如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

「定活」で生きがいを探すための無理は無駄では?

適齢期は50代前半 定年後の準備、早めがいい理由(NIKKEI STYLE 定年楽園への扉)

経済コラムニスト 大江英樹

 

 定年後の生き方を指南するいわゆる「定年本」がここ数年大量に出版されている。多くは、仕事一筋で趣味らしい趣味もなく、家庭でもあまり居場所や存在感のない「お父さん」を対象にしたものだ。

 

 日本経済新聞の電子版の「NIKKEI STYLE」のコンテンツのひとつ「定年楽園への扉」に11月14日付けで定年前の準備活動いわゆる「定活」について、「適齢期は50代前半 定年後の準備、早めがいい理由」というタイトルの記事が掲載された。

 

 著者は野村証券で個人向けの投資相談などを長年手掛けてきた大江英樹氏。この人は最近でこそ定年本を量産し、各種セミナーや講演などでも引っ張りだこだが、60歳の定年直前まで定年後の何の準備もせずに起業・独立したという経歴を持つ。

 

 デビュー当初からコラムや著作を読んでいるが、大江氏については、自身の経験をもとに定年後の生き方に関するコラムなどをメディアで書き始めたら、「定年後」と言う現代の注目テーマの波にうまく乗って、ビジネスを展開・成功したという「運」にも恵まれた人だと個人的には思っている。

 

 直接お会いしたことはないが、別名ノルマ証券とも呼ばれる天下の野村證券で、個人向けの投資相談業務を長年手掛けて定年まで勤め上げたという人は相当少ないと思う。年齢からみても平成のバブルとその崩壊を目の当たりにしている訳で、個人的には、「定年後の生き方」よりも「天国と地獄のなかをどうやって生き残ったのか」に関心がある。

 

 話は逸れたが、本題は「定活」である。

 記事を要約すると、「定活」は仕事で脂が乗った40代では早すぎて、出世競争に決着がついた50代前半が望ましい。ただ、50代後半でも十分間に合う、という点がまずひとつ。

 そして、次に「定活」の具体的なポイントとして

  1. 自分がやりたいことを明確にする
  2. 友人の幅を広げておく
  3. 健康を維持する

 の3点を挙げている。

 

 これに対する現在50代後半の私の対応は、1については「試行錯誤中」、2は「いまさら広げるのはストレスになり無理」、3に関しては「自宅でサイクルマシンを1日30分漕ぐ」、という状況だ。

 つまり1が最大の問題なのだが、これは多くの同世代のサラリーマンに当てはまると思う。問題は「何がやりたいことなのかをどうやって見つければいいかが分からない」ことではないだろうか。2と3は個人差が大きいだろう。

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 私の場合は、「熱しやすく冷めやすい」という性格も影響しているのだが、長年続いている趣味がほとんどない。酒は飲まないし、ゴルフもしない。ゲーム機やカメラ、DVDの収集、鉄道模型などに凝った時期もあったが、せいぜい続いて数年だった。

 あえて挙げれば、年に1、2度行く程度の競輪ぐらいだ(一応30年ぐらいは続いている)。

 別に入社以来「仕事一筋」と言うほど仕事熱心な訳でもなく、55歳で役職定年を迎えて、あと数年で本当の定年を迎える。その後は「再雇用」ということになる予定だが、「これ」といった人に言えるような「生きがい」が今のところ見当たらないのである。

 

 それでは、今の「生きがい」がない状況に不安を抱えているかと言うとそうでもない。勢古浩爾氏の著作「定年バカ」(SB新書)の影響を受けた面もあるのだが、定年前と定年後で生活に「区切り」を付ける必要があるかどうかは、本人が決めればいいと考えている。

 

 つまり私の場合で言えば、定年に関係なく「やりたいこと」があればやればいいし、なければ「なにもしない」もありで、定年後の生活に特に支障はないと思うようになったのだ。

 

 大江氏の言う「やりたいこと」というのは「生きがい」とほぼ同義だと思うのだが、人生後半に入ってから苦労して生きがいを探して、おカネや時間を費やすのは「無駄な努力」に終わることも多いのではないかと思う。

 「陶芸」「絵画」「山登り」が3大老後の趣味という話を聞いたことがあるが、どれも60過ぎから人に評価されるレベルに達するには大変な労力がかかりそうだ。まあ、本人が好きで納得しているなら、他人がとやかく言う話ではないのだが・・・。

 

 では、私自身がどういう定年後のイメージを持っているかと言うと、情報収集のための高いアンテナを立てて、常に何か面白そうな「モノ」や、自分にもできそうな「コト」を探し続けるという生き方だ。

 

 アンテナが探知するのは、新聞、雑誌やテレビのメディアもあるが、毎月届けられる自治体の市報や、近場の公民館などからも様々なテーマの講座やセミナーなど活用できそうな情報は結構得られる。費用も格安だ。

 最近では、大学も社会人やシニア向けの公開講座を開催していて、これを聴講するのも面白いだろう。

 あた、健康に配慮して「ウォーキングや散歩」をする人が増えているのは良い傾向だが、今は電動アシスト付き自転車という便利なツールもある。これだと行動範囲は徒歩よりも飛躍的に広がるので、アンテナに引っ掛かる情報も格段に増える。

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 つまり、私が定年後の生活で興味を持っているのは、「生きがい」そのものではなく、生きがいを探す「アンテナの性能」なのだ。これはあくまで個人的な考えなのでご参考までにということで。

 

シニア層は「与党支持」、若年層は「N党」への共感も

自民党に次ぐ政党は立憲ではなくN国?!ネット調査で驚くべき結果に|選挙ドットコムリサーチ

 

