ホンダのフィットがどこまで人気を集めるのか見守りつつ、今後も次期フリード情報の収集に努めたい。

コンビニの店舗指導員は時代遅れ――製薬会社のMRを参考にしては?

コンビニ本部の店舗指導員が転職市場で全く評価されない理由(ダイヤモンドオンライン)

ダイヤモンド編集部 岡田悟

 

 若者が入社後数年で転職するのが常態化し、会社のリストラ対象年齢も低下する一方。こうしたなかで、34日付のダイヤモンドオンラインに「コンビニ本部の店舗指導員が転職市場で全く評価されない理由」というタイトルの記事が掲載された。 

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 記事は、今週初内になった週刊誌の特集『コンビニ搾取の連鎖』に入りきらなかった内容とのことで、「転職」がテーマになっている。

 折しも、大手コンビニのファミリーマートが大規模なリストラを打ち出し衆目を集めたが、コンビニ各社の内情ではなく早期退職した人たちの転職市場での実態に触れている。

 

 個人的な結論から言えば、「自分で物事を考えない人が転職で苦労するのは当たり前」ということだ。言い換えると、個人のスキルで優位性がなければ仕事を見つけるのは難しい、ということ。

 

 記事で取り上げる転職者の中心となったのは、店舗と本部を結びつける接点となる「店舗指導員」だ。各種チェーン店に存在するスーパーバイザーといった方が一般的かもしれない。仕事としては、オーナーの意向と本部の方針の折り合いをつけて、店舗の経営改善の改善を図ることが目的の「アドバイザー」と言っていいだろう。

 

 ところが実態は、本部の意向を受けて販売ノルマをそのまま店舗に押し付けるだけの「メッセンジャー」というのが実態だったようだ。最近話題になった「商品の無断発注」もこれが原因だろう。

 

 一般的なイメージとしては、コンビニは本部が儲けて、店舗のオーナーは休日返上、家族ぐるみで店舗経営を行い、利益もたいして出ていない、という「本部と店舗」の対立という構図で見られていたと思うが、実際にはその本部にも、本社勤務と店舗指導員の2種類の社員がいて、店舗指導員が間に挟まって無責任や無理な仕事をしたようだ。

 

 店舗経営の実態は雑誌を読んで頂くとして、今回のテーマは今回大量に退職した店舗指導員の動向である。これも結論から言えば記事にもあるが一般的には「個人の課題解決能力がない職種とみなされ、同業以外では未経験扱いになる」という低い評価しか得られないようだ。もちろん中には優秀で的確な店舗指導をする者もいるのだろうが、全体としては低評価なのは事実だろう。

 

 その理由として、本部の決めた経営計画に何ら疑問を持たず、顧客である店舗オーナーの事情を汲み取れなかったことが挙げられる。本来は店舗ごとに購買層、売れ筋商品や多忙な時間帯などは異なるはずだし、近隣の他社、他店舗との差別化も図らなければいけない。言われたことを「そのまま」伝えるなら、本部が直接メールなどで店舗オーナーに連絡した方が合理的で正確だ。

 

 そうは言っても現実には店舗指導員は「本部の意向には逆らえない」というのであれば、裁量の権限がなく、担当する店舗にそぐわない商品を売り付ける仕事を続けるぐらいなら、さっさと別の業態に転職した方がキャリアの向上にも繋がる。その方がよっぽど「現実的」な対応ではないか。

 

 しかも業態としてコンビニ市場はもはや飽和状態にある。120日の付けの読売新聞オンラインでは「コンビニ店舗数、初の減少…大手は新規出店抑制に」として集計を開始した2005年以来初めて年末の店舗数が減少に転じたことを伝えている。

 ちなみにJFAコンビニエンスストア統計調査月報(1月度)によれば、今年1月も店舗数は来店者数とともに前年同月比で減少している。

 

 話は戻るが、では具体的にどうやってコンビニの店舗指導員の体質を改善させるか。

 ここでは似たような仕事として、製薬会社の医薬情報担当者(MR)を挙げてみたい1960年代までプロパーと呼ばれた製薬会社の営業担当者は当時、医者や病院への医薬品の売り込みが仕事で、接待、贈り物は当たり前だった(未確認だが医師の家庭の犬の散歩まで請け負ったという話も)。この背景には、製薬会社間のシェア獲得の熾烈な競争があったのは言うまでもない。

 これらの接待の実態があまりにも常軌を逸したレベルに達し、しかも常態化したことで、世間の批判を浴びることになり、日本製薬工業協会(製薬協)は自主規制のルール作成に取り組み、プロパーはMRへと名称を変更、その仕事も「薬の販売促進」から「薬の情報提供や情報収集」へと変化した。本来なすべき仕事に戻ったのだ。

 

 高圧的な態度でコンビニ店主に商品陳列を強要する店舗指導員と、接待で医師や病院に揉み手で取り入るプロパーでは立場は大きく異なるが、会社上層部の意向を受けて、重要な顧客ニーズを無視した営業活動を行うという点ではどちらも「似たようなもの」である。

