如月五月の「ちょっと気になる話題、情報を斜め視線から」

ちょっと気になる話題、情報を斜め視線で解説

三井住友銀行の行員は東京五輪のTシャツを着るか?

 メガバンクの一角である三井住友銀行が、この夏本店勤務の行員にTシャツ、Gパンでの勤務を認めるこちにしたそうだ。関連記事日本経済新聞6月25日(Tシャツ・ジーパンOK 三井住友銀の本社、夏限定で試行

 

 個人的に、金融機関特に銀行では、男性はネクタイ、スーツ、白ワイシャツ、女性は銀行指定の制服という「お堅い」イメージがあったので、驚きの方向転換である。

 顧客に接しない間接部門が対象らしいが、それでもその方針を決めた経営幹部の決断は素直に評価したい。

 これをきっかけに、他のメガバンク、地方銀行、信金・信組などに広がれば、一般社会への波及効果も大きいだろう。

 

 そもそも昨今のように猛暑が続く夏場は、エアコンをフル稼働するよりも、着ているもので対応した方がコストがかからないし、働き手に取っても個々の裁量の範囲で工夫ができて有難いはずだ。

 

 ところで、このニュースを読んで気になったのは、実際に運用が始まったら対象の銀行員は「どんなTシャツを着るのか」という点。

 おそらく当初は上司や周囲を気にして無難な「白」などを選択するのだろうが、これは推測だが結構可能性が高いと思っているのが、「東京オリンピック・パラリンピック」の絵柄の入ったTシャツ。

 というのも、実は三井住友銀行は「東京2020オリンピック及びパラリンピックのゴールドパートナー」なのである。メガバンクも含めて他の銀行はパートナーにはなっていない。

 

 ここは、一部の行員が気を利かせて我先にと絵柄の入ったTシャツを着てくる可能性は十分にある。公式スポンサーだから文句も言われないし、真っ白な無地のTシャツよりはいい意味で「ちょっとカッコいい」印象になるのは間違いない。

 もう一つの可能性は、自分でTシャツを選べない人たちに銀行が「会社のロゴの入ったTシャツを用意する」というもの。これには当然オリンピック・パラリンピックのロゴも入ると思われる。

 基本的に冒険を好まない銀行員が大半なので、後者の可能性の方が高そうだ。

 

 いずれにせよ、この夏銀行業界の話題のひとつになるのは間違いなさそうだし、横並び意識の強い他のメガバンクの動向も気になるところではある。

 

 

 

 

 

婚活市場にまだいた! 42歳の大手金融機関マザコン男

 

姑が過剰介入する結婚に絶望した彼女の告白(東洋経済オンライン)


 婚活市場には、まだこんな男が生息していたのか、と思わせる記事「姑が過剰介入する結婚に絶望した彼女の告白」が6月27日付けの東洋経済オンラインに掲載された。

 

記事は女性が2回目の男性からの結婚アプローチを受けて、結婚相談所を主宰し仲人でもある著者に相談するという話なのだが、内容の大半はタイトルにある一回目の結婚の失敗談が大半を占めている。

 

 要約すると、都内の大手金融機関に勤めていて真面目だけが取り柄の男性を気に入って婚約したが、その後彼氏の実家を訪問してから一転して、歯車が逆回転するというもの。その主因は「マザコン」だ。

 

 その具体的な内容は以下の3つ。「実家への挨拶にスーツでこなかったことへの非難」「結婚後の住まいを当初の都内の賃貸マンションから実家を二世帯に建て替えに変更」「彼女側の披露宴参加者が少ないのを人材派遣で穴埋め提案」だ。

 

 このいずれもが男性の母親からの「干渉」が濃厚なのである。記事によれば、父親は大手金融機関の重役、母親は絵にかいたような教育ママで、幼少期から親の言うことには逆らえなかったらしい。

 

 とはいえ、大手金融機関で最近出世したという42歳である。それなりの役職で部下もいるはずだ。これは推測だが、上(親や上司)から言われたことを「真面目」にこなすのは得意なのだろう。逆に言えば、自分で物事を考えて結論を出すのは不得手というか不可能と思われる。

 

 こんな男が出世する金融機関というのも、はっきり言って環境が激変する可能性が高い金融業界で生き残れるのか怪しい。

 