 「選挙をオモシロク」を合言葉に、日本最大の選挙・政治情報サイトを運営する選挙ドットコムが11月13日、「自民党に次ぐ政党は立憲ではなくN国?!ネット調査で驚くべき結果に」というタイトルのアンケート調査の結果と検証記事をWebサイトに掲載した。

 

 投票率の低迷などから総じて国民の選挙への関心があまり高くないなかで、同サイトは「自由と責任」「政治的公平性」などを編集ポリシーとしており、全国各地の選挙関連の記事を積極的に配信している。

 

 今回のアンケート調査では、ハイブリッド調査(電話調査とインターネット調査を同じ設問で同時に行う方式)を初めて実施したのが大きな特徴。

 記事にも「大手報道各社では電話調査のみ行われており、比較的高い年代層の回答サンプルが多くなる傾向があります。しかし、選挙ドットコムが行うハイブリッド調査では、幅広い年代層から回答を獲得することができ」とあるように、若い年代層も調査対象に含まれることの意義が大きい。

 

 というのも、大手メディアの世論調査は日中つまり、一般的な会社員が働いている時間帯に行われる傾向が強く、当然ながら回答者は在宅している「高齢者」「専業主婦」といった層が中心となる。

 

 加えて言えば、これは経験した人も多いと思うのだが最近では「自動音声による機械的な電話アンケート」が増えている。

 受け止め方は人によって様々だろうが、個人的には「無機質かつ機械的な質問」に真面目に答えようという気は起きないし、実際に回答したことは一度もない。

 人手と経費の不足でアンケート調査の自動化が進んでいるのだろうが、大手メディアはその手法への反発が存在することも認識すべきだろう。

 

 今回の調査では、電話調査が1031件、インターネット調査が1000件とほぼ同数なので、比較するにはちょうどいいサンプル数となった。

 

 両調査で最も大きな違いが出たのは「回答者に占める年代別割合」。記事にあるように「ネット調査では、40代までの回答者で7割を超す結果」となった一方、「電話調査では50代以上の回答者で7割を超す結果となった」としており、真逆の傾向を示している。

 

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回答者に占める年代別割合

 

 もうひとつの注目点は、電話とネットの調査による「政党支持率」の差。既存政党が「維新の会」のほぼ同じ水準(電話3.2%⇒ネット3.0%)なのに対して、与党の自由民主党公明党はネット調査では電話のほぼ半分にまで支持率が低迷している。

 

 この傾向は野党ではさらに顕著だ。野党第一党の立憲民主党がネットが電話の4分の1(電話12.5%⇒ネット3.1%)にまで差が開いたほか、共産党国民民主党社会民主党も1/3から1/4程度の格差がある。

 

 一方、これとは逆にネットの方が支持率が高いのが「NHKから国民を守る党」と、「れいわ新選組」だ。それぞれ0.8%⇒3.2%、1.0%⇒1.8%とネットの方が支持率は高い。特にN国はネット支持率は電話の4倍となっている。この3.2%という支持率は野党第一党の立憲民主党(3.1%)よりも高い。

 

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電話とネット調査別の政党支持率

 

 この結果を個人的に分析してみると、電話調査の主たる対象と思われるシニア層は自民党への支持率が高く、主たる野党(協賛、社民、立憲、国民)を合わせてもその半分程度にしかならず、与党(公明、維新)と比較すると44%しか支持がない。

 

 これがネット調査になると、最も多いのは「支持政党なし」の65.1%で、電話調査の1.8倍にもなる。若い世代の投票率が低く、政治的関心が低いというのはこの調査結果でも裏付けられた形だ。

 

 ただ、支持政党という観点に絞れば、相対的に見て「野党よりは自民党の方がマシ」と判断しているのは間違いない。

 旧民主党が離合集散を繰り返し民進党を経て、現在の分裂状態に至るなど主義・主張に一貫性が見られないことへの不満があるほか、共産党、社民党にはその左派的なイデオロギーへの警戒感が根強いことや支持層が高齢化している影響もあるだろう。

 

 つまり、「責任ある政治を担えるような健全な野党が存在しないから、消極的選択で自民党が支持されている」というのが実態ではないだろうか。

 

 こうした政治的な不満を抱く若年層を中心とする有権者の一部が、良くも悪くも政治的な主義・主張が明確な「N国」「れいわ」への支持に向かったと考えるのが妥当だろう。

 

 今回から始まった「選挙ドットコム」の電話とネットによるハイブリッド調査については、「幅広い層」の世論を集計しているという点で評価できる。今後も調査結果には注目していきたい。

「顧客を優先」「常識を疑う」はすでに現場では常識なのだが・・・

会社に頼らず生きていける人に共通する3特徴(東洋経済オンライン)

唐土 新市郎 : 社長専門アドバイザー

 

終身雇用、年功序列の会社制度が崩壊しつつあるなか、会社に依存せずに働くための処方箋「会社に頼らず生きていける人に共通する3特徴」が11月13日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

 記事を書いたのは、「社長専門アドバイザー」という見慣れぬ肩書を持つ作家・講演家で、「ひとりぼっち」という会社の社長でもある。出身はコンサルの船井総合研究所で最年少の執行役員だったようだ。現在50歳と思われる。余談だが、この船井総研は中堅家電メーカーの船井電機とは無関係。

 

 記事の趣旨はタイトルにあるように3つ。

  1. つねにお客さんを真ん中に置く
  2. 常識を疑う
  3. 最悪を想定している

 の3点だ。

 

 コンサルタントとして50歳というのは、脂が乗りきっている時期だと思うのだが、読後の感想を言わせてもらえれば「内容が今ひとつ薄い」。

 簡潔に言えば、「そんなことはすでに誰もが知っている」内容なのだ。

 コンサル会社なので、深く手の内を見せることはご法度なのはわかるが、タイトルから想像して読むと、期待を裏切られたような気になるかもしれない。

 