 

 現在は24時間営業や無断発注などの問題でコンビニ本部への批判が根強いが、これを機会に「本部社員」だけが旨い汁を吸うのではなく、「店舗オーナー」「店舗指導員」「顧客」も納得のいく構図に変化してほしい。業態としては伸びやなんではいるものの、すでに社会インフラのひとつとして認識されているのは間違いないからだ。

 

 そのためには現在の店舗指導員が本部の方針しか見ていない体制を抜本的に変える必要がある。引き合いに出した製薬会社のMRは、業界の自浄機能で「営業体質」が改善された手本のひとつになると思うのだが。

オワコンの百貨店業界、生き残り策は「不動産賃貸」か

もはや「小売り」での事業継続は不可能 

 百貨店(かつてはデパートとも呼ばれた)に対して、世間はどのようなイメージを持っているのだろうか。

 私の見解を一言で言えば「完全に終わったコンテンツ(オワコン)」である。

 

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 近年、百貨店が店舗を閉店、縮小する動きが続いているが、この動きの発端は1999年の東急百貨店日本橋店の閉店から始まったものだと思っている。つまり20年以上前から百貨店という小売り形態の衰退は始まっていたのだ。

 

 百貨店が衰退した原因としてはいくつも指摘されているが、個人的には「休日に家族で百貨店に行く」という昭和的な習慣が廃れたことが大きいと思っている。私が子供だった頃は特に目的がなくても、家族で催事場などの店内を徘徊し、最上階のレストランでお子様ランチを食べて、屋上の小さな遊技場で遊ぶのが楽しみだった。

 

 つまり百貨店は「人が集まる場所」という位置づけだったのだが、日用品の買い物をするなら「大型スーパー」、ブランド品なら「専門店」、遊ぶなら「テーマパーク」に向かうようになり、百貨店という名前の示す「何でもあり」という看板が「中途半端で何もない」という弱みに転じてしまったのだ。

 

 私の記憶を辿ると、百貨店の売り場からまず「家電品」が消えた。これはヨドバシカメラなど量販店の台頭の影響が大きい。次いで「屋上」の休憩スペースがコスト削減でなくなり、「食堂」も閉店し、個別のレストランに置き換わった。

 これらはすべて専門性の欠如が原因だろう。現在、消費者があえて百貨店に行く理由として大きいのは、地方の名産品などを扱う地下の食品売り場いわゆる「デパ地下」ぐらいではないか。しかも、このデパ地下も結局は食品専門店の集合体である。

 

 今後、百貨店が「小売り」として生き残るのは困難だろう。すでに一部の百貨店が実践しているが、都内の好立地の店舗は「不動産賃貸業」をメインに業態を転じている。物品を販売するのであれば仕入れ、売り場・売り上げの管理、返品などの業務に、人も時間も取られるが、売り場を賃貸に出せば、モノは売れても売れなくても賃貸料が毎月入ってくる。経営の安定度は大きく上昇するはずだ。

 

 この手法は朝日新聞など全国紙の新聞社でも行われていて、長期低迷が続く販売部数の落ち込みによる収入減を保有する不動産物件の賃貸収入で補っている構図になっている。

 

 他にも百貨店には逆風が吹いている。まずは「お歳暮」「お中元」の減少。会社の上司や仲人などお世話になった送っていた慣習が縮小している。ネットには出所は不明だが「お歳暮市場規模がなんと30年前に比べると激減(7割減)している」という情報もあった。

 

 次に大きいのが、ネット通販の台頭。実はどこの百貨店もチラシを配布して電話等による通信販売はかなり以前から取り組んでいたのだが、実店舗での売り上げへの影響を警戒したためか、積極的ではなく売り上げに貢献したとは言えない状況だった。この間にAmazonなどのネット通販に市場を席巻された。

 

 最後に指摘したいのが、オリジナル商品の欠如。先に述べたお歳暮などは「一流百貨店」の包装紙がモノを言ったが、この慣習自体が縮小している。私が社会人の新人だったころは「スーツの仕立ては三越」といった暗黙の了解があったが今は聞かないし、そもそもスーツ自体のニーズが減少している。

 

 という訳で、「小売り」としての百貨店業界の将来は明るいものではないのだが、三越、伊勢丹といったブランドは展開次第で今後も生き残ることは可能だろう。

 

 日本の百貨店を代表する三越日本橋本店のすぐ近くに、1699年創業の「にんべん」本店がある。この「にんべん」は当初は鰹節の販売・卸が中心だったが、現在では派生商品の「つゆの素」の売り上げが占める比率が高いと聞く。同じく日本橋の老舗で刃物を手掛ける創業228年の「木屋」も職人向けの包丁だけで商売をしている訳ではない。

 

