如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

株式市場を「目の敵」にする慶大准教授の理解しがたい暴論

ついに株式市場の「化けの皮」が剥がれ始めた(東洋経済オンライン)

小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授

  

 コロナウイルスの感染拡大で世界の株式市場が揺れている。24日のニューヨーク株式相場のダウ平均が前週末1031ドル下げたことで25日の日本の株式相場も急落、一時日経平均は同1000円以上下げた。25日の米国相場も大幅続落したことで、今日も下げ基調になる可能性は高い。

 

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 こうしたなか26日付けの東洋経済オンラインに「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」というタイトルの記事が掲載された。著者は慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンスで、1992年東京大学経済学部首席卒業したとのこと。株式投資関連の著書もあるようだ。

 

 この記事について感想を言えば、大学の准教授とは思えないほど、株式市場を敵視し、その相場形成に対して異常なまでの感情的な反応なのである。過去に株式市場とどのような経緯があったのかは知らないが、とにかくその常軌を逸した暴論の勢いが凄いのだ。

 

 まず、これまで株価が下がらなかった理由として「『押し目買いのチャンス』、『一時的な不安だからファクトを見れば買いだ』、という『嘘の情報』が流れたのだろうか」と指摘している。

 ここで言う「嘘」という決めつけが大学教授らしくない。「買い」かどうかは投資家自身の個々の判断であり、「嘘」かどうかは投資家が決めることだ。押し目買いだったかどうかも将来の結果として判別可能な話である。使うならば言葉としては「未確定」とか「不確実」といった表現が妥当だろう

 

 次に、「債券市場は、株式市場が理屈抜きのギャンブラー、狩人が多いのに対して、債券市場は合理的で理屈っぽい分析的な投資家が多い」というのも偏った見方だ。

 株式相場には証券会社を中心に、個別銘柄や業界のアナリストや相場全体を見るストラテジストといった分析のプロが多数いて、日々数値を駆使したレポートを作成しているのを知らないのだろうか。

 債券市場では、過去に米ソロモン・ブラザーズの東京支店の債券トレーダーだった明神茂氏は一時年収7億円を稼ぎ、長者番付に登場したし、JPモルガンの東京支店長だった藤巻健史氏も国債のディーリングで巨額の利益を出した。どちらも大きくポジションを取る文字通りプロの「ギャンブラー」である

 

 あえてその違いを表現するなら、債券市場に比べて株式市場に占める個人投資家の比率が高いと言うべきだろう。個人トレーダーには確かに日計り商いを繰り返す「イメージ通り」の投資家も存在する。もっとも比率的にはNISAを使った中長期の投資も一定比率存在するはずだ。

 金融庁のNISA・ジュニアNISA口座の利用状況調査 (2019 12 月末時点(速報値)によれば、NISA(一般・積み立て)の口座数は1365万もあるのである。

 毎年期末になると雑誌などで「株主優待」「高利回り」の銘柄特集を組むのも、中長期の資産形成に関心のある読者向けの記事のはずだ。

 

 記事では「より重要で、本質的、直接的な理由は、原油、為替はほとんどが先物市場であり、株式(部分的に債券も)は現物市場が少なくとも半分を占めるからである」としているが、この説明の意図もよくわからない。「現物でないからポジションの整理、転換は簡単である。だから、危機が来れば直ちに危機に合わせてポジションをチェンジすることができる」とのことだが、これは著者のいう「ギャンブラー」に近い存在ではないのか

 

 また最後に「株式市場は信じず、為替市場や金利市場や、原油市場を注視する」ことを勧めているが、これも一方的な見方だ。株式相場は「半年先の景気を見通す」と言われることがある。短期的なブレはあっても中長期では業績を反映した相場になっていることは過去の相場が証明している。

 

 しかも「為替市場や金利市場や、原油市場を注視」と言っているが、これらの市場が先物で占められていると先に述べていることを考慮すると、「個人投資家も先物相場に参入すべき」という結論になるのだが、リスク許容という点でこれははななだ疑問である。

 「注視」とまで書くなら、FX(外国為替証拠金取引」でレバレッジを1倍にして投資(実質的に現物と同じ)するとか、原油のETFを投資対象にするといった個人投資家向けの投資商品を紹介すべきだろう。

 

 現在のコロナウイルスに端を発する世界景気への影響が読み切れない以上、株式相場の下落がいつ、どこまで下がるのかは誰も確実な予想はできないはずだ。その意味では外為も債券も同じ金融商品である。

 あえて「株式」に特化して、批判の矛先を向ける著者の意図が分からない。

 

声優という職業を「絶対に」ススメないベテラン声優の本音

大塚明夫「声優養成所を過信する若者の危うさ」(東洋経済オンライン)

大塚 明夫 : 声優/役者

 

 大量のアニメが制作され、人気作品も増えるなか、声優を目指す若者は多いようだ。こうした傾向に警鐘を鳴らす記事「大塚明夫『声優養成所を過信する若者の危うさ』」が2月24日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

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 記事を書いた大塚氏は現役声優で、1959年の生まれというから今年62歳となるはずだから大ベテランである。ちなみに大塚氏は2015年に「声優魂」という本を出版していて、声優業界の実態を明らかにしている。

 

 東洋経済オンラインにも過去に5本の記事を投稿していて、参考までに見出しを引用してみると、

              2020.2.16 大塚明夫「声優を夢見る若者が陥りがちな失敗」

              2020.1.25 大塚明夫「声優として生き残れない若者の特徴」

              2020.1.11 大塚明夫「プロ声優と素人を分かつ決定的な差」

              2020.1.  4   声優に憧れる人が知らない「厳しい収入事情」

              2019.12.30 大塚明夫「声優の大多数が仕事にあぶれる理由」

とまあ、見出しを見るだけで「声優」という職業の厳しさが伝わってくる

 

 今回の記事のテーマは「声優養成所」。結論から言えば「養成所に行ったから声優になれるというのは大いなる幻想」ということだ。

 

 その理由として、声優養成所は「基本的なことは一通りできる役者」を育てることが目的で、業界が必要としている「個性」のある声優の育成には関心がないことを挙げている。

 簡単に言い直せば大学受験の予備校と同じで、1対1よりも1対多数でより多くの受講生に教えた方が効率よく稼げるからということだ。実際に大塚氏も記事で「声優学校や養成所というのは非常に儲かる商売」と明かしている。

 

 ではなぜ声優志望者が養成所に通うのかという話になる訳だが、大塚氏は「より安全で確実な道はある」と思いたい方がそれだけ多いからだ、と解説している。

 

 ここで想像できるのは、声優志望者が「調理師」「美容師」のように、専門学校に行けば「資格」(のようなもの)を取れて、仕事にありつける可能性が高いと思い込んでいる可能性だ。現実には「声優」などという資格は存在しない訳だが、専門学校に行ったことで、声優になる近道というか王道を歩んでいると考えているのだろう。

 

 これも個人的な想像だが、おそらくアニメ好きの高校生が登場人物のものまねを披露してみたら、友人から「イケてる」などと囃されて、その気になってしまったという事例もあるだろう。また、その大多数は他にやりたい職業もないし、大学進学にも魅力を感じていないことが、声優養成所へと後押ししている可能性もある。

 

 私が通院している診療所にも「声優」が本業の女性が受付のアルバイトをしているが、「声優だけではとてもたべていけない」と言っていた。ちなみに女性の場合は「アニメの男の子役」や「PCゲームのヒロイン」での需要もあるが、男性声優はそれも少ないので「さらに悲惨」だそうだ。

 2019年12月の記事にもあるが、声優業は「300脚の椅子をつねに1万人以上の人間が奪い合っている状態」だそうだ。実力とコネが重要視される業界で、この競争は熾烈なモノだろう。

 

 私の知り合いの子供(男子高校生)も声優を目指しているそうだが、親は大塚氏の記事を読んで反対しているのだが、本人は自分には才能があると信じて、説得には耳を貸さないらしい。

 では、この「才能」というのが何かと聞けば、「好きなアニメの主人公役の声がそっくりだから」とのこと。この業界に浅学な私でも声優業が、2つや3つの登場人物のマネできるぐらいで食っていくことは無理なことぐらいは分かる。少なくとも10数種以上の個性的な声を自由自在に使いこなせなければ、特に若手には仕事は回ってこないと思う。

 

 もちろん声優養成所出身で活躍している有名声優さん(東山奈央芹澤優など)もいるし、養成所に通うことがまったく意味がない訳ではないだろう。ただ、「仕事にありつけるかどうかはあくまで本人の実力次第」のはずだ。

 

 フランス人の俳優アランドロンの吹き替えで有名だった故野沢那智氏は現役時代「声優になりたい人はまずは役者を目指すべき」とラジオの深夜番組で言っていた。その背景として「舞台は演技でもカバーできるが、声優は声だけですべてを表現する難しさ」を指摘していた。もっとも現在の声優に求められるのは、加えて歌のうまさやファンとの交流なのかもしれないが。

 

 大塚氏は「声優界もいっそ、演歌歌手や落語家の世界のように徒弟制度を取り入れたほうがいい」とも述べているが、現実には弟子入りを申し込んでくる若手声優はまずいないそうだ。

 

 記事では最後に「声優という仕事自体を私は絶対おすすめしません」と断じている。ただ、一般論としては若者がやりたい仕事を自分で見つけて目指すのは決して悪いことではないし、むしろその積極性は評価すべきだろう。

 ただし、目標とする業界(この場合声優)の実情を詳しく調べて、先輩たちがどのように仕事を請け負い、収入はどの程度なのかなどを知っておくことは不可欠だろう。これは声優業界に限らない話ではあるが。

 親御さんも、本人の「声優になりたい」という意志を頭から否定するのではなく、冷静に業界の実情を知らしめるように努力すべきだとは思う。

英BBCは課金制へ、NHKも「スクランブル化」は必然の流れ

BBCの「受信料廃止」はどこまで現実的なのか(東洋経済オンライン)

小林 恭子 : ジャーナリスト

 

 221日付けの東洋経済オンラインに「BBCの『受信料廃止』はどこまで現実的なのか」というタイトルの記事が掲載された。

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 内容を要約すると、日曜紙のサンデータイムズ(216日付)の記事を引用し、「イギリス政府はBBCのテレビ・ライセンス料(日本のNHKの放送受信料に相当、以下「受信料」)を廃止し、希望者のみが視聴料を払う課金制(サブスクリプション)の導入を視野に入れた見直し作業を始める意向」との報道をもとに、現地での反応を中心にレポートしている。

 今回は、BBCと同様に国営放送であるNHKについて日頃から思っていることを書いてみたい。

 

 まず個人的な見解を先に述べると、NHKの受信料の強制的な徴収制度は直ちに廃止し、見たい人だけが契約する方式に変更、契約者のみが番組を視聴できるスクランブル方式を採用すべき、ということだ。

 

 これは昨年話題になったN国党NHKから国民を守る党)の意見と同じなのだが、私自身は30年以上前から主張しており、受信料契約締結を求めるNHKの担当者が自宅にくる都度、「見たくない人にまで支払わせる制度自体がおかしい。スクランブル化すれば済む話」という論法で「撃退」してきた。

 それでもしつこく食い下がる人には「文句があるなら裁判になっても構わないので訴訟しろ」とまで言い切ったことがある。実際に訴えられたことはないが。

 

 ただし、誤解のないように言っておくと、現在は受信料を自動引き落としで支払っている。というのも平成29126日に最高裁判所大法廷が判決の裁判趣旨で「日本放送協会の目的にかなう適正・公平な受信料徴収のために必要な内容の,日本放送協会の放送の受信についての契約の締結を強制する旨を定めたものとして,憲法13条,21条,29条に違反しない」と結論付けたためである。

 

 それまでは裁判で決着していないとの理由から支払いを拒絶してきたが、判決に不満があるとはいえ「最終決着」した以上、国民の義務として支払わざるを得ないとの判断からだ、悪法であっても確定すれば従わざるを得ない。

 ということで30年以上支払いを拒んできた者としては忸怩たるものがあるが、その後徴収員が人の家のポストに無断で受信契約者のシールを貼っていたのには「怒り」を通り越して「呆れた」。個人の所有物に勝手に加工するのを問題視しない非常識ぶりに、「これは相手にするだけ時間のムダ」と悟った次第である。

 

 本論に戻るが、そもそもNHKが根拠とする放送法自体が昭和25年という69年も前に制定されたこと自体がすでに「時代遅れ」だと言いたい。当時はテレビ自体がまだ一般家庭に普及していなかったので、所有者全員を徴収対象とするのは問題ではなかったのだろうが、現代は全世帯に普及するのを通りこして、テレビを見ない人が増えているのである。

 さらに言えばNHKは、携帯電話、スマホやカーナビでもテレビが視聴できれば課金の対象に対象にする意向のようだが、こうなるともやは「時代錯誤」も甚だしいレベルだ。自宅で契約していれば二重契約する必要はないらしいが、どうやって個別に契約の有無を区別、判断するのかその方法を聞いてみたいものである。

 

 スクランブル化についてのNHKの見解は、簡単に言えば「一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾する」ということだ。さらにWebサイトでは「スクランブルを導入した場合、どうしても『よく見られる』番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう『健全な民主主義の発達』の上でも問題があると考えます」としている。

 

 もっともらしい意見に見えるが、まず「よく見られる番組に偏り」というのが手前味噌である。そもそも公共放送としてしっかりとした自覚があれば、このような考えにはならない。番組の編集方針を明確に定めておけば済む話である。

 さらに言えば、一介の放送局ごときが「健全な民主主義の発達」などと偉そうに宣うこと自体が、ちゃんちゃらおかしい。自分たちを何様だと思っているのか勘違いも甚だしい。

 

 また、「緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供する」という重要性は理解できるが、これはスクランブル化とは無関係のはずだ。緊急時にはスクランブルを外せば済むだけの話である。そこに費用がかかるというのであれば、災害対策費として政府や自治体が負担すればいいだけだ。

 

 スクランブル化のメリットは他にもある。最も大きいのは戸別訪問で、訪問集金は平成20年に廃止されたが、未契約者への訪問活動などは継続されている。こうした業務に関わる人員がすべて不要になれば経費が大きく削減されるのは間違いない。全国に現在どの程度の人数がいるのかすぐには調べられなかったが、数百人程度といったレベルではないだろう。

 

 NHKを視聴したい人が受信料を支払い、見たくない人には視聴できないようにして何が問題なのだろうか。NHKには「受益者負担」という概念が欠けているとしか思えない。

 冒頭の英国のBBCの受信料制度が今後どのような経緯をたどるのか、そしてNHKにどのように影響するのか、しっかりと注視していきたい。

 

東洋経済オンラインが2月末でコメント機能を休止--快適な環境の提供が目的?

コメント機能を休止の原因を深読みしてみた

 

 恥ずかしながら今週になって気が付いたのだが、東洋経済オンラインが2月29日までで「コメントサービス」を休止すると2月12日に発表した。   

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 この「コメントサービス」は同サイトに掲載された記事に対して、思うことをコメントすることができるというもの。注目されたり話題となった記事には数十件のコメントが付くことも多く、私自身少なくとも200回以上はコメントしてきたので、サービス休止は残念ではある。

 

 このサービスは2016年に始まったのだが、当初は自由に誰でも投稿者名を「No Name」として匿名で発言できた仕様だったが、昨年機能制限が強化され、投稿者が登録した「名称」でしか投稿できなくなった。私自身は「如月五月ブログ」という名前を使っている。

 まあ、それまではそれこそ「感情的なワンフレーズ」の投稿も珍しくなかったので、ある意味「正常化」のための効果的な規制だったと今でも認識している。

 

 その後はだいぶ投稿内容も落ち着いてきたように思えていたのだが、昨年の規制から一年も経たずに「休止」というのには、かなり驚いた。どのような事情があったのか不明だが、気になるのは発表資料にある「読者の皆様に快適な利用環境を提供するため」という文言。この言葉から推測するに、「快適でない利用環境」が存在したことが読み取れる。

 

 東洋経済に休止の理由について問い合わせても「発表資料の通りです」という回答しか得られないのは確実なので、ここは200回以上のコメントを投稿し、他者のコメントもほぼすべて読み、自分のブログのネタとして100回以上引用してきた者として、独自の視点でサービス休止に至った事情を推測してみたい。

 

 まず考えられるのが、コメントの管理に想定以上の負荷がかかり、それに見合った効果が得られなかったということ。

 登録制になったことで悪質や不要なコメントは減っただろうが、記事に無関係だったり事実誤認によるコメントや二重投稿などのチェックはAI化されたはずだが、最終的な判断は人間になっていたはず。

 私自身、何件かのコメント(内容はごく真っ当なモノ)が投稿しても弾かれてしまうので理由を聞いたことがあるが、回答は「コメント本文の『縦に並んだ文字列』が排除対象のキーワードになっていたと説明を受けたことがある。この作業を含めておそらく現場のコメント管理の実務はかなりの負担だっただろう。

 

 次に考えられるのが、広告主及びその関係者からのクレーム。私自身は記事の内容に応じて是々非々でコメントするのだが、これらのなかで私を含めたコメント投稿者の指摘(内容が妥当かどうかは別にして)が、広告主の怒りにつながり、東洋経済社内の編集部門と広告部門で揉めた可能性がある。

 事実に基づいた辛辣なコメントは読者にとっては有益だと思うし、東洋経済オンラインの間接的な評価とページビューの増加に貢献するはずだが、広告主にしてみれば当然ながら「面白くない」はず。

 

 これは個人的な感想だが、昨年来の傾向として堀江貴文氏やディビッド・アトキンソン氏など有名人の最新の著作紹介を兼ねたインタビュー記事が増えたように感じていた。

 本人の生の声を読める点で個人的には面白かったのだが、コメント欄を見ると、賛否両論とはいえ著者の考え方自体を否定するようなコメントもあり、広告部門を経由した出版関係者からの「反響」には編集部も対応に苦労したとは思う。どちらも著名人だけに「存在自体が気に入らない」的なコメントも見受けられた。

 

 一方、ライバル誌の動向を見ると、ダイヤモンドオンラインはコメント機能自体が存在しない。というよりもトップページにある面白そうな記事はすべて有料会員向けになっているので、編集方針として不特定多数によるコメント機能のメリットを感じていないのだろう。

 プレジデントオンラインは一昔前の東洋経済オンラインと同じように「No Name」でも投稿は可能だが、コメント数を見る限り「活況」とは言えない。しかも利用規約には、その他の制限事項として「プレジデントオンラインはコメント投稿サービスの提供を予告なく中止することがあります」とあるので、こちらも状況次第でサービス休止の可能性はある。

 

 東洋経済もビジネスである以上、コメントサービスのメリット・デメリットを総合的に判断した結果、休止という決定をしたはずだ。

 コメントを積極的に投稿、参考にしてきた者にとっては残念ではあるが、私自身は投稿者名に「如月五月ブログ」を使ってきただけに、あくまでブログへの誘導手段のひとつとして利用してきたという側面もある。

 個人のブログでの記事の引用については、引き続き事後報告さえすれば特に変更はないようなので、その意味では影響はそう大きくはない。現時点では他のWebサイトのコメント機能を利用する予定もない。

 

 最後に手前味噌になるが、私のコメントで最も反響と評価が大きかったのは昨年10月の記事「武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断」で、評価するが1190、評価しないが280で、今でもコメントの最上段に掲載されている。誤字が多いので恥ずかしいのだが、内容自体は結構核心を突いたものではないかと自負している。

 

 

恋愛をリスクと考える20代が急速に増えている現実

「交際経験がない」20代男性は約4割という現実(東洋経済オンライン)

リクルートブライダル総研

 

 20~30代の若者は、どんな恋愛をしているのだろうか?――私のような50代後半のサラリーマンには直接関係のない話だが、現代の若者の恋愛観を知るのには参考になる記事「『交際経験がない』20代男性は約4割という現実」が2月16日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

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 記事は、結婚情報誌サービス『ゼクシィ』を企画運営する株式会社リクルートマーケティングパートナーズにおける調査・研究機関であるリクルートブライダル総研が実施、分析している。リクルートというのが個人的にはやや引っ掛かるが、元データ「恋愛・結婚調査2019(リクルートブライダル総研調べ)」自体はまともな内容だと思えた。

 

 記事では、「現在恋人のいない人」が67.9%、この恋人がいない人たちが「恋人が欲しい割合」は56.2%で、逆に「欲しくない人」は20.7%となっていることの紹介から始まる。

 まず「現在恋人のいない人」についてだが、同社が前回2015年に行った同調査では、この比率は男性で80.3%、女性で67.1%だった。今回は男性が73.2%で、女性は67.1%だから、男性は7ポイント近く低下した一方で女性は変わらずとなっている。

 

 「恋人がいない人の割合は約7割」と書いているが、これは間違いではないが、「男性の恋人持ちが7ポイント近く増えた」ことに触れないのは、やや意図的な感じがしないでもない。まあ記事全体のトーンが「なぜ恋愛しないのか」だから仕方がないのかもしれないが。

 

 次に「恋人が欲しい割合」だが、これは前回の調査項目にはない。ここで記事は「欲しくない人」の方にスポットを当てて検証している。過去との比較ができないので傾向はわからないが、個人的な感想を言えば、「恋人が欲しい人」が過半数を占めるのは普通に考えて当たり前の話なので、「欲しくない人」を取り上げるのは妥当だろうし、結果への関心も高いと思う。

 

 では「恋人が欲しくない理由」だが、調査によれば「1人の方が気楽だから」「恋愛が面倒だから」「好きな人がいないから」が性別、年齢別ともにトップ3となっているのだが、これは合点のいく結果だ。

 記事では「自立をベースとした『個』の時代になった。またその中でも、恋愛は、自分だけでハンドリングできることは少ない」と見立てているが、これは正しい見方だと思う。

 

 また、今回の記事の特徴は、年代別に恋人が欲しくない理由のなかで、20代で突出して割合が高い項目に「交際するのが怖いから」ことを挙げている点。確かに40代が6.5%、30代が11.6%に対して20代は22.9%とその数字の高さは顕著だ。

 元資料のアンケート結果の方にも記載はあるが、これは若者の「リスク回避志向」であることは間違いなさそうだ。「経済的にも政治的にも自然環境的にも不安定さがある中で生きている年代にとって『安定』は価値である」というのは説得力がある。つまり恋愛によって、「面倒」で「気楽でなくなる」という不安定要因を避けるのは合理的な行動だ。これは年々進行する「非婚化」の一因のひとつでもあるだろう。

 

 記事では後半で本論ともいえる「恋人は欲しいが、今はいない」という人に焦点を当てている。この理由のトップ3は、

   1、出会いがないから(53.4%)

   2、異性との出会いの場所がわからないから(35.7%)

   3、異性に対する魅力に自信がないから(32.5%)

となっている。

 

 この傾向について記事では「昨今、婚活サービスが急激に拡大しているのは、このような状況の中、自分の条件で効率的に相手を探し、出会える機会を提供している仕組みが広がったことが背景にあるだろう」と分析しているが、やや自社メディア「ゼクシィ」を意識した我田引水的な側面は否めないが、この「利便性の向上」が寄与している傾向があるのは確かだとは思う。

 

 これに続く内容は「恋人が欲しい人は具体的に何をすればいいのか」というもの。結論を引用すれば「自律的に自ら行動して出会いをつくりにいくことがカギ」ということなのだが、その後に「昨今マッチングアプリや婚活サービスなどもかなり充実。今や4人に1人が婚活サービスの利用経験があるという調査結果も出ている」というのは、どうにも婚活ビジネスへの「お誘い」に見えてならない。

 そもそも、今回のテーマは「恋愛」であって、「結婚」ではないはず。「婚活サービスの利用経験」を引き合いに出す時点で、論点がズレているし、意図的なモノを感じる

 

 以上から私の結論をまとめると、アンケート結果から参考になったのは、男性は恋人のいない人は減っているということ、そして恋人が欲しくない理由が「恋愛」を煩わしいものと考える傾向に変化がないこと、若い世代は恋愛をリスクと捉えていること――3点だ。

 

 これに加えて私自身の感想を言えば、「個」を重視する時代という指摘は間違ってはいないが、ここで言う「個」は「孤立」「孤独」のようなものではなく、「個性」を生かしたいという意識だろう。

 実際に、世の中の風潮を見る限り、「おひとり様」も志向も根強い一方で、趣味やライフスタイルに合わせた小規模な「集まり」も人気を集めている。

 またその実態も、「恋愛」を意識したものではなく、気の置けない「友人」としてコミュニケーションを楽しんでいるように思える。気の合う仲間と共通の話題で盛り上がればいいのであって、そこに「恋愛」は必要不可欠なものではないのだろう。

 

 記事では最後に「普遍的に大切なことは、恋愛を楽しんで相手との時間をかけがえのないものにすることだろう」と結んでいるが、20代が「恋愛をリスク」と捉える傾向が強まっている中で、この言葉が若い世代の心に「突き刺さる」とは思えない。

 

 残念ではあるが、恋愛というリスクの回避⇒恋愛経験の減少⇒非婚率の増加⇒少子化の進展、という流れは「加速」することはあっても「減速」することはないだろう。

 

メンタル強化には「公助」「共助」が重要というけれど・・・

佐藤優が説く「下品な人に心削られない働き方」(東洋経済オンライン)

佐藤 優 : 作家・元外務省主任分析官

 

 「知の巨人」とも呼ばれるほどの読書量で有名な作家で、元外務省主任分析官の佐藤優氏の「佐藤優が説く『下品な人に心削られない働き方』」というタイトルの記事が2月14日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

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 内容を要約すると、今や格差社会となった日本で「勝ち組」として成功しているのは、「特異な能力があるか、あるいは親の遺産を引き継ぎ、最初からスタートラインが違っているか、さもなければよほど図太く、図々しい人物」と指摘、なかでも「図々しい」ことが必要不可欠で、これを「下品力」と表現している。

 

 この「下品力」をもつ人が管理職として幅を利かしている会社組織の現状では、これに対抗して生きるには「自分自身の内面を強くしていくこと」「自分を取り巻く環境を変えていく」の2つが必要だと解説している。

 

 私の感想を言えば、「おっしゃることはもっともだが、対応できる人はすでに対応済で、問題はこの2点を実行しようと頭では理解できても、実際に行動に移せない人が大多数ではなかろうか」である。

 

 佐藤氏の言いたいことは理解できるのだが、「自分の内面を強くする」というのは、言い換えれば「他人の余計な干渉を受け入れない」ということで、これに必要な「自己規律」を確立、維持するのは結構しんどいと思う。

 あえて対応策を挙げれば、個人的には「読書」が最も手軽で効果的だと思っている。他人の考え方や発想を取り入れることで、自分の生き方の参考になるはずだ。読解力が必要ではあるが。

 

 まだ「自分を取り巻く環境を変えていく」の方が、現実的だろう。職場でストレスを感じているなら、異動願を出すか転職を検討するとか、上下や利害関係のない趣味などのコミュニティに入るというのもひとつの手段だろう。

 

 記事では最後に「強く生きるためには『自助・公助・共助』の3つが重要」としたうえで、とくにポイントになるのが「公助」と「共助」だと強調している。「公助」とは国や地方自治体のサービスで、「共助」は仲間同士で助け合うということを示す。

 

 これに対しては、やや同意しかねる内容だと感じた。というのも知り合いの消防団に40年勤め、消防団長になった人から聞いた話だが、自然災害の場合、現実に助けになるのは「自助7割」「共助2割」「公助1割」であり、あくまで「自分の身は自分で守る」が大原則だと言っていた。

 「自然災害への対応」と「人生を強く生きる」ことは別物との意見もあるだろうが、「生き延びる」という点では五十歩百歩である。やはり優先すべきは「周囲の環境」よりも「自身の変化」ではないだろうか。

 

 また、高齢化が進み、結婚しない人も増えた結果、一人世帯の比率は年々増加、総務省の「平成30年版情報通信白書」によれば、2040年には単独世帯の割合は約40%に達すると予測されている。自分の生活を自身で管理せざるを得ない時代はすぐそこにある。

 

 急増するセルフネグレクトによる孤独死などへの対応は喫緊の課題だが、行政がすべての世帯を常時把握するのは、民生委員の負担を考えれば現実には不可能だ。

 その観点からは「共助」「公助」も活用すべきではあるが、プライベートな個人の生活にどこまで踏み込めるのかは意見が割れるだろう。障がい者などを除けば、基本は「自助」で対応せざるを得ないはずだ。

 

 話はやや逸れるが、「他人と過去は変えられない」という言葉は、ストレスに悩む人がよく聞かされるフレーズだと思うし、私自身も常にこれを意識している。加えて個人的に意識しているのは「自分の価値は自分で決める」ということだ。

 この根底には「他人の評価で行動した結果、失敗した場合人のせいにすることになり、自身の存在価値を見出せなくなる」という危機意識がある。

  

 昨今の風潮を読むと、小泉純一郎内閣以降「自己責任論」があまりにも強まった反動で、「自己責任限界論」や「社会責任論」のような論調が見受けられるが、それ以前の日本があまりにも「お上の言うなり」になり過ぎていたのである。

 

 著者の言う「下品な人」になる必要はないが、「下品な人に囚われない品性」は、今後さらに重要になると思っている。

 

【書評】市民が市政、議会に関与する動きが広まっているという現実

自治体職員のための住民と共につくる自治のかたち―人口減少、無関心、担い手不足を乗り越えて―(第一法規)

相川 俊英 ()

 

 今回は、久々に自分の書いた「書評」を取り上げたい。もともと本ブログはAmazonに投稿した書評を転用することで昨年4月に始まったが、記事の中心は書評からその後東洋経済オンラインを中心とする記事への見解へと移っている。

 

 今回は初心に帰って、最近読んだ本「自治体職員のための住民と共につくる自治のかたち」の紹介をしたい。テーマは「住民参加型」の自治である。

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 私自身は数年前まで選挙や市政などにはほとんど興味はなく、市長や市議会議員の選挙で投票に行かないことも少なくなかった。

 ただ、役職定年を迎えて比較的時間に余裕でるようになったことで、どういう訳か地方自治への関心が急速に高まった。

 昨年の選挙では政治家としての信条に共感できる候補者への個人的なお手伝いもしたし(無事当選)、現在は市のとある審議会の委員も務めている。3か月ごとに行われる市議会も一般質問を傍聴するようになった。ここ数年で、議員、行政、議会への理解はだいぶ深まったように思う。

 

 今後、定年を迎えて「何か新しいことに取り組んでみたい」という人々が増えるのは確実であり、そのなかの一部の人は、市政や議会にアプローチするようになるだろう。

 なぜなら、自分とは全く関係のなかった分野に足を踏み入れることで、「まったく新しい世界」が見えてくるからだ。これが実体験した自分の見方だが、政治、行政の世界は想像しているよりも「ずっと新鮮で面白い」のである。

 

 さて、話を戻すと、今回取り上げる本のタイトルは「自治体職員のための住民と共につくる自治のかたち」だ。著者は地方自治ジャーナリストの相川俊英氏。地方自治をテーマとして全国各地を四半世紀以上にわたって取材し続けるという、いわばその分野のプロである。

 

 ここからは本の紹介に入るが、まず最初に「住民協議会」「市民フリースピーチ制度」について。この言葉の正確な意味がすぐに分かる人はほとんどいないだろう。

 

 これらのキーワードは、行政が政策を企画、実行していく過程で、住民にもメンバーとして参加してもらい、行政、議員、住民がお互いに意見を言い合い、聞きながら政策を実現していくための「仕組み」である。

 

 本書は、「住民」「議会」「選挙」「若者」という4つの章を立てて、各分野で独自の取り組みを実現している14の自治体・民間組織の事例を紹介している。

 各章には事例の具体的な説明の後に、関係者へのインタビューも掲載されていて、改革に取り組んだ経緯などがわかる。

 

 どの自治体・民間組織にも、その取り組む姿勢として、行政と議会によって「固定化」「形がい化」した市政全体を、住民の意見を取り入れることで、「活性化」し、3者の協力関係を強めて、より良い形に変えたいという強い意志が感じられる。

 

 こうした動きの背景には、有権者の選挙への関心が中長期的に薄らいでいるという事実への危機感があるのは確かだろう。

 総務省の「目で見る投票率(平成31年3月)」によれば、投票率は昭和20年代から一貫して低下傾向にあり、平成27年の統一地方選挙の投票率は、市区町村長選挙で50.02%、市区町村議会議員選挙で 47.33%に留まっている。有権者の半分しか投票していないのだ。

 

 著者はその理由として、第一に政治への「完全無関心派」の存在を挙げたうえで、他の投票に行かない大きな要因として、「地方選の場合、候補者の情報があまりにも少なくて『誰を選んだらよいのかどうにも判断がつかない』という由々しき現実がある」(P106)と指摘している。

 

 投票しなければ、行政・議会に文句を言う資格はないと個人的には思うのだが、現状の選挙制度では、街角の「ポスター」と投函される「選挙公報」、それに候補者名を連呼するだけの「選挙カー」しか候補者との接点がほぼないのも事実。これでは投票意欲が盛り上がらないのも仕方がない面はある。

 

 公職選挙法の不備が低投票率の一因なのだが、こうした制約のなかでも「投票率向上運動」に取り組んだ千葉県市川市や、住民主導で「公開討論会」を実現した東京都小平市などの事例は参考になる。

 

 自治体を構成する3者のなかで、今までは地味な存在だった「市民」が、改革を求めて全国で動き始めていることを知ることができる良書だと思う。

 

 以上が書評であり、以下は議会に関しての個人的な意見だ。

 繰り返しになるようで恐縮だが、定年などで比較的時間に余裕のある人は、ぜひ一度地元の市議会を傍聴することを勧めたい。私には昨年の選挙を通じて個人的に知り合いの議員が数名いるので、その議員の一般質問を欠かさず傍聴するが、特に知り合いの議員などがいない場合は各会派の代表質問でもいいだろう。

 時期的にはどの地方議会も3月議会が2月末あたりから始まるはずだが、自治体によって異なるので、市報や市のWebサイトで確認してほしい。

  納税者、有権者として傍聴する権利はあるのだから、これを生かさないのはもったいない

ツッコミどころが多すぎる「老後資産」の取り崩し方法

老後資産の取り崩し可能額が1分でわかる計算(東洋経済オンライン)

岩城 みずほ : ファイナンシャルプランナー

 

 昨年の「老後資金2000万円不足問題」以来、各種メディアでこの問題への対応策などが報じられてきた。東洋経済もその例に漏れることなく、随時関連情報を発信してきたと思う。それはそれで必要な情報だし、ニーズもあるので掲載するのは良いことである。 

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 ただし、2月9日の東洋経済オンラインに掲載された記事「老後資産の取り崩し可能額が1分でわかる計算」はツッコミどころ満載の「詰めが甘い」内容と言わざる得ない。

 

 著者はファイナンシャルプランナーの岩城みずほ氏。NHKやフリーのアナウンサーや会社員を経て、FPとして独立、経済評論家の山崎元氏との共著もあるようだ。

 

 ただこの記事、どうにも内容が「浅い」のである。タイトルに「1分でわかる」と打っているので、初心者にも分かりやすくという趣旨で書いたのだろうが、東洋経済オンラインの主たる読者層(中堅ビジネスマン以上を想定)にとっては、「いまさら」という事例が多いし、事実誤認に近いものまである。

 

 例えば1ページ目で59歳の会社員を例に出しているが、ここで「50代は人生で収入が最も高くなる時期です」とある。

 現在、大半の会社では50代になれば「役職定年」を迎えて、給料は20%近く下がるのが一般的だ。最も高いのはそれまでの40代後半からせいぜい50代前半だろう。

 

 加えて言えば、政府の働き方改革推進で今年の4月からは「同一労働同一賃金」が適用される。これによって多くの会社で実施が見込まれるのが、正規労働者の給料を、非正規労働者に合わせるという「実質的な賃下げ」だ。

 具体的には「住宅手当」「家族手当」などの削減が想定されている。これは私の勤める会社でも4月から実施される。その削減額は月数万円になるので、家計への影響は避けられない。こういった「現実」に触れていない点で、まず「合格」とは言えない

 

 次に指摘したいのが「退職一時金を受け取ったらどうするか」の部分。記事では「老後不安を必要以上に感じて不適切な金融商品を購入し、結果的に老後生活を不自由なものにしてしまう」としているが、これはもはや50代にとっては「当たり前」すぎる話。いまどき銀行で「外貨建て保険」に入るような人は当サイトの読者にはいないはずだ。

 

 むしろ記事にすべきは、その前段階の退職金を「どう受け取るか」の方だ。具体的には「一時金」「年金」「並行利用」の3つがあるが、その損得勘定(納税額)は人によって異なる。受け取り方次第で数十万円以上の差が出るのだ。この辺の事情については同じ女性FPでもより実績のある深田晶恵氏の記事「定年後の手取りを増やす退職金の受け取り方『たった1つのコツ』」の方が実践的で役に立つ。残念ながら東洋経済オンラインではないのだが。

 

 もうひとつ気がかりなのは、政府内で浮上している退職金課税の見直し。日本経済新聞は昨年10月「甘利自民税調会長「働き方による差是正」、退職金課税の見直し議論」との記事を掲載、勤めた期間が20年を超えると控除額が大きくなる退職金課税の見直しを検討課題としている。

 2020年度の税制改正では導入は見送られたが、来年度以降も俎上に上がる可能性は高い。これについても「一言も触れない」のは退職金を取り巻く情勢判断に甘さがあると言わざるを得ない。

 

 最後に指摘したいのが、老後の総資産を4000万円と設定して寿命を95歳とし「4000万円÷30年=約133万円で、1年間に取り崩せる額は133万円。これを普通預金に移し、12カ月で割った約11万円ずつ毎月使っていきます」としていること。

 これは現在一般的な考え方で、実践している人も多いのは事実だが、退職後の資金引出しについては、少しづつだが「定額法」よりも「定率法」の方が優勢になりつつある。(参考記事「逆算の資産準備」のすすめ~余命を考慮した引き出し率を考える)。

 年齢を重ねれば、総じて活動範囲も狭まるし、食も細る。厚生労働省の「第11回健康日本21(第二次)推進専門委員会」の資料によれば、平成28年の健康寿命は男性が72.14歳、女性が74.79歳。自分が自由におカネを使える期間はせいぜい75歳ぐらいまでと考えた方が現実的だ。

 つまり、65歳から95歳までの30年間を一律で毎月11万円消費するという前提そのものが、老後の一般的な生活から乖離していると言える。

 

 記事では、最後に「①1年間にいくら使ってもいいかを「毎年計算し直す」、②運用を続けながら、取り崩していくこと」が大切だと指摘している。この考え方自体は正しいと評価できるだろう。

 問題は、この結論に至るまでの解説に「詰めの甘さ」が多すぎるという点だ。厳しいようだが、同じFPでも先の深田晶恵氏や共著もある山崎元氏の方が、ずっと読み応えのある記事を書いていると思う。

 

 並のサラリーマンよりは金融リテラシーの高い読者層が多い東洋経済オンラインなのだから、著者には次回はもう少し「骨のある」記事を期待したい

 

悩む住宅問題、現役時代は賃貸で住み替え、引退後に現金一括購入がおススメなワケ

「持ち家か賃貸か」老後に困らないための正しい考え方(ダイヤモンドオンライン)

深田晶恵

 

 住まいに関する問題で過去も現在も最も悩ましいのが、過去も現在も「持ち家か」「賃貸」かの選択である。

  

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 この課題については、これまでにも様々なメディアで専門家が持論を展開してきたが、現在に至るまで「決定的な結論」は出ていない。総じて言えるのはSUUMOなど住宅業者寄りのメディアは若いうちの物件購入を進める傾向にあり、一部のファイナンシャルプランナー(FP)などが賃貸を勧める傾向が見られるといったところだろうか。

 

 こうしたなか、著名なファイナンシャルプランナー(CFP)で生活設計塾クルー取締役の深田昌恵さんの「『持ち家か賃貸か』老後に困らないための正しい考え方」というタイトルの記事が、2月6日付けのダイヤモンドオンラインに掲載された。

 

 本人は仕事柄「購入と賃貸とどちらがトクですか?」という質問を受けたり、このテーマで雑誌の取材を依頼されるそうだが、「これまで引き受けたことはない」そうだ。なぜならば「試算条件の設定次第で結果が大きく変わるから」。

 

 これは私も共感する住宅に関する認識のひとつである。細かい設定条件などは記事を参照して頂くとして、簡単に言えば「変動要因が多すぎて、万人に当てはまる正解はない」ということだ。購入の場合は、金利、返済期間など、賃貸の場合は更新料や引っ越し代などが該当する。

 

 とはいえ、記事では後半で、「住宅ローンを組んでマイホームを購入することは、老後の家賃を前払いするようなもの」として、年金生活をベースにした将来に不安を持つ人に対して、購入という選択肢もあることを解説している。

 確かに現在の年金制度が将来にわたって維持されると考えている人は少数派と言っていい。支給開始が70歳になるのはもはや現実的には既定路線だし、支給額も減額は必至。目減りする年金から賃貸料を負担するのは、よほどの預貯金がなければ厳しいだろう。

 

 著者は、購入する際には購入する場合は60歳までの返済が望ましいが、現在の物件価格の水準からみて65歳までとするのが月々の返済額から見て現実的としている。まあ、これも間違ってはいない。もっとも住宅支援機構によれば「完済債権の平均経過期間」は2018年度で15.8年と意外に短いのだが(P11)。

 また、記事で著者は「持ち家推進派」でも「賃貸推進派」でもない、と強調しているが、個人的な感想を言えば、はどちらかと言えば「購入も考慮した貯蓄が望ましい」という、やや持ち家推進派ではないかと思う。

 

 私自身の住宅問題に対するスタンスはここ5年ぐらい変わっていない。それは「現役時代は多少不便でも賃貸に住んで貯蓄に励む。現役引退前後に現金一括で持ち家を購入する」というものだ。

 

 この理由だが、まず若い世代に住宅を購入してしまうと身動きが取りにくくなるという点が挙げられる。具体的には、転勤や子供、周囲の住民など環境の変化に対応しにくいこと。

 そして、物件が地震や火災などで被災した際に生活を立て直すのに大変な労力がかかることが挙げられる。また、マンションの場合管理組合という面倒かつやっかいな存在もある。

 これが賃貸なら、生活環境に問題が生じたらさっさと別の場所に住み替えればいい。所得が減少したら安い家賃の物件に引っ越せばいいだけの話だ。地震や家事の場合も、契約を解除して住み替えれば済む。環境の変化に柔軟に対応できるのが賃貸の最大のメリットだ。

 

 とはいえ、現役引退後に年金から賃貸料を毎月支払うのは確かに厳しいのも事実。そこで、賃貸生活時代に貯め込んだ貯蓄で、物件を現金一括購入するというのが私の持論である。

 貸料を支払いつつ貯蓄をするのは困難というのは分かるが、いまは積み立てNISA(少額投資非課税制度)もあるので、長期の資産形成の手段は少なくない。加えて言えば、給料天引きで貯蓄するのが基本だ。日々の生活費から残った額を貯蓄などというのは私自身の経験上からもまず失敗する。

 

 外部環境から見れば、今後中長期的に、都市部を含めて人口、世帯数は減少するのが確実なうえに、新規住宅着工件数は減ることはあってもゼロにはならない。総務省の「平成 30 年住宅・土地統計調査」によれば、2018年時点で過去最高の13.6%だが、この比率は今後さらに上昇することは間違いない。

 

 つまり住宅の需要が減る一方で、供給は続くのだから空き家は増える。結果として物件の価格は下がると言わざるを得ない。

 ちなみにすでにこの傾向は首都圏近郊でも出始めており、郊外のバス便物件ならば1000万円を割り込む物件も珍しくなくなっている。

 この価格崩壊のエリアは、年を追うごとに首都圏中心部に向けて拡大していくのは必至だろう。20年、30年後には、築10年ぐらいで駅から徒歩10分以内の物件が数百万円で買える時代になっている可能性もある。

 しかも定年時には子供もすでに独立しているはずで、夫婦や一人暮らしなら部屋数も少なくていいので、選択肢も広い。

 

 その頃はマンションの寿命も普通に50年以上には伸びているはずだから、老朽化に伴う大規模修繕や建て替え問題が起きる前に本人の寿命が先に来るはずだ。

 戸建てなら管理費と修繕積立金もかからないが、定期的な外壁工事や庭の手入れが必要なほか、2階建てなら階段の上り下りは高齢者にはキツイかもしれない。

 

 以上から結論をまとめると、記事の最後にあるように「重要なのは、わが家(自分)にとっての買い時なのかどうか」ということだ。

 もちろん「住宅はプライスレス」という人もいる訳で、精神的な満足度を得られて家族が幸せな生活を送れるなら、多額の借金も厭わないという人がいてもいい。

 

 ただ、その際にも資金計画は慎重にも慎重を重ねた方がいい。個人的にもっとも危惧しているのは、湾岸のタワーマンションを夫婦共稼ぎの共有名義で、借入の上限額を35年の変動金利フルローンで購入するような世帯だ。

 この場合、かなりの確率で将来の生活基盤は脆弱だと言わざるを得ない。どう考えてもリスク要因が多すぎるのだ。

 

 タワーマンションへの憧れやそこから見える眺望の優越感は一時的なものだが、その背後にある住宅ローンと生活は一生続くのである。購入を検討している人は、とりあえず一歩踏みとどまって「未来の家計」を熟慮した方が良いだろう。

銀行も随分変わったものだ――地銀が婚活事業に参入とは

「婚活」マッチングに銀行が乗り出す深い事情(東洋経済オンライン)

三上 直行 : 東洋経済 記者

 

 銀行に対して、まだ一般人は「信用」できる民間企業のひとつとして認知してはいるが、貸出先の減少、超低利金利の継続で、本業が厳しいのは巷で言われている通り。

 やや古い記事だが、東洋経済Plusの2017年7月8日号には「収益柱の預貸業務で稼げない! 7割の地銀が実質赤字」という記事が掲載されたし、昨年2月には日本経済新聞が「地銀3行、赤字転落 4~12月 低金利で収益力限界」と報じている。

 

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 メガバンクを中心に大規模なリストラが計画、実行されているが、これらはコスト削減を狙ったもので、言わば「後ろ向きの対応」と言えなくもない。

 こうしたなか、愛知県ではトップの地銀である名古屋銀行が「婚活」事業に参入したことを伝える記事「『婚活』マッチングに銀行が乗り出す深い事情」が2月5日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

 記事によれば、名古屋銀行は2月14日に独自の婚活パーティーを開催する模様。ここに至るまでには2018年に婚活サービスを展開するIBJとの業務提携が貢献したようだ。

 本業で稼げないなら、新たな事業への参入というのはどこの企業でも考えることだが、この銀行の手掛ける婚活サービスも新規事業への参入であり、少なくとも「前向きの試み」であることは間違いない。

 

 そのきっかけは、以前から銀行に持ち掛けられていた取引先企業からの「うちの息子にいい相手はいないか」といった相談に対応するために、「事業承継支援の一環」として立ち上げたことにある。無論、婚活サービスが利益に大きく貢献する訳ではないが、地元企業との絆を強めるという中長期的なメリットは小さくないはずだ。話題になれば、銀行のイメージアップにも繋がる。

 

 この展開を簡単に言い換えると、銀行が本業の「お金の融通」に加えて「人材の融通」にも対応することで、業容を変化させていると見えなくもない。

 もっとも人材についてはこれまでも、銀行は40代から出世競争から外れた行員を取引先に供給してきたという事実はあるが、これは「融資」という紐付きの人材提供だった側面は否めない。企業側にとっても、金融機関から要請があれば受け入れざるを得ないという事情があった。

 

 これに対して、今回の「婚活サービス」は逆に企業からの要請に対応するという内容であり、しかも取引先ではない一般人まで対象にしているという点で、かなりの本気度が感じられる。

 

 しかもこの婚活パーティー(恋するバレンタイン)30代の男女10名程度の限定とはいえ、参加費用は無料だ。記事によれば提携先のIBJに個人が直接申し込むと初期費用が16万5000円以上、月会費は1万5500円かかるので、これは小規模とはいえ名古屋銀行の損益度外視の大盤振る舞いである。

 

 個人的には、本業で利益が出ないと文句ばっかり言って何もしない他の多くの地銀よりも、遥かに前向きで評価できる対応だと思う。

 もともと地方において銀行は、地元の信用は高く、就職先としても人気は根強い。今回の婚活サービスに限らず様々なコミュニティの形成に貢献できる余地は大きい。しかも、大抵の地銀が、市街の一等地に本店を構えており、その存在感を生かさない手はない。

 

 今後、キャッシュレス化の進展、ATMの削減などで銀行への逆風は強まる一方で、何も手を打たなければ顧客の銀行離れは止まらないだろう。

 

 これまでのおカネを融資のための「メインエンジン」とする体制から、各種顧客向けサービスのための「潤滑油」にするような発想の転換が銀行には必要なのかもしれない。