 1の「顧客優先主義」はもはや営業の現場では当たり前の概念だ。記事では「『新商品をいかに売るか』しか頭にない。そんな人が圧倒的に多いです」とあるが、こんな企業はもはやガチガチの中小オーナー企業か、ワンマン経営者がすべてを管掌する独善会社ぐらいしかないだろう。

 

 まともな会社なら、商品企画の段階から営業が関与するので、プロダクトアウトではなくマーケットインの商品を目指すのはごく自然な形だ。つまり「営業がいかに売るか」ではなく「顧客がどうしたら買いたくなるか」に主軸が置かれている。

 

 魅力のない商品を手掛けているのに、上司や自分への評価を気にするなどと言うのは、本末転倒もいいところだ。

 

 2の「常識を疑う」については、検討する余地のある会社は比較的多いだろう。

 記事では、本来の始業時刻より40分も早く出社して上司に挨拶する習慣や、14時から15時と決まっている会議の時間帯が上司の都合で延長になる例を挙げている。

 

 これはまさに「タコつぼ」企業にありがちな無意味な慣習で、誰かが打ち破らないと改善されない。しかもこういう企業に限って「前例主義」「上意下達」が徹底していて、若手の意見など見向きもされない傾向が強い。

 

 こういう企業風土の会社では、記事にあるように「部長の話が長引こうが、説教が始まろうが、15時になったらさっさと退出」というのは、理にかなった行動である。

 最初は勇気がいるが、何度か繰り返しているうちに「あいつはそういう奴だ」という認識が広まって、誰も何も言わなくなる。

 

 ちなみに記事にある会議の時間帯が14時から15時の一時間というのも現在のビジネス感覚では「長い」。知人の会社では「会議は役員会を除いて30分」と決まっている。予約制なので次の会議が埋まっているので、延長はできない。

 よく考えれば週次報告など定例会議は、テーマが決まっているので30分もあれば重運である。特別に検討が必要な案件であれば別に会議の場を設ければいいだけの話だ。

 

 3の「最悪を想定している」は、よほどの自信家でなければ頭のなかにあるはずだ。物事が想定通りいかないのは当たり前で、成長している分野のビジネスの世界では想定外の事態が起きない案件の方が珍しい。

 逆にいえば、普段から業務上で何の変化や突発事態が起きないような仕事しかない会社は、将来性が危ぶまれると見たほうがいいだろう。

 

 こういう会社では、自分の関わる仕事の「最悪の事態」よりも、会社の存続と言う「最悪の状況」を想定した方がよさそうだ。

 

 ということで、3つの視点については、どれも目新しさはなかったが、間違ったことを書いている訳ではない。

 20代の若手社員にとっては、参考になる記事だとは思う。逆に40代以降の中堅社員がこの記事を読んで目覚めたとしたら「相当重症」だろう。

女性が「住みたい」街は「住めたらいいな」では?

新築マンション情報誌SUUMO 2019.11.12号

 

 本日発行された駅ナカの無料住宅情報誌SUUMOの東京市部・神奈川北西版では「女性が住みたい街トップ100」が特集記事となった。

 

 ちなみに首都圏版の特集は「2020年人気が出る街ランキング」で、この2つの地域版で表紙の見出しが、ここまで大きく変わるのは過去に見たことがない。

 顧客の関心度に配慮した結果なのだろうが、首都圏版の方が掲載物件は多いこともあって、東京市部・神奈川北西版の「女性が住みたい街トップ100」の記事の一部も掲載されている。

 

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 今回は、SUUMOとしてはおそらく初めての企画と思われる「女性」に特化した東京市部版のランキング記事を取り上げたい。

 

 このランキングは、毎年SUUMOが調査している「住みたい街ランキング」から女性票だけを集計したもので、関東圏の2049歳の女性3402人が調査対象となったと記載がある。

 

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女性が住みたい街ランキング

 記事ではランキングの上位について、「上位の街は華やか。共通点は“グルメ&ショッピング環境が充実”し、“住宅街に近くおしゃれ」としたうえで、「女性は治安、教育、自然など、暮らしを”守る“街選びをするのに対して、男性は将来の資産価値など”攻め“の街選びをする傾向にある」と女性の住宅ライターが解説している。

 

 今回のランキングについて個人的な感想を言えば、「住みたい」という要望よりは「住めたらいいな」という願望に近いような印象を持った。

 

 例えば、上位3位は「横浜」「恵比寿」「吉祥寺」が占めているが、これらの街は「華やか、グルメ、ショッピング環境が充実」していることは確かだが、「住宅街に近い」というのはどうだろうか。

 この3駅の近くにファミリー向けのマンションが十分に供給されているとは思えない。単身者向けのワンルームはそれなりにあるかもしれないが。

 

 つまり「イメージ先行」で憧れの街に住めたらいいな、という感覚なのではないか。これは4位の目黒、8位の中目黒、10位の新宿にも当てはまる。

 

 5位の「鎌倉」は私自身も住んでみたい気持ちはあるが、巷の評価では観光客で溢れかえって住みにくいという意見も多いし、6位の「武蔵小杉」はタワマンの住宅開発が一気に進んだが、通勤時間帯の駅の混雑は広く知れ渡ることになった。どちらも住環境が良いとは言い切れないだろう。

 