 百貨店は都内の好立地の店舗を除けば、地方を中心に今後の閉店ラッシュが続くと思われる。過去の「モノ」を置けば売れる時代はとうに過ぎ去り、今は「モノ」を置いても工夫しないと売れない状況。車社会に対応してきた幹線道路沿いのアウトレットなどのショッピングモールですら立地次第で「時代遅れ」になりつつあるのが現状だ。

 

 かつて百貨店への対抗意識からダイエーの創業者中内氏は「百貨店は(小売りではなく不動産の)大家だ」と言ったようだが、くしくも現状はその方向に向かっているように思える。

読書しない人が増えている「理由」は5つだけではない

「若者の本離れ」がこんなにも加速した5つの理由(東洋経済オンライン)

角田 陽一郎 : バラエティプロデューサー

 

 「最近の若者は本を読まない」――。この文章から始まるいわゆる「本離れ」の理由について分析した記事「『若者の本離れ』がこんなにも加速した5つの理由」が3月1日の東洋経済オンラインに掲載された。

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 この現象自体はかなり以前から各種メディアで伝えられていて、目新しいテーマではない。例えば2018年2月26日の日本経済新聞電子版では「大学生『読書時間ゼロ』半数超 実態調査で初」と報じられている。これは当時、結構話題となった。

 

 だが東洋経済オンラインの記事の面白いのは著者が、実際に「本を読まない」理由を、インターネット動画界隈で活躍する20代半ばの起業家で、頭もいいがほとんど本は読まないと(著者が言う)いう人に、直接インタビューしている点だ。

 アンケート調査などで大まかな傾向などは分かるが、個々の持つ本離れの背景を具体的に聞き出すという視点が新鮮だし、会話のやりとりもメリハリがあって良い。 

 さて詳細は記事を読んで頂くとして、「本を読まない理由」を著者は以下の5つを挙げている。 

      1.「つらいから」  

      2.「時間がもったいないから」

      3.「楽しくないから」

      4.「書き手が知らない人だから」

      5.「ネットのほうが便利だから」

 

 これらの理由から、著者は「読書のよさをいくら言われても、本自体にアクセスすることが面倒なのです」と、本離れを解釈し、分かりやすい身近な例として「旅好きな人に『海外旅行は楽しいですよ」と言われても、成田空港に行くのが面倒だからという理由で行かないような』ものと説明している。

 

 記事全体の印象としては、各種アンケート結果の具体的な回答例を見たような「なるほど」と思える内容だった。ある程度予想はしていたものの、実際に著者の言う「仕事はできるが本を読まない人」の本音を聞けたのは参考になった

 

 理由として挙げられた5つだが、個人的には「つらい」「面倒」「不便」という項目と内容から考えて、以下の3点を追加したい。

 まず、読書はこちらからアクセスする「攻め」の姿勢が不可欠だが、ネットやゲームはどちらかと言えば「受け身」の姿勢で対応できるという点。

 しかも本の場合は、字面を追うだけでは読んだことにはならず、自分なりに咀嚼する必要がある。一方、ネットニュース等はすでに分かりやすい形に集約されているし、ゲームも初心者であればチュートリアルや親切な人からアドバイスをもらえることも多い。

 

 次に挙げたいのは、読書にはおカネがかかるということ。多くの単行本は2000円以上するし、新書でも1000円近いのが現実。数冊買えばすぐに1万円近い出費となる。図書館では新刊は人気で順番待ちだし、そもそも身近に図書館がある人ばかりではない。

 一方、ネットは情報料という点からはほぼ無料だし、スマホゲームも課金しなければお金はかからない。総務省統計局の「家計調査報告(家計収支編)平成28年平均速報結果の概要」によれば、可処分所得は実質0.4%伸びているが、消費支出は実質1.7%の減少となっており、消費者の「不要なモノにはおカネをかけない」という傾向は明らか。

 しかも消費の内訳を見ると「書籍・他の印刷物」の前年比実質増減率はマイナス3.6%と大きい。本離れは相対的に割高な本を消費者が敬遠しているためだろう。

 

 最後に指摘したいのは、ペーパーレス化を推進する時代の流れに追いついていないこと。公益社団法人 全国出版協会・出版科学研究所の調査によれば、2018年の出版市場は全体で3.2%の減少で。紙市場は5.7%減の1兆2,921億円に対して、電子市場は11.9%増の2,479億円となっている。電子市場が伸びているとはいえ、その大半はコミックに依存しているのが実態。「本」市場全体の規模は減少傾向のままだ。

 個人的には、現在「紙」も「電子」も本の価格はほぼ同一だが、これを制作費用に合わせて差別化しないと、市場全体の地盤沈下は止まらないと思う。

 

 いずれにせよ、人はどうしてもより「分かりやすい」「安い」「アクセスしやすい」ものに流れていくもの。ネットのまとめサイトや動画、スマホゲームなどが気軽にアプローチできるように熾烈な競争を繰り広げているのに対して、紙媒体を中心とする出版業界が既存の販売方式(出版社⇒取次⇒書店)に依存して、あぐらをかいてきた側面は否めない。