 これは個人的な感想だが、今まで見てきたマザコン(気質を含む)で周囲が納得できるレベルまで出世した男は見たことがない。自分の考えを持たず行動もできない人間にリーダーが勤まるはずがないのである。

 誤解のないように言うが「母親を尊敬する」のと「マザコン」は主体性の有無という点で別物である。 

 

 記事では、二回目のプロポーズを受けた男性と無事に結婚して新たなスタートが始まるという結末で終わっている。

 とにかく、マザコンという最低のつまらない男との結婚というトラブルを避けて、良き配偶者と出会えたことに心から「おめでとう! よかったね」と言ってあげたい。

 

 ついでに言えば、マザコン男には「いっそのこと母親と結婚すれば?」とアドバイスしたい。

本当に「売れる家」「売れない家」?

SUUMO新築マンション2019.6.25号

 

 前回5月28日の記事「住宅情報誌SUUMOが一転して面白くなった!」で、無料住宅情報誌SUUMOの内容が急激に面白くなったことを書いたが、今回は「また内容が微妙になってきた」という指摘である。

 

 表紙にデカデカと書かれている特集は「住みたい街ランキング」だが、はっきり言ってこの記事はつまらないというか新鮮味が乏しい。
 具体的には、ベスト3が「横浜」「恵比寿」「吉祥寺」と相も変わらず、実際の生活感に乏しい街が並んでいるからだ。
 「住みたい」の意味が「憧れ」なら構わないが、「住む」であれば違和感アリアリである。そもそもこの3つの駅から徒歩5分以内にマンション供給が十分にあるとは思えない。

 

 話を戻すと、今回の第2特集である「売れる家・売れない家」の方がツッコミどころ満載で面白かった。
 最初のキーワードは「駅徒歩分数」。この区分がグラフでは「4分」「7分」「10分」「13分」「16分」未満などになっているのだが、SUUMOのWebサイトの区分では「3分」「5分」「7分」「10分」「15分」以内などとなっている。「未満」と「以内」という違いはあるが、それだとなぜ「7分」「10分」は同じなのかという疑問が起こる。
 ついでに言えば、今話題の「晴海フラッグ」は最短で徒歩16分なので、「16分」未満には含まれない。しかもこの16分以上かかる物件の中古騰落率は78.4%とより近い物件(86%以上)より一段下がる。あえて不利な設定をなぜしたのだろうか。

 

 次に注目したいキーワードが「方角」。集計結果では「北」や「北西」など北向きの騰落率が軒並み100%を超えていることについて誌面では「北向きが人気を集めたのではない」と解説しているが、そもそも人気を集めなければ中古価格が新築を上回るという現象は「逆立ち」しても起きない。
 これは推測だが、北向きの部屋の新築分譲時の価格が他の方角に比べて安かったので結果として中古で割安感が高まり人気化したのではないだろうか。

 

 まあ他にも全4ページの特集にしては、何ともSUUMOらしい「個性の強い」内容となったが、前回紹介した「沿線特集」のような実用的な方向から再び逸脱してしまったのは残念である。

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表紙

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特集2の1ページ目

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2ページ目

 

中高年男性よ、心と身体を動かせ、感動を取り戻せ!

バカになれ 人生の勢いの取り戻し方(朝日新書) 


齋藤 孝

 

 タイトル「バカになれ」は、仕事に全精力を注ぎ込んできたものの、気力・体力が衰え、人生に諦めを感じている中高年男性に向けた応援メッセージである。

 

 第一章では、人生を苦しくする三本の鎖として、「他者の視線」、「コンプライアンス意識」、「個性的であれという圧力」を挙げている。

 三番目の個性的というのは、前の二つが意味する「目立たないように行動する」と相反するようにも思えるが、価値観の多様化が進むなかで、画一的でないモノやサービスへの要求が高まったことが、個性の重要性に結び付いているという見立てだ。

 

 ただ著者は「社会が個々人に個性を求めることはいい風潮ではない」(p27)としている。例として「個性的と言われたい」という欲求が「バイトテロ」や「バカッター」を引き起こしたことを引き合いに出している。
 もっとも、ここまで愚劣な行為ができるのは、世間知らずの若者か、何も考えていないバカ者のどちらかだろう。

 