 また、ベスト10を見て意外に感じたのは、東京都が5つにとどまり、神奈川県が3つ、埼玉県が2つと人気が分散したこと。

 特にランキングの上位に「大宮」(7位)、「浦和」(9位)が入ったのは意外だった。どちらも東京に近く、都市機能が充実していることが評価されているのだろう。

 これは偏見と言われても仕方がないのかもしれないが、私のイメージとしては「大宮」は競輪の東日本発祥の地だし、「浦和」にも競馬場がある。まあ最近の女性はギャンブル施設にあまり抵抗はないのかもしれないが。

 

 記事では住宅ライターが、「女性が暮らしやすい街の特徴」として、「多世代共存」と「生活効率がいい」ことを挙げている。

 

 詳細は記事を読んで頂くとして、ランキングの順位とは別に、女性ならではの視点から「街」を検証している点では興味深かった。

 

 SUUMOはその無料情報誌という性格上、不動産業者寄りの記事にならざるを得ない面があるのはしたかがないとは思うが、今回のように編集部の工夫次第で新たな切り口のランキングや記事を掲載したことは評価したい

老後にサラリーマンが会社を買うのは現実的なのか

脱サラ起業よりも「会社を買う」方がいい理由 (プレジデントオンライン)

田之上 信 ジャーナリスト

 

 老後の収入確保の手段として「会社を買う」という方法を解説する記事「脱サラ起業よりも『会社を買う』方がいい理由」が11月9日のプレジデントオンラインに掲載された。

 

 この記事はよく読むと、昨年4月に出版された「サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい」という本の続編となる「会計版」の紹介でもあるのだが、内容は記事」というよりも「インタビュー」に近い。

 

 要約すると、「日本には後継者を求めている中小企業が100万社あり、黒字の会社も多い。会社を買って役員報酬を得れば、老後の資金を確保できる。ただ会社を買うにはリスクがある。経営状態の入念な調査は必要だ」ということになる。

 

 前書について、私は発売とほぼ同時にAmazonで一番目となるレビュー「中小企業を買い取り経営するという生き方、人生後半の選択肢になりうるか」を書き、★4つの評価を付けた。他のレビューも総じて同書を前向きに評価するレビューが大半だったように思う。

 100件以上の「役に立った」投票を得たこともあって、発売から数カ月はトップレビューを維持していた。本記事を見て今回改めてレビューを見たのだが、驚いたことにトップレビュー8本のうち7本までが★2以下の評価なのである。

 

 レビューのタイトルは「スモールM&Aは売手市場、サラリーマンでは買えない」「サラリーマンの0.1%に入る人向けの本」「あまり現実性はない…」など惨憺たる評価なのだ。

 

 これはどういうことなのか自問自答してみたのだが、思うに前書で紹介した「会社を買って老後資金を確保する」というコンセプトが目新しかったので注目を集めて結構売れたが、M&A市場を知る人たちから「現実」をもっと認識するべきだというレビューを書いたことが影響したと思われる。

 

 ちなみに私のレビューは「中小企業を買い取り経営するという生き方、人生後半の選択肢になりうるか」と言うタイトルで、内容は「会社買収というのは想像していたよりもハードルは低いようだが、成功する可能性のハードルは高そう」という趣旨だった。

 

 具体的には、M&Aが成功すればいいが、自分の特性にあった会社が、手ごろな値段で、適当な時期に見つかるかは運任せの部分も大きいし、運悪く「実は手に負えない会社だった」というリスクも十分にある、とレビューでは書いた。

 

 今回出版された「会計版」では、リスクを回避するための「危ない会社の見抜き方」などを解説しているようだが、この本一冊読んだところで、効果は限定的だろう。自分に合った会社が見つかる可能性がそれほど高まるとは思えない。魑魅魍魎が跋扈する企業M&Aの世界はそれほど甘くないだろう。

 

 前作では「中小企業を買うことのメリット」を強調していたが、今回の新作を紹介する記事では、レビューでの批判を恐れてか「予防線」をいくつも張っている。

 

 具体的には、「私が提唱しているのは、生き方です。会社を買うというのは目的ではなく」とか、「年収が下がったとしても、ものすごく面白くてやりがいがあればそれは意味があります」のほか、「買った会社が倒産したとしても、株主が責任を負うのは会社を買った株式の金額だけ」といった失敗へした場合への「言い訳」が列記されているのだ。

 

 今回出版された「会計版」には、Amazonで現時点で50個のレビューが付いている。内訳は★5つが73%、★4つが22%で、この2つで95%を占めている。これは前作が発売された直後のレビューの傾向に近い。

 

 私自身はこの新作を読んでいないので、レビューは書いていないし、書く予定もない。

 その理由は、「会計版」というタイトルから内容がほぼ想像できるうえ、内容の方向性が前作を踏襲していて、目新しさが感じされないこと。

 加えて、本記事を読んで、著者がやや責任を回避する「逃げ腰」を姿勢を見せていることも気になる。

 

 結論として言いたいのは「経営の素人がおカネで買った中小企業を経営するのは想像以上にリスクと困難が付きまとうはず」ということだ。

他人より自分が「面白く」なければ人生はつまらない

SNSに疲れた現代人に贈る「面白さ」の本質論(東洋経済オンライン)

森 博嗣 : 小説家、工学博士

 

 生きることは「面白さ」の追及である、という趣旨の記事「SNSに疲れた現代人に贈る『面白さ』の本質論」が11月9日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

 執筆したのは、元研究者で人気ミステリー作家の森博嗣氏。私はミステリーを読まないのだが、森氏を知っている。

 というのも共通の趣味と言うのはおこがましいが、大型の鉄道模型(軌道幅が45mmあるGゲージ)で、過去にネットオークションで私が出品した機関車を購入して頂いたことがあるからだ。そして、森氏は鉄道模型に関する書籍「庭煙鉄道趣味 庭蒸気が走る毎日」も書いている。

 