 本がそれ自体の売り上げから利益を出しているのに対して、ネットは広告から、ゲームは課金で稼ぐという違いはあるにせよ、このままでは「読書」という行為が、一部の愛好家よる「贅沢な趣味」として扱われる時代が来るかもしれない。

 

 

女子の一般職に見直し機運、総合職との区分は無意味に

早慶女子があえて「一般職」を選ぶ根本理由(東洋経済オンライン)

橘木 俊詔 : 京都女子大学客員教授

 

 商社や銀行など大企業の「一般職」と言えば、中堅の女子大などが多くを占めるいわば結婚までの「腰掛」的なイメージを持っていたのだが、最近では「総合商社の一般職は、以前多かった女子大出身者ではなく、早慶などの超高学歴女子が大半」であるとする記事「早慶女子があえて『一般職』を選ぶ根本理由」が2月28日付の東洋経済オンラインに掲載された。 

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 著者は京都女子大学客員教授の橘木俊詔氏。恐縮ながら名前を存じ上げていないが、内外の著名な大学で学び、各官庁の研究員を経て、現職に至っている。専門は労働経済学、公共経済学で、著作は100冊以上あるそうだ。

 

 記事では、以前は「(入学難易度の高い大学出身の女性が)総合職を選択して受験してみたが採用されなかったので、仕方なく一般職で採用された、という人が多かったが、最近では意図的に最初から一般職の選択をする」ことが増え、総合商社では「一般職の70~80%が早慶女子が占めており、残りの20~30%も難関大学の私立大、すなわち上智、MARCHなどの大学の女子学生で占められる」と解説している。

 

著者はこの理由として以下の5点を挙げている。

  1. 一心不乱に働いて出世するよりも人生を楽しみたいとする人が増加した
  2. 定型的な仕事が非正規労働者で代替され総合職と一般職の違いが小さくなった
  3. 転勤だけを強要しない地域限定総合職の創設
  4. 働くことは結婚・出産までのことと考え、あえて進んで一般職を狙う
  5. 転勤のない一般職を当初から志願

 

 個人的には、1が最も大きな理由で、2がその次、残りは「結婚」「出産」などの家庭的な事情によるもので、過去からニーズ自体はあったので、現在の理由としては相対的に重要度に変化はないと思う。

 

 まず、1つ目の「仕事」よりも「人生」を楽しむという選択だが、これは女性に限らず男性の間でも増えていると思われる。現在も入社時からがむしゃらに働いて社内での出世を目指す人も多いが、一方でプライベートの時間を重視する人も増えている。

 ここで言うプライベートとはいわゆる「趣味」「休暇」などに限らず、スキル向上を意図したセミナー参加や資格取得なども含まれる。つまり「会社」と同じぐらい、もしくはより「個人」の将来を案じている

 

 名だたる大企業が終身雇用の廃止の意向を示し、リストラの対象は40代にまで低下、しかも業績は絶好調でも高給の中年以降の社員を切り捨てるのが一般化するなかで、若者が会社よりも自分の将来を最優先に考えるのは当たり前だろう。すでに「ザービス残業」という言葉はまともな企業では廃れている。

 

 これを後押ししているのが理由の2.にもつながるが、政府の働き方改革である。同一労働同一賃金をお題目にして、正社員の住宅手当、家族手当の削減はこの4月から一気に始まる。昨年の残業規制に続いて、総合職を含む正社員にとっては収入減に直結する。であれば最初から相対的に責任の大きい仕事が少ない「一般職」を選択するのは自然な流れだろう。

 

 というか、今後の大企業の新卒採用を予想すると、男女を問わずごく一部の幹部候補生と残り大部分の一般職員という2職種に集約されるのではないだろうか。

 

 記事にもあるが、補助的・定型的な業務はすでに非正規採用で対応しているうえ、今後AI機能の進展などでRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって現在正社員が担当している業務も相当部分が、自動化されるのは確実。総合職・一般職といった区分自体が意味を持たなくなるだろう。

 

 ここからは私の未来予想だが、今は「現在のお仕事は?」と聞かれた際に、会社務め(特に大企業)のサラリーマンは「〇×会社です」と社名で応対するのが一般的だが、これは通用しなくなる。おそらく「金融系のシステムエンジニアです」とか「中国相手の輸出関連です」といった具体的な職種が問われる時代になるだろう。

 

 自分のキャリアデザインを会社に丸投げしてきた40代後半以降の世代には厳しい世界だが、記事の「一般職希望の女子」に限らず、近年の一流大学の学生はすでに「名」よりも「実」を取りに動いている。

 採用側も、「会社単位」で「新卒を一括採用」する現在の制度から、「プロジェクト・事業単位」で「必要な人材を随時採用」に変わっていかざるを得ない時代はすぐそこまで来ていると思う。

 

株式市場を「目の敵」にする慶大准教授の理解しがたい暴論

ついに株式市場の「化けの皮」が剥がれ始めた(東洋経済オンライン)