 私自身50代後半だが、同年代の周囲を見回してもあまり「個性」にこだわっている人は見かけない。40代までは仕事で実績を上げて他者よりも評価されたいという意識を多くの私を含めた同期の多くが持っていたが、ほぼ出世の「決着」も付いたせいか、本人も周囲も淡々と人生を送っている。
 おそらく定年を迎えて、本当に仕事がなくなったときに「会社なし」の自分が「個」として自立できているかを試されるのではないだろうか。

 

 第二章では、「自分本位」「ときめき」といった精神面での情熱を呼び覚ますことを、第三章では、「ライブ感」「笑い」など身体面での高揚感の重要性を説いている。共感できる内容ではあるが、何冊か著者の作品を読んだことのある人には既読感があるかもしれない。

 

 最終章では、好きなものに徹底的にハマりその道の「バカ」になることを勧めている。言うまでもないがすでに公言できるレベルの趣味を持っている人には不要な指摘だろうが、仕事中心の人生を送ってきたサラリーマンの多くは、自分は何が好きなのかを探すところから始めることになるだろう。

 

 60歳で定年を迎えても人生はまだ20年以上ある。「バカ」になるには十分すぎるほどの時間だ。

 

【個人的な見解の相違】
 第二章で、好きなモノを「大人買い」することを推奨する一方で、ギャンブルについては射幸心から依存症につながりかねないとして否定的な立場だが、これには反論したい。
 私は30年来の競輪ファンだが、これまでお金に困ったことや、依存して他のことができなくなるといった「弊害」は一度もない。
 これは一日に使う賭け金を一定額(3000円から5000円)に決めていて、買っても負けてもこの金額以上つぎ込まないと決めているからだ。
 ちなみに競輪場では、レースを予想をするのに「頭」は欠かせないし、場内を忙しなく動き回るので「足腰」も使う。ついでに言えば、予想は大体外れるのでショックで「心臓」もタフになる。
 個人的には、競輪は心身ともに鍛えられる格好の「趣味」だと思うのだが。

人口減少への対応策は、自治体の集約ではなく社会のドット化

未来の地図帳 人口減少日本で各地に起きること (講談社現代新書)

河合 雅司

 

 少子高齢化の進展で人口減少が避けられない日本。

 著者は前著「未来の年表」で掲げた「戦略的に縮む」という手法について、地域間での格差に注目、人口が激減する大多数の「地方」と減少が比較的抑えられる「市街地」という2極化が進展するという想定のもとに、具体的な都市の人口動態の解説と、それに対応する処方箋を記している。

 

 まず前提にあるのは、現在の47都道府県という枠組みは維持できないという点。2045年時点では、鳥取県の人口が44万人、高知県も50万人を割り込む一方、東京都は1360万人、神奈川県も831万人を抱える、実に30倍以上の格差を抱える都道府県を横並びにするのは無理がある(p126)からだ。

 さらに具体例を出すと、人口減少率トップの奈良県川上村は村民が270人まで落ち込むという。これはもはや「自治体」ではなく「自治会」レベルである。

 一方で、22年連続で人口が増加、20代の女性も転入超過にある名古屋市もその将来には懸念があるという。その最大の要因はリニア中央新幹線の開業だ。意外とも思える考察だが、わずか40分ほどで東京圏とつながることで、大都市に人口が吸い上げられる「ストロー現象」が起きかねない(p71)という指摘は考えさせられた。

 

 また地方では、政府・自治体が進めるコンパクトシティ政策とは関係なく、高齢者を中心に自然現象的に「買い物や医療機関へのアクセスの良い市街地への人口集中が進む」(p198)という見立ても納得がいった。全国的に見れば、富山市のような自治体主導でコンパクトシティがうまく機能する都市の方が少数派になるだろう。

 

 こういう事態が進行するなかで、著者が提言するのが「ドット型国家」だ。既存の市町村の枠組みに囚われずに、もっと狭いエリアで地域の特性を生かした「ミニ国家(王国)」のようなエリアを作るというものだ。
 モデルとなるのはイタリアのソロメオ村だ。高級カシミアを地場産業とし、小規模ながら「人間主義的な経営」と一体化した街づくりを実現しているという(p233)。

 

 著者は、この「王国」構想を含めて、人口減少に耐えうる社会を築くために日本がなすべきこととして「5つの視点」を提言している。
 面白いと思ったのは、5番目の巨大な人口を抱える東京圏を名実ともに外国扱いとし、「特区」にしてしまうという発想。相対するのは「地方」ではなく「海外」となるので、国際競争力を高めるために大胆な規制緩和を徹底すべき(p246)としている。
地方活性化のために沖縄を特区に設定したのとは正反対の考えだ。