 ちょっと話がそれたが、このように経歴や趣味で多彩な面を持つ筆者が、人生の面白さについて語ったのが本記事だ。

 

 まず初めに、研究者時代の面白さは「知る」ことだったこと、現在の若者が面白いと感じるのは「大勢に受けるもの」で、これは面白さを感じるのが「本人」か「周囲の人」かという点で対極にある、としている。

 

 これが記事のタイトルにある「SNSに疲れた現代人に贈る」というキーワードに繋がっているのだ。

 

 つまり周囲に合わせて「楽しませよう」とするから、結果として実際には自分は「楽しめていない」ということになっているという趣旨だ。

 

 SNSは多くの他人とつながりを持てる点でメリットは大きいが、利用している本人が知らず知らずのうちに「他人のため」に自分の意見や時間を犠牲にしてしまい、他人との繋がりを楽しむのではなく、「いいね」の獲得が目的になっていることを森氏は警告している。

 

 私自身はフェイスブックもツイッターもアカウント自体は持っていて、まだ有効なはずだが(未確認)、現在の更新状況はゼロだ。LINEに至ってはアカウントすらない。日々更新しているのはこのブログだけだ。

 ブログを続けられるのも、他者とのやり取りが発生せず、自分の興味があることを自分の考え方で自由に書けることが大きな理由になっている。実際のところ「日記」に近いかもしれない。

 

 当初は私もフェイスブックをきっかけに学生時代の旧友と繋がって、何十年かぶりにコミュニケーションを取れたりしてそれなりに面白かったのだが、いつの間にか「知り合いの知り合い」が増え始めて、よく知らない人との繋がりを面倒だと感じるようになって止めてしまった。

 

 記事には「自分が成長し、あるいは元気になれる。そして、結果的に自己の満足を導く。そういうものを摂取することが『面白い』と感じるように、人間の脳はできている」とあるが、要するに「面白くない」ことを続けるのは疲れることであり、苦痛になるのだ。

 

 SNSで「いいね」を獲得することが本当に楽しいと感じているのであれば、それは個人の感性の問題だから他人がとやかく言う話ではない。

 ただ「SNS疲れ」という言葉が一般的になったことを考えると、面白いからとか楽しむためにやっていることが、実は「面白い」どころか「苦痛」になっている人は多いのだろう。

 

 記事では最後に「生きるとは、『面白さ』の追求でもある。『面白い』ことを見失ったら、生きていけないのではないか」とまとめている。

 

 ここで言う「面白さ」とは、「知的好奇心を満足させること」と定義してもいいだろう。これにはSNSで「いいね」を獲得することは含まれないはずだ。

 

 本当の面白さは「知る」「気づく」ことから始まる、という森氏の主張には賛同したい。

ネットニュースと新聞は役割分担すべき、目的の違いは明白

ネットがあれば新聞不要と思う人に欠けた視点(東洋経済オンライン)

池上 彰 : ジャーナリスト

  

 新聞の購読者数の減少と、それとは対照的にネット系のニュースの隆盛が著しい。

 こうしたなか、あえて新聞の存在意義を説く記事「ネットがあれば新聞不要と思う人に欠けた視点」が11月8日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

 記事では新聞の存在意義のひとつに「取材」があると指摘。「新聞社の記者が取材した記事がなくなればネットに記事が転載されることはない」としている。

 

 また、新聞離れで先行しているアメリカでは、地方紙の廃刊によって地元の選挙を報道する手段がなくなり投票率が激減した、という事例を紹介して新聞メディアの減少による悪影響とその存在意義を解説している。

 

 下の表は新聞協会が発表しているデータだが、左端の発行部数合計は2000年の5370万部から2018年には3990万部と記事にあるように約26%減少、4000万部を割り込んでいる。

 この間、世帯数は4741万から5661万へと19%増加しているので、潜在的な需要増を取り込めていないことを考慮すると、新聞へのニーズは数値以上に激減していると見ていいだろう

 

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新聞協会経営業務部調べ (単位=部)

  記事では、上記2つの事情に加え、アメリカの「ウォーターゲート事件」や日本の「リクルート事件」を取り上げ、「新聞はつねに国家や権力者を監視し、世の中を動かしてきました」と新聞の存在意義を説いている。

 

 記事を読んだ感想を言えば、「間違ってはいないが、新聞の部数減少の主たる原因はネット社会の普及に対応した紙面構成を怠った新聞社側にある」と思っている。

 

 筆者の池上氏は「新聞社は多くの記者を抱え、直接情報源に取材して記事にします。この第一報がなければ、ネットに記事が転載されることもありません」としているが、この認識はやや時代遅れと言える。

 

 例を挙げれば、日本経済新聞はネットの電子版に速報記事を中心に新聞よりも優先的に配信、その他の記事も新聞より早く報じている。特に有料会員向けにはその傾向が顕著だ。

 

 そもそも、朝夕の二回しか読者に伝わらない新聞に対して、24時間ニュース配信が可能な電子メディアでは、速報性で勝負にならない。

 

 個人的な意見を述べれば、速報性のある記事や一般的なニュース、発表モノなどはネットで配信した方が価値は大きいし、読者のニーズにも合っている。

 

 新聞は、池上氏が言うように「大量の取材記者」を抱えているのだから、社会的な意味の大きいスクープ記事の発掘も重要ではあるが、ネットメディアで先行して配信した記事を、オリジナルな分析でその背景を解説したり、過去の経緯や今後の展開などを説明するといった、今まで以上に「読み甲斐のある記事」に方向転換すべきだと思う。

 

 調査報道では、週刊誌など雑誌の方が時間をかけて取材、調査できるという側面はあるが、週1回の雑誌と1日朝夕2回の新聞では、まだ新聞の方が優位性はある。

 