小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授

  

 コロナウイルスの感染拡大で世界の株式市場が揺れている。24日のニューヨーク株式相場のダウ平均が前週末1031ドル下げたことで25日の日本の株式相場も急落、一時日経平均は同1000円以上下げた。25日の米国相場も大幅続落したことで、今日も下げ基調になる可能性は高い。

 

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 こうしたなか26日付けの東洋経済オンラインに「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」というタイトルの記事が掲載された。著者は慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンスで、1992年東京大学経済学部首席卒業したとのこと。株式投資関連の著書もあるようだ。

 

 この記事について感想を言えば、大学の准教授とは思えないほど、株式市場を敵視し、その相場形成に対して異常なまでの感情的な反応なのである。過去に株式市場とどのような経緯があったのかは知らないが、とにかくその常軌を逸した暴論の勢いが凄いのだ。

 

 まず、これまで株価が下がらなかった理由として「『押し目買いのチャンス』、『一時的な不安だからファクトを見れば買いだ』、という『嘘の情報』が流れたのだろうか」と指摘している。

 ここで言う「嘘」という決めつけが大学教授らしくない。「買い」かどうかは投資家自身の個々の判断であり、「嘘」かどうかは投資家が決めることだ。押し目買いだったかどうかも将来の結果として判別可能な話である。使うならば言葉としては「未確定」とか「不確実」といった表現が妥当だろう

 

 次に、「債券市場は、株式市場が理屈抜きのギャンブラー、狩人が多いのに対して、債券市場は合理的で理屈っぽい分析的な投資家が多い」というのも偏った見方だ。

 株式相場には証券会社を中心に、個別銘柄や業界のアナリストや相場全体を見るストラテジストといった分析のプロが多数いて、日々数値を駆使したレポートを作成しているのを知らないのだろうか。

 債券市場では、過去に米ソロモン・ブラザーズの東京支店の債券トレーダーだった明神茂氏は一時年収7億円を稼ぎ、長者番付に登場したし、JPモルガンの東京支店長だった藤巻健史氏も国債のディーリングで巨額の利益を出した。どちらも大きくポジションを取る文字通りプロの「ギャンブラー」である

 

 あえてその違いを表現するなら、債券市場に比べて株式市場に占める個人投資家の比率が高いと言うべきだろう。個人トレーダーには確かに日計り商いを繰り返す「イメージ通り」の投資家も存在する。もっとも比率的にはNISAを使った中長期の投資も一定比率存在するはずだ。

 金融庁のNISA・ジュニアNISA口座の利用状況調査 (2019 12 月末時点(速報値)によれば、NISA(一般・積み立て)の口座数は1365万もあるのである。

 毎年期末になると雑誌などで「株主優待」「高利回り」の銘柄特集を組むのも、中長期の資産形成に関心のある読者向けの記事のはずだ。

 

 記事では「より重要で、本質的、直接的な理由は、原油、為替はほとんどが先物市場であり、株式(部分的に債券も)は現物市場が少なくとも半分を占めるからである」としているが、この説明の意図もよくわからない。「現物でないからポジションの整理、転換は簡単である。だから、危機が来れば直ちに危機に合わせてポジションをチェンジすることができる」とのことだが、これは著者のいう「ギャンブラー」に近い存在ではないのか

 

 また最後に「株式市場は信じず、為替市場や金利市場や、原油市場を注視する」ことを勧めているが、これも一方的な見方だ。株式相場は「半年先の景気を見通す」と言われることがある。短期的なブレはあっても中長期では業績を反映した相場になっていることは過去の相場が証明している。

 

 しかも「為替市場や金利市場や、原油市場を注視」と言っているが、これらの市場が先物で占められていると先に述べていることを考慮すると、「個人投資家も先物相場に参入すべき」という結論になるのだが、リスク許容という点でこれははななだ疑問である。

 「注視」とまで書くなら、FX(外国為替証拠金取引」でレバレッジを1倍にして投資(実質的に現物と同じ)するとか、原油のETFを投資対象にするといった個人投資家向けの投資商品を紹介すべきだろう。

 

 現在のコロナウイルスに端を発する世界景気への影響が読み切れない以上、株式相場の下落がいつ、どこまで下がるのかは誰も確実な予想はできないはずだ。その意味では外為も債券も同じ金融商品である。

 あえて「株式」に特化して、批判の矛先を向ける著者の意図が分からない。

 

声優という職業を「絶対に」ススメないベテラン声優の本音

大塚明夫「声優養成所を過信する若者の危うさ」(東洋経済オンライン)

大塚 明夫 : 声優/役者

 

 大量のアニメが制作され、人気作品も増えるなか、声優を目指す若者は多いようだ。こうした傾向に警鐘を鳴らす記事「大塚明夫『声優養成所を過信する若者の危うさ』」が2月24日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

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 記事を書いた大塚氏は現役声優で、1959年の生まれというから今年62歳となるはずだから大ベテランである。ちなみに大塚氏は2015年に「声優魂」という本を出版していて、声優業界の実態を明らかにしている。