 

 「ただでさえ地方とは格差のある東京圏をさらに発展させてどうする」という批判には、「東京の一極集中には歯止めがかけられない現実がある。一極集中の是正にエネルギーを注ぎ、時間を費やす時間的余裕は日本にはない以上、地方は東京と共存する道を探る方が現実的だ」と説明している。

 人口統計に関する膨大な公開資料を一人で分析し、元となる地方自治体ごとのデータを分析、国としての方向性にまとめ上げて客観的に丁寧に解説する姿勢には頭が下がる。
 それだけに著者の提言する日本の人口問題への処方箋には、十分な説得力があると思う。

タワーマンションの寿命は実質30年だ

限界のタワーマンション(集英社新書) 


榊 淳司

 

 2000年以降タワーマンションが続々と建設され、俗にいう「タワマン」ブームが始まった頃からこの潮流に疑問を抱いていたマンション専門家である著者の「アンチ・タワマン」総力本である。

 

 著者の言い分を簡単にまとめると「タワーマンションは不完全かつ無責任な住居だ。買い手は認識を改める必要がある」ということだ。

 売り手は、企業として販売して利益を稼げばいいので、その後のことには関知しない。行政も住民が増えることは税収増に繋がるので基本的に容認だ。要するに買い手が欲しがるから、デベロッパーが作って売るのである。

 そこにはタワマンの抱える数々の問題などへの考慮という視点はない。

 

 「はじめに」に書かれているが、タワマンの大規模修繕は通常のマンションの2倍の費用がかかる。15年目の第一回の改修で積立金を使い切り、給排水管やエレベーターの交換が必要になる2回目の大規模修繕が予定通り進まないタワマンはかなり多いはず、という著者の考察が本レビューのタイトル「寿命30年」の根拠だ。

 

 第一章以降で、「迷惑施設化」「大規模修繕」「災害」「子育てのリスク」というテーマを4章に分けてそれぞれの観点から、タワマンの「悲劇」を具体的に紹介している。

 

 印象に残った部分を紹介すると、第二章の具体例の二番目に、築一年で東日本大震災の被害を被った多摩エリアのあるマンションの管理組合が、無償での補修工事を施工会社に要求したところ、会社側は「これは地震が原因だ」として補修費用1億数千万円を請求、管理組合は区分所有者から一時金を徴収して支払ったそうだ。

 

 著者はこの背景には、売主や管理会社からの「施工不良が明らかになると資産価値に悪影響が出ることなる」という「脅し文句」に乗せられて、所有者も管理組合も泣き寝入りしている実態がある(p84)としている。

 

 実はこの話には続きがあって、この一件から数年後今度は多摩地区に猛烈な台風が襲来、このタワマンの低層階の外壁タイルパネルが剥離、落下する、という事件が起きている。幸いなことにケガ人は出なかったようだが、落下部一帯を立ち入り禁止にして急遽補修したらしい。

このマンション、業界内では知らない人はいないはずだが、著者は諸般の事情もあって実名は明かせないだろうから、M駅に近いMタワーのことだとヒントをさりげなく書いておく。

 

 他にも、タワマンのマイナス点をこれでもかというほど解説しているので、購入予定者には気分の悪くなる内容かもしれない。

 ただ「憧れ」と「優越感」はどちらかと言えば一時的なものであるのに対して、「生活」と「ローン」は数十年続くものである。ここは冷静にタワマンと自分の将来を見据えるべきだろう。

 

最後に本書から、賃貸マンションか一戸建てを購入する人が多いというマンション業界人の言葉を紹介したい。「マンションは売るモノであって、買うのはお客さんだよ」(p68)。

 

運用コストに言及しない投信会社社長の笑ってしまう言い分

長期投資でも実はアクティブ投信が有利な理由東洋経済オンライン)

 

613日付けの東洋経済オンラインに「長期投資でも実はアクティブ投信が有利な理由」というタイトルのセゾン投信の中野晴啓社長のインタビュー記事が掲載されていた。

その内容を要約すると「下げ局面で強みを発揮するアクティブファンドに注目すべき」ということになる。

 