 実際に新聞社のサイトを見ると、今年に入ってから記事の大半が有料会員でないと読めない傾向が強まっているように感じる。

 当たり障りのない記事はタダで読めるが、「価値がある(と新聞社が判断した)記事は有料で」という編集もしくは営業サイドの方針は理解できないでもないが、私のような無料会員にとっては、決して安くはない月額料金を払って新聞をネットで見ようとは思わない(産経新聞は月額500円と安いが)。

 むしろ「金を払わない人はサイトを見るな」と宣言されているようで不快感すら覚える(特にM紙)。

 

 現実にネット読者向け新聞の有料版で成功しているのは、有料会員が60万人を超えている(2018年6月時点)日本経済新聞ぐらいだろう。

 日経は「会社情報」や「データバンク」など保有する経済や企業データの情報量が他社に比べて半端ではないため、ビジネスマンや企業向けを中心としたこれらのデータを生かしたメディア戦略が奏功したとも言える。

 

 その他の新聞社もこの辺りの事情は当然ながら把握しているだろうが、宅配制度を維持するための販売店対策など、解決すべき課題も多く、ネット新聞に移行するにはまだまだ時間はかかるだろう(この点でも他の新聞販売店の軒先を借りて宅配している日経は有利)。

 

 であれば、紙面を「読みたくなるような内容に変化させていく」しか解決策はないのではないか。

 ネットニュースのような速報性はないが、週刊誌よりは早く、しかも読む価値のある「解説記事」を中心に編集すれば、まだ紙の「新聞」が生き残る道はあると思う。

 

若手社員の将来設計は想像以上に「堅実」。ただし現状再考の余地も

若手の49%が「転職を考えている」という現実(東洋経済オンライン)

佐佐木 由美子 : 人事労務コンサルタント/社会保険労務士

 

 私のような50代後半にとっては薄々感づいてはいたものの、想像以上にショッキングな記事「若手の49%が『転職を考えている』という現実」が11月7日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

 記事では、一般社団法人日本能率協会の2019年『入社半年・2年目 若手社員意識調査』を引用しているのだが、調査対象は「全国の入社半年・2年目を迎えた若手社員400人」となっている。

 

 こう言ってしまうと見も蓋もないのだが、本記事は日本能率協会が調査結果の概要としてまとめた1ページ目の「トピックス」を多少「肉付け」した内容が主体で、著者オリジナルの分析は少ない。

 とは言え、普段目にする機会が少ないこの調査結果にスポットライトを当てたことの意味はあると思う。

 

 記事は、冒頭に「若手社員の約半数(48.8%)がすでに転職を検討・活動中という結果」という内容から始まる。

 続けて、「『すでに副業・兼業をしている若手社員は、28.0%と3割近くもおり」とし、入社3年に達する前に、半数が転職を考え、実際に副業をしているという調査結果を紹介している。

 

 私自身は新卒から現在まで30年以上同じ会社で雇用されてきた(別会社への出向はあったが)という、「旧世代」の人間なので、若手社員との意識の差はあって当然だとは思うが、このアンケート結果にはいささか驚いた。

 

 ただ、現在までここ20年近くの正社員の待遇の変化などを考えると、納得のいく合理的な行動ではある

 私の就職した時代は、終身雇用、年功序列が当たり前、どんなに管理能力が劣っていても「部長」か「副部長」ぐらいまでは出世できて、本人の仕事ができない部分は部下がサポートしていた。

 今では考えられないが、懇親を深めるための毎年会社主催の「ボーリング大会」などがあったのである。当然ながら社員の家族の参加も大歓迎だったし、かかる費用はすべて会社負担。

 

 これがバブル崩壊やリーマンショックなどで会社の経営姿勢が「社員重視」から「株主重視」へと変わり、最大限の効率経営が求められるようになった。

 保養所や寮などは廃止、業務の目標を具体的に定めて上司と面談、その目標達成度で給与が変動し、評価次第で社員の「選別」も始まった。年下の上司が登場するようになったものこの頃からである。

 

 この方向転換は時代の趨勢であって間違っているとは言わないし、それまでが社員の「会社への帰属意識」を高めるための過剰ともいえる待遇だったのは確か。結果として今となっては死語に近い「社畜」というある意味自虐的な言葉が存在した(家畜から派生した造語)。

 いまでも、ブラック企業で生活のために死ぬほど働かされている人はいるが、社畜は自分の意志で望んで激務に身を投じていた点でやや異なると思う。

 

 時代を現在に戻すと、最近では富士通NECなど日本を代表するような大規模なリストラを実施、しかも対象が40代にまで低下してきたほか、キリンビールのように過去最高の利益を出しながらも早期退職を募集するなど、会社の社員を評価する視点は「どれだけ利益に貢献できるか」の一点に集中しているようだ。

 

 こういう環境下で若手社員が、自己防衛本能から転職への準備を進めるのは当然ではある。会社が自分の将来を保証してくれないのだから、自分で将来設計の指針や方策を立てるしかない。

 となると、いざ転職するとなった場合、転職市場で最も評価されるのは「スキル」。

 記事では、「目標にしたい人が『いる』人が、能力・スキルが『上がった』割合が圧倒的に高い」という結果を紹介しているが、つまり、社内でスキルが上がるなら会社に留まるし、そうでなければ見切りをつけるということだろう。これは極めて合理的な判断だ。

 

 と、ここまでは様々なメディアで報じられてきた内容でもある。当ブログの「情報を斜め視線から」という姿勢から、私見を述べてみたい

 

 まず、明らかなブラック企業であればとにかく脱出を図ることが最優先である。ここでいうブラック企業とは、従業員を安く使う「道具」としか考えていない会社で、社員のスキル向上などは視野にない。勤め続けるのは自殺行為である。