 

 東洋経済オンラインにも過去に5本の記事を投稿していて、参考までに見出しを引用してみると、

              2020.2.16 大塚明夫「声優を夢見る若者が陥りがちな失敗」

              2020.1.25 大塚明夫「声優として生き残れない若者の特徴」

              2020.1.11 大塚明夫「プロ声優と素人を分かつ決定的な差」

              2020.1.  4   声優に憧れる人が知らない「厳しい収入事情」

              2019.12.30 大塚明夫「声優の大多数が仕事にあぶれる理由」

とまあ、見出しを見るだけで「声優」という職業の厳しさが伝わってくる

 

 今回の記事のテーマは「声優養成所」。結論から言えば「養成所に行ったから声優になれるというのは大いなる幻想」ということだ。

 

 その理由として、声優養成所は「基本的なことは一通りできる役者」を育てることが目的で、業界が必要としている「個性」のある声優の育成には関心がないことを挙げている。

 簡単に言い直せば大学受験の予備校と同じで、1対1よりも1対多数でより多くの受講生に教えた方が効率よく稼げるからということだ。実際に大塚氏も記事で「声優学校や養成所というのは非常に儲かる商売」と明かしている。

 

 ではなぜ声優志望者が養成所に通うのかという話になる訳だが、大塚氏は「より安全で確実な道はある」と思いたい方がそれだけ多いからだ、と解説している。

 

 ここで想像できるのは、声優志望者が「調理師」「美容師」のように、専門学校に行けば「資格」(のようなもの)を取れて、仕事にありつける可能性が高いと思い込んでいる可能性だ。現実には「声優」などという資格は存在しない訳だが、専門学校に行ったことで、声優になる近道というか王道を歩んでいると考えているのだろう。

 

 これも個人的な想像だが、おそらくアニメ好きの高校生が登場人物のものまねを披露してみたら、友人から「イケてる」などと囃されて、その気になってしまったという事例もあるだろう。また、その大多数は他にやりたい職業もないし、大学進学にも魅力を感じていないことが、声優養成所へと後押ししている可能性もある。

 

 私が通院している診療所にも「声優」が本業の女性が受付のアルバイトをしているが、「声優だけではとてもたべていけない」と言っていた。ちなみに女性の場合は「アニメの男の子役」や「PCゲームのヒロイン」での需要もあるが、男性声優はそれも少ないので「さらに悲惨」だそうだ。

 2019年12月の記事にもあるが、声優業は「300脚の椅子をつねに1万人以上の人間が奪い合っている状態」だそうだ。実力とコネが重要視される業界で、この競争は熾烈なモノだろう。

 

 私の知り合いの子供(男子高校生)も声優を目指しているそうだが、親は大塚氏の記事を読んで反対しているのだが、本人は自分には才能があると信じて、説得には耳を貸さないらしい。

 では、この「才能」というのが何かと聞けば、「好きなアニメの主人公役の声がそっくりだから」とのこと。この業界に浅学な私でも声優業が、2つや3つの登場人物のマネできるぐらいで食っていくことは無理なことぐらいは分かる。少なくとも10数種以上の個性的な声を自由自在に使いこなせなければ、特に若手には仕事は回ってこないと思う。

 

 もちろん声優養成所出身で活躍している有名声優さん(東山奈央芹澤優など)もいるし、養成所に通うことがまったく意味がない訳ではないだろう。ただ、「仕事にありつけるかどうかはあくまで本人の実力次第」のはずだ。

 

 フランス人の俳優アランドロンの吹き替えで有名だった故野沢那智氏は現役時代「声優になりたい人はまずは役者を目指すべき」とラジオの深夜番組で言っていた。その背景として「舞台は演技でもカバーできるが、声優は声だけですべてを表現する難しさ」を指摘していた。もっとも現在の声優に求められるのは、加えて歌のうまさやファンとの交流なのかもしれないが。

 

 大塚氏は「声優界もいっそ、演歌歌手や落語家の世界のように徒弟制度を取り入れたほうがいい」とも述べているが、現実には弟子入りを申し込んでくる若手声優はまずいないそうだ。

 

 記事では最後に「声優という仕事自体を私は絶対おすすめしません」と断じている。ただ、一般論としては若者がやりたい仕事を自分で見つけて目指すのは決して悪いことではないし、むしろその積極性は評価すべきだろう。

 ただし、目標とする業界(この場合声優)の実情を詳しく調べて、先輩たちがどのように仕事を請け負い、収入はどの程度なのかなどを知っておくことは不可欠だろう。これは声優業界に限らない話ではあるが。

 親御さんも、本人の「声優になりたい」という意志を頭から否定するのではなく、冷静に業界の実情を知らしめるように努力すべきだとは思う。

英BBCは課金制へ、NHKも「スクランブル化」は必然の流れ

BBCの「受信料廃止」はどこまで現実的なのか(東洋経済オンライン)