ファンドマネジャーの運用次第で「上昇相場ではインデックスファンドに適わないが、下げ相場ではインデックスを上回る運用が可能」ということを言いたいらしい。

 

記事全体を読んだ感想は、自社のファンド(2本しかないがどちらもアクティブファンド)への誘導を狙った発言であることは明白だということだ。

 

そもそも記事のなかで、資産運用にあたってとても重要な信託報酬などの運用コストについてまったく触れていないこと、が説得力を欠いている。

 

ついでに言えば、3ページ目に「最低でも過去5年のリターンをチェックして、下降トレンドのときに大きく下げないようなファンドを見つけるようにしてください」とあるが、投資信託では過去のパフォーマンスが将来のリターンを保証するものでないことは、もはや常識である。

 

この点から中野社長は「最低でも過去5年の運用成績はチェックしたいので、新規設定ファンドは最初から対象外」としている。もっともらしい発言だが、セゾン投信のファンドは2本とも10年以上の運用期間があることと無関係ではないだろう。

 

とにかくツッコミどころが多すぎて、笑ってしまうレベルの投信会社社長の「自画自賛」記事だった。

警戒すべきはロシアの仕掛ける情報戦

ドキュメント-誘導工作-( 中公新書ラクレ)


飯塚 恵子

 

 本書のタイトルの原題は「inluence operations」だそうで、直訳すると「影響作戦」になるが、台湾で訳された「誘導工作」が一番ぴったりくる、との考察に基づいている。

 サブタイトルにもあるが「誘導工作」とは、情報操作による巧妙な罠を仕掛け、「軍事力を使わずとも相手を自分の望む方向に政治的に誘導する」(p5)ことである。

 この情報戦で攻撃側に立つのが「ロシア」(中長期的には中国も含む)で、防衛を迫られているのが「欧米の西側諸国」という構図だ。

 

 読後の感想を一言で言えば「今年、来年と大きな国際的イベントを控えている日本が西側諸国では情報戦対策で大きな後れを取っている」ということだ。

 日本がロシアから攻撃される可能性は低いと考えていたら、それは情勢認識が甘い。2018年2月に国立の「産業技術総合研究所」が不正アクセスを受けて未発表の研究情報などが漏洩している。専門家によれば「ロシア政府系の攻撃者の特徴とぴったり」(p227)だそうだ。

 

 著者は、欧米のように移民問題で社会を二分するような対立の構図が現時点ではない、新聞など既存メディアへの信頼度が相対的に高く世論操作に対抗できる、などの点から日本が「いますぐ外国勢力に世論を大きく操られる可能性は当面それほど高くない」(p238)としている。

 

 ただ第七章で、ロシアが攻撃する世論操作の対象の傾向として選挙における「低い投票率」と「比例代表制」が狙われるという指摘は重要だ。
 日本では投票率は長期低迷が続いているし、国会議員は比例代表でも選出される。加えて言えば、地方議会に至っては立候補者が定数以下という事象まで起きている。
これはもう外国勢力に加担する意図があっても当選できるわけで、地方発で国家が乗っ取られる可能性を危惧した方がいいのかもいれない。

 

 本書で特徴的なのは、各章の最後に関係者のインタビューを掲載していること。
例えば、誘導工作の総本山とも言えるロシアをテーマにした第三章では、ロシア政府系国際ニューステレビ局「RT」編集長と、ロシア軍出身のカーネギー・モスクワセンター所長を取材している。
 よくぞインタビューに応じてくれたものだと感心するが、これが著者の誘導工作に関する考察に「厚み」を持たせていることは間違いないだろう。

 

 最近読んだ本では、「内閣情報調査室 (幻冬舎新書)」が国内のテロ攻撃に対する政府の取り組みを解説していたが、本書は情報戦を舞台に繰り広げられる国際的なテロ活動への理解を深めることができる。

 軍事衝突のように明白な紛争であれば世界から注目されるが、誘導工作は水面下での攻防という状況が把握しにくい戦争だけに、その現状を系統立てて解説する著者の意識の高さを高く評価したい。

不動産屋に徳目を求めるのは、「八百屋で魚をくれ」というのに等しい

不動産会社の印象が悪化したわかりやすい経緯(東洋経済オンライン)


中川 寛子 : 東京情報堂代表

 