 ただ間違えないでほしいのは、単純に見える作業で「こき使われること」自体が、悪いわけではないということ。

 特に大企業の場合、会社全体から見れば、若手社員にできることなどわずかだ。意識高い系の若手には「これは自分の仕事ではない」と単純なコピー取りなどの仕事を嫌う傾向もあるようだが、これは個人的な見方をすれば「仕事を表面的にしか見ていない」浅はかな行動である。

 

 これは私自身の経験でもあるが、当然ながら新人時代はコピー取りも任された。問題はこの任されたコピー取りの仕事をどう捉えるかなのである。ポイントは2つ。

 普通は、自分の仕事場に元も近いコピー機を選択して待っている人がいれば順番待ちをするだろう。ここで普段から他部署の職場などに気を配っていれば、より高速処理で空いているコピー機の存在を知っているので仕事が早く済むという点がひとつ。

 

 もうひとつはこっちの方が重要なのだが、コピーを取っている間に「ぼーっと」待っているか、出てきたコピーの内容を流し読みでも構わないので「目を通す」か、という違いだ。

 

 これは上司を経験した立場から言えることだが、本当に需要な機密書類を新人にコピーを任せるようなことはまずしない。安全を考えて自分でコピーする。

 ということは、任されるコピーは、その内容が新人でも何らかの程度関係があったりして、仕事を進めるうえで役に立つかもしれない情報が書かれている可能性が高いのだ。

 

 この内容チェックを毎回コピーの都度実行していれば、会社における自分の部署の仕事の意味が立場がある程度理解できるようになる。少なくとも不満タラタラで漫然とコピーしている新人とは大きな差が付くのは確実だ

 加えて言えば、上司の手が空いた時間や機嫌がいい時に、「さきほどのコピーを任された資料の件で教えてほしいのですが」などと話しかければ、評価は上がることはあっても下がることはまずない。

 

 コピー作業ひとつとっても、それを生かすも殺すも若手社員の捉え方次第で大きく変わってくるのだ。

 

 若手社員にとって、現在の仕事が「スキルアップに繋がらない」と判断するのは簡単だが、その前に「何か生かす方法はないか」検討してみることをまずはオススメする。

 

 スキルアップは「与えられた仕事」から得られるだけではなく、「自分から創意・工夫」することで獲得するという側面もあることは知っておいていい。

CH-Rが売れない理由は分かるが、シエンタが売れる理由は?

シエンタ絶好調でも、「C-HR」が大苦戦する理由(東洋経済オンライン)

渡辺 陽一郎 : カーライフ・ジャーナリスト

 

現在乗っているミニバンのサイズがやや大きくて、取り回しに苦労することが多いので、もう少し小型のミニバンを検討しているのだが、1500ccクラスのミニバンとなるとトヨタの「シエンタ」か、ホンダの「フリード」しかないのが現状だ。

 

 こうした悩みを抱えるなか、11月6日付けの東洋経済オンラインに「シエンタ絶好調でも、『C-HR』が大苦戦する理由」が掲載された。

 

 この夏シエンタが何故かバカ売れしたという記事は、自動車関連のニュースサイトで見た記憶があったのだが、そこには「売れた」という事実だけが書かれていてその「理由」が明記された記事はなかったように記憶している。

 

 結論から言えば、「やはりなぜシエンタが売れたのかは分からなかった」だ。

 

 記事では、売れた理由として、①2018年9月にマイナーチェンジを実施、②ヴォクシーのようなミドルサイズミニバンからの乗り換えが目立つ、③シエンタは“好調に売れる波”に乗った、の3点を挙げているが、個人的な感想を言えば、どれも説得力に欠ける。

 

 まず急激に売れ行きを伸ばしたのが、7月(前年同月比157%)、8月(同158%)、9月(同185%)で、1月から6月までの累計(同112%)を圧倒した理由に、この3つがどれも当てはまらないからだ。

 

 あえて間違いを覚悟のうえで私見を述べると、夏ごろから10月にマイナーチェンジするとの噂が流れていたので、現行型のデザインを好む層がモデルチェンジ前に買い急いだのではないかと推測している。

 実際に10月4日に発売されたのは、シエンタを含むコンパクトカー4車種に特別仕様車を設定、という内容だったのだが。

 

 一方、CH-Rが売れない理由は実に分かりやすく説明している。

 記事では「主に外観デザインの魅力によって売れる商品であるから」で、「実用性では選ばれないため、欲しい人がひと通り購入すると、売れ行きが伸び悩む」と解説しているが、これは納得がいく。

 

 私自身、CH-Rが発売されてすぐに販売店に行って展示車を見たが、確かに外観はカッコよかった。タイヤとホイールが異様に大きく、まさに小型SUVの王道を行くイメージ。

 セールスの人に主な購入層を聞いたら、「意外にも50代男性が多い」と聞いて、子育てが一巡しておカネに余裕のできた自動車好きのシニアが買っているのだと思ったが、私自身の感想としては「レンタカーで乗るにはいいけど買うことはないな」だった。

 

 というのも外観などのデザインを優先した結果、記事にもあるが後席と荷室のスペースが実用とは思えないほど狭いと感じたほか、致命的だったのは「運転席から見た背後の視野の狭さ」だ。

 まず背面の窓ガラスが大きく寝ているので上下幅が極端に短いうえ、後部座席の窓ガラスから後ろにガラス部分がないので、バックの際の見切りがとても厳しい。

 

 販売店の人にこの点を指摘したら「そのためのバックモニターです」と言われたが、安全確認の基本はまず「目視」ではないだろうか。

 

 ここまで実用面でデメリットがあると、本当にデザインが気にいった人しか買わないから、ファンの買いが一巡すれば売れ行きは落ちる。

 

 たださすがトヨタと感じたのは、11月5日にダイハツからのOEM供給で5ナンバーのSUV「ライズ」を発売したことだ。

 こちらは後部座席の後ろにも窓ガラスがあり、視野はCH-Rより改善されているし、後部座席の天井も高いので乗車時の狭さは多少なりとも感じにくくなっているはずだ。荷室の容量もCH-Rの318Lに対して、369Lと大きい。

 

 CH-Rのデザインは好きだが実用性で購入を躊躇していた層をターゲットにしているはずで、トヨタ車種のラインナップの「穴」を埋める効果は大きいと思う。

2日続けてAmazonレビューがテーマになりますが・・・

偽レビューを見分けるには勉強代が必要

 

 このブログは原則毎日午前中の早い時間帯に更新しているのだが、ネタ元は多くの場合東洋経済オンラインで、たまにダイヤモンドオンライン、プレジデントオンラインを引用することもある。

 

 昨日は朝方から東洋経済などの記事を読んでいたのだが、これといってコメントしたり、ブログのネタになるような記事が見当たらなかったので、日々考えていたネタのひとつであるAmazonレビュアーのランキングについて、実体験をもとに「Amazonのレビュアーランキングの仕組みが不可解、順位変動の根拠が不明」というタイトルで書いた。

 

 外出から帰宅して何気に東洋経済オンラインを見たら偶然にも「アマゾンで偽レビュー作りまくる不届者の正体」という4日にブログで書いたテーマと被る記事が掲載されていて驚いた。

 もっとも、当ブログはレビューを書くレビュアーの「ランキング」についての内容で、東洋経済の記事にあるレビューとレビュアー「そのもの」ではないので、完全に重なる訳ではないのだが。

 

 とは言え、私が午前中に更新したブログの内容とほぼ同じテーマで東洋経済オンラインにその日の夕方に掲載された以上、黙って見過ごせないというのもある意味では本音。

 そこで、今回はAmazonの記事にある「偽レビュー」について私見を書きたい。

 

 まずAmazonのレビューについて言えるのは、「参考」にしてもいいが「信用」するには注意が必要ということだ。

 

 記事では、《0円仕入れ》という言葉を使っているが、これは正確な表現ではない。実際にはレビュー依頼のあった商品を自分のおカネで購入、五つ星のレビューを書いたことを連絡すると、PayPalで支払われるというのが実態である。

 なぜ先に商品を送り付けてこないかと言うと、商品を受け取ってレビューを書かないリスクを回避するという意味もあるが、Amazonで購入するとレビューの上段に「Amazonで購入」という赤い文字が表示され、レビューへの信用度が高まるという効果を狙っている側面の方が大きい。

 

 レビューを書いている当事者は、フェイスブックのグループに登録して「投稿者にメッセージで、レビューさせてください、って連絡するんです」と解説しているが、私の個人的な経験から言えば、レビュアーランキングで500位以内に入ると、自動的に向こうからレビュー要請のメールが届くようになる。

 

 メールにはAmazonの自己プロフィールを読んで、「あなたの考え方に共感しました」とアプローチを試みる手の込んだ「勧誘」もある。

 

 なかには勧誘に乗ってレビューを書くランカーもいるのだろうが、真面目なレビュアーは無視の一手だ。というのも、Amazonでは販促となる投稿を禁止しており、その具体例として「対価(現金、無料または割引商品、商品券、後日購入する商品に対して第三者が提供する割引など)を得るために、お客様がレビューを投稿する」が書かれている。

 これに違反した場合は、アカウント削除となる場合もあるはずで、苦労して獲得したランクをわずか数千円のために棒に振るようなマネはしないからだ。

 

 また記事では、「ネット上の口コミ情報を「かなり信用する」と「まあ信用する」を合わせると55%を超えており、口コミ情報を参考にするサイトとして、1位の《価格・ドット・コム》の次に、アマゾンのカスタマーレビューが2位となっている」と調査結果を引用しているが、別の見方をすれば半分近くは「信用していない」ということになる。

 

 米国での調査によれば「84%がレビューを自分の友人からの推薦と同じように信用している」そうだから、日本人の方がネット情報を信用していないというのは意外でもあるが、元々何の利害関係もないうえ、身元も不明瞭な他人のレビューを鵜呑みにする方が間違っている。

 

 レビューの見方については、各方面で研究されておりスマホのアプリでも「レビュー探偵」などの信用度を判定するアプリが出回っている。

 これらのアプリを利用するのもひとつの手だが、その分析ロジックがブラックボックス化しているため、どこまで信用が置けるのかはケースバイケースだろう。

 

 個人的な結論を言えば、絶対にまがいものを掴みたくないなら、本物び商品を正規ルートで買うしかない。具体例で言えばモバイルバッテリー大手のAnkerは本社が中国の企業だが、イヤホンなどを含めて製品のコスパは高い。

 ところがこれに乗じた「似たような名前やスタイルの中国製商品」がAmazonでは堂々と出回っている。価格は半額以下だ。大抵は性能も数段落ちる。

 

 逆に、偽ブランド品でも構わないというなら失敗覚悟で購入するのも一手だ。あまりお勧めはしないが、個人的な経験では「意外にコスパが良かった」商品も全くないわけでないというのが実態で、皮肉にもこれが消費者を惑わせる要因にもなっている。

 

 筋論で言えば偽レビューを書く側に一義的な問題があるのは確かなのだが、現実にはこれらをせん滅するのは不可能。

 多少の勉強代は払っても、実体験でレビューの真贋を見極める力を身に着けるのが、残念ではあるが王道なのかもしれない