小林 恭子 : ジャーナリスト

 

 221日付けの東洋経済オンラインに「BBCの『受信料廃止』はどこまで現実的なのか」というタイトルの記事が掲載された。

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 内容を要約すると、日曜紙のサンデータイムズ(216日付)の記事を引用し、「イギリス政府はBBCのテレビ・ライセンス料(日本のNHKの放送受信料に相当、以下「受信料」)を廃止し、希望者のみが視聴料を払う課金制(サブスクリプション)の導入を視野に入れた見直し作業を始める意向」との報道をもとに、現地での反応を中心にレポートしている。

 今回は、BBCと同様に国営放送であるNHKについて日頃から思っていることを書いてみたい。

 

 まず個人的な見解を先に述べると、NHKの受信料の強制的な徴収制度は直ちに廃止し、見たい人だけが契約する方式に変更、契約者のみが番組を視聴できるスクランブル方式を採用すべき、ということだ。

 

 これは昨年話題になったN国党NHKから国民を守る党)の意見と同じなのだが、私自身は30年以上前から主張しており、受信料契約締結を求めるNHKの担当者が自宅にくる都度、「見たくない人にまで支払わせる制度自体がおかしい。スクランブル化すれば済む話」という論法で「撃退」してきた。

 それでもしつこく食い下がる人には「文句があるなら裁判になっても構わないので訴訟しろ」とまで言い切ったことがある。実際に訴えられたことはないが。

 

 ただし、誤解のないように言っておくと、現在は受信料を自動引き落としで支払っている。というのも平成29126日に最高裁判所大法廷が判決の裁判趣旨で「日本放送協会の目的にかなう適正・公平な受信料徴収のために必要な内容の,日本放送協会の放送の受信についての契約の締結を強制する旨を定めたものとして,憲法13条,21条,29条に違反しない」と結論付けたためである。

 

 それまでは裁判で決着していないとの理由から支払いを拒絶してきたが、判決に不満があるとはいえ「最終決着」した以上、国民の義務として支払わざるを得ないとの判断からだ、悪法であっても確定すれば従わざるを得ない。

 ということで30年以上支払いを拒んできた者としては忸怩たるものがあるが、その後徴収員が人の家のポストに無断で受信契約者のシールを貼っていたのには「怒り」を通り越して「呆れた」。個人の所有物に勝手に加工するのを問題視しない非常識ぶりに、「これは相手にするだけ時間のムダ」と悟った次第である。

 

 本論に戻るが、そもそもNHKが根拠とする放送法自体が昭和25年という69年も前に制定されたこと自体がすでに「時代遅れ」だと言いたい。当時はテレビ自体がまだ一般家庭に普及していなかったので、所有者全員を徴収対象とするのは問題ではなかったのだろうが、現代は全世帯に普及するのを通りこして、テレビを見ない人が増えているのである。

 さらに言えばNHKは、携帯電話、スマホやカーナビでもテレビが視聴できれば課金の対象に対象にする意向のようだが、こうなるともやは「時代錯誤」も甚だしいレベルだ。自宅で契約していれば二重契約する必要はないらしいが、どうやって個別に契約の有無を区別、判断するのかその方法を聞いてみたいものである。

 

 スクランブル化についてのNHKの見解は、簡単に言えば「一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾する」ということだ。さらにWebサイトでは「スクランブルを導入した場合、どうしても『よく見られる』番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう『健全な民主主義の発達』の上でも問題があると考えます」としている。

 

 もっともらしい意見に見えるが、まず「よく見られる番組に偏り」というのが手前味噌である。そもそも公共放送としてしっかりとした自覚があれば、このような考えにはならない。番組の編集方針を明確に定めておけば済む話である。

 さらに言えば、一介の放送局ごときが「健全な民主主義の発達」などと偉そうに宣うこと自体が、ちゃんちゃらおかしい。自分たちを何様だと思っているのか勘違いも甚だしい。

 

 また、「緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供する」という重要性は理解できるが、これはスクランブル化とは無関係のはずだ。緊急時にはスクランブルを外せば済むだけの話である。そこに費用がかかるというのであれば、災害対策費として政府や自治体が負担すればいいだけだ。

 

 スクランブル化のメリットは他にもある。最も大きいのは戸別訪問で、訪問集金は平成20年に廃止されたが、未契約者への訪問活動などは継続されている。こうした業務に関わる人員がすべて不要になれば経費が大きく削減されるのは間違いない。全国に現在どの程度の人数がいるのかすぐには調べられなかったが、数百人程度といったレベルではないだろう。

 

 NHKを視聴したい人が受信料を支払い、見たくない人には視聴できないようにして何が問題なのだろうか。NHKには「受益者負担」という概念が欠けているとしか思えない。

 冒頭の英国のBBCの受信料制度が今後どのような経緯をたどるのか、そしてNHKにどのように影響するのか、しっかりと注視していきたい。

 

東洋経済オンラインが2月末でコメント機能を休止--快適な環境の提供が目的?