 6月10日付けの東洋経済オンラインに賃貸不動産営業に関する記事「不動産会社の印象が悪化したわかりやすい経緯」が掲載された。


 その要旨は、世の中のビジネスがシンプルへとむかう中で、不動産業界だけが逆行している、という内容で、具体的には「敷金・礼金」の水準が下がる一方で、「カギの交換代や消毒料、害虫駆除代、消臭料」といった費用が上乗せされて、料金体系が複雑化し、分かりにくくなっている、という指摘だ。

 

 その詳細は記事を読んで頂くとして、個人的な感想を言えば、そもそも不動産屋に「良識」を求めること自体に無理がある、と思っている。
 かつて、法務大臣を務めた秦野章は「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」という発言をしたが、これはそのまま不動産屋にも当てはまる。歩合制給与の占める比率が高く、離職率も他業種に比べて高い不動産会社の営業マンには「遵法精神」というものは、頭の隅にすらない。

 これは学生時代、賃貸不動産営業のアルバイトを経験し、宅建士の資格も持っている私の経験上の実感である。  

 

 以前は銀行の融資を受ける際の信用度のチェックで、街の不動産屋の従業員はキャバレーのホステスとほぼ同格だった。所詮その程度の信用しかないのである。机と電話があれば営業活動ができる不動産業界への参入障壁は極めて低い。

 宅建士の資格保有者が事務所の社員5人に対して1人いればいいという規制は、逆に言えば残りの4人は不動産の素人でも構わないということだ。であれば、そもそも不動産屋の営業マンに品格や資質など期待する方が間違っている。

 

 賃貸について言えば、悪質なのは地域で複数の支店を抱える中堅どころ不動産屋の営業マンで、専門知識のレベルは低いのに、強引な営業姿勢だけは引けをとらない。まだ大手財閥系の方がマシだが、それでも安心はできない。

 

 私が賃貸物件を借りるのに実践していたのは、地元で何十年も営業している地場のじいさん・ばあさんが地味にやっている小さな不動産屋。
 昔からの縁で大屋さんから物件の管理を任されていて信用があり経営も安定しているので、無理な営業などで評判を落とすことを嫌う。

 

 借りる方も、派手な広告や見かけ上の物件の多さに惑わされることなく、まっとうな不動産屋を探す努力をするという手間を惜しんではならない

「精神論」による定年後の処世術

定年をどう生きるか

岸見一郎

 

 これまで何冊か定年後の生き方をテーマにしたシニア本は読んできたが、どの書籍とも方向性というかアプローチの方法が異なるという点では、異色の内容である。

 

 「はじめに」にあるように、定年を「人はなぜ生きるのか、どう生きるのかという哲学の中心的なテーマについて考察いている」点で他の定年本とは異なる、と説明している。

 

 第二章では、定年で仕事を失って焦りを感じる人には「生きていること自体が働いていることであると考えれば、定年後も仕事をしていないということにはならない」(p67)と指摘をしている。

 言い換えると、「自分の価値は何かをしていることではなく、生きていることにある」(p95)ということだ。

 

 仕事一筋で定年を迎えたオジサンが「あなたは生きているだけで価値がある」と切り出されても、「ハイ、そうですか」とは納得できない人も多いと思うのだが、著者によればこの発想の転換は不可欠のようだ。

 

また著者は、定年はそれまで「上下」が中心だった対人関係を「対等」なものにするいい機会、とも指摘している。

こちらについては私も、定年は会社組織での立場を捨て去り、個としての社会的な立ち位置を再確認・再設定すべきだと思っているので、同意したい。

 

ただこの話の延長線で、第四章の「他者を愛し始めることによってのみ、自己中心性から脱却し、そこから解放される」(p156)とまで発展すると、さすがに私には付いていけない。

こうなるともはや「精神論」というか一種の「宗教」ではないだろうか。

 

続く第五章では、「生きることについては、善悪無配ではなく、絶対の善とするべき」(p178)とまで言い切っている。

 

正直ここまでくると「もういいや」となったのだが、第六章では具体的な定年後の日々の過ごし方という、一転して実用的な内容となる。例えば「料理」「読書」などの効用を説いている。これが意外に読ませる話なのである。

 

というわけで、巷の定年本とはかなり趣旨の異なるのは確かで、好き嫌いはかなり分かれると思う。個人的には共感できない部分もあったが、たまにはこういう新たな視点の定年考察本に触れるのも悪くないとは感じた。