コメント機能を休止の原因を深読みしてみた

 

 恥ずかしながら今週になって気が付いたのだが、東洋経済オンラインが2月29日までで「コメントサービス」を休止すると2月12日に発表した。   

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 この「コメントサービス」は同サイトに掲載された記事に対して、思うことをコメントすることができるというもの。注目されたり話題となった記事には数十件のコメントが付くことも多く、私自身少なくとも200回以上はコメントしてきたので、サービス休止は残念ではある。

 

 このサービスは2016年に始まったのだが、当初は自由に誰でも投稿者名を「No Name」として匿名で発言できた仕様だったが、昨年機能制限が強化され、投稿者が登録した「名称」でしか投稿できなくなった。私自身は「如月五月ブログ」という名前を使っている。

 まあ、それまではそれこそ「感情的なワンフレーズ」の投稿も珍しくなかったので、ある意味「正常化」のための効果的な規制だったと今でも認識している。

 

 その後はだいぶ投稿内容も落ち着いてきたように思えていたのだが、昨年の規制から一年も経たずに「休止」というのには、かなり驚いた。どのような事情があったのか不明だが、気になるのは発表資料にある「読者の皆様に快適な利用環境を提供するため」という文言。この言葉から推測するに、「快適でない利用環境」が存在したことが読み取れる。

 

 東洋経済に休止の理由について問い合わせても「発表資料の通りです」という回答しか得られないのは確実なので、ここは200回以上のコメントを投稿し、他者のコメントもほぼすべて読み、自分のブログのネタとして100回以上引用してきた者として、独自の視点でサービス休止に至った事情を推測してみたい。

 

 まず考えられるのが、コメントの管理に想定以上の負荷がかかり、それに見合った効果が得られなかったということ。

 登録制になったことで悪質や不要なコメントは減っただろうが、記事に無関係だったり事実誤認によるコメントや二重投稿などのチェックはAI化されたはずだが、最終的な判断は人間になっていたはず。

 私自身、何件かのコメント(内容はごく真っ当なモノ)が投稿しても弾かれてしまうので理由を聞いたことがあるが、回答は「コメント本文の『縦に並んだ文字列』が排除対象のキーワードになっていたと説明を受けたことがある。この作業を含めておそらく現場のコメント管理の実務はかなりの負担だっただろう。

 

 次に考えられるのが、広告主及びその関係者からのクレーム。私自身は記事の内容に応じて是々非々でコメントするのだが、これらのなかで私を含めたコメント投稿者の指摘(内容が妥当かどうかは別にして)が、広告主の怒りにつながり、東洋経済社内の編集部門と広告部門で揉めた可能性がある。

 事実に基づいた辛辣なコメントは読者にとっては有益だと思うし、東洋経済オンラインの間接的な評価とページビューの増加に貢献するはずだが、広告主にしてみれば当然ながら「面白くない」はず。

 

 これは個人的な感想だが、昨年来の傾向として堀江貴文氏やディビッド・アトキンソン氏など有名人の最新の著作紹介を兼ねたインタビュー記事が増えたように感じていた。

 本人の生の声を読める点で個人的には面白かったのだが、コメント欄を見ると、賛否両論とはいえ著者の考え方自体を否定するようなコメントもあり、広告部門を経由した出版関係者からの「反響」には編集部も対応に苦労したとは思う。どちらも著名人だけに「存在自体が気に入らない」的なコメントも見受けられた。

 

 一方、ライバル誌の動向を見ると、ダイヤモンドオンラインはコメント機能自体が存在しない。というよりもトップページにある面白そうな記事はすべて有料会員向けになっているので、編集方針として不特定多数によるコメント機能のメリットを感じていないのだろう。

 プレジデントオンラインは一昔前の東洋経済オンラインと同じように「No Name」でも投稿は可能だが、コメント数を見る限り「活況」とは言えない。しかも利用規約には、その他の制限事項として「プレジデントオンラインはコメント投稿サービスの提供を予告なく中止することがあります」とあるので、こちらも状況次第でサービス休止の可能性はある。

 

 東洋経済もビジネスである以上、コメントサービスのメリット・デメリットを総合的に判断した結果、休止という決定をしたはずだ。

 コメントを積極的に投稿、参考にしてきた者にとっては残念ではあるが、私自身は投稿者名に「如月五月ブログ」を使ってきただけに、あくまでブログへの誘導手段のひとつとして利用してきたという側面もある。

 個人のブログでの記事の引用については、引き続き事後報告さえすれば特に変更はないようなので、その意味では影響はそう大きくはない。現時点では他のWebサイトのコメント機能を利用する予定もない。

 

 最後に手前味噌になるが、私のコメントで最も反響と評価が大きかったのは昨年10月の記事「武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断」で、評価するが1190、評価しないが280で、今でもコメントの最上段に掲載されている。誤字が多いので恥ずかしいのだが、内容自体は結構核心を突いたものではないかと自